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洸が向かった先は、藤凪流本部。
飛香の自宅は上の階にあるが、訪ねる相手は今その下のフロアにいる。
「先程電話をしました、西園寺です」
既にアポをとってある。受付の女性は「どうぞこちらへと」にっこりと微笑んだ。
「西園寺さまがいらっしゃいました」
案内された部屋で待っていたのは華道藤凪流次期家元で飛香の兄、碧斗だ。
「忙しいところ悪いね」
「いや、それは大丈夫だがどうかしたか?」
電話を受けた時は、イベントか何かの話かと思っていた。催し物の企画やワークショップの話などが、今までも時々あったからだ。
だが今日の洸は、平日なのにビジネススーツではない。
だとすればアポを取ってまでここにわざわざ来る理由はひとつ。
飛香に関することだ。
事務の女性がテーブルにコーヒーを置き部屋から出て行くと、それを待ち構えたように洸が口を開いた。
「碧斗、僕は飛香と結婚したいと思っている。今日はその話をしに来た」
「随分いきなりだな」
「まあね、君も忙しいだろうし、要件は手短なほうがいいだろう?」
「一つ年上の弟になりたい、というわけか」
「えー、そう言われるとなんだかものすごく微妙に嫌だけど、実際そうなるだろうねぇ」
「飛香はなんて?」
「言ったばかりだから返事はもらっていない。わかっているとは思うが、僕は飛香になにもしていないからな」
「ああ、その点は信用するよ。何かしていればこの窓から突き落とすがな」
「こわーい」
茶化す洸を碧斗はジッと見据えた。
「で、知っているのか?飛香の秘密を」
「え? 秘密? 記憶喪失のことじゃなくて?」
微かに悩む様子をみせた碧斗だったが、意を決したように洸を見つめるとゆっくりと口を開いた。
「これから言うことは他言無用だ。わかったか?」
「わかった。その代わり包み隠さず正確に話してほしい」
碧斗は頷いて話はじめた。
「三年ほど前になる。飛香は夢を見た。平安時代の夢だったらしい。元々飛香は平安時代に憧れのようなものがあったし、ただの夢ならそれまでも見たことがらしいが、その夢は違ったらしい。その日から飛香は『私は生まれる時代を間違えてしまった』と言い始めた。それからというものみるみるやつれていった。正に夢に憑りつかれた、そんな感じだったよ」
そこで一旦話を切った碧斗は辛そうに眼を伏せた。
「知っての通りわたしの家は花木に命を吹き込む華道家だが、陰陽師の一族でもある。陰陽師には不思議な力がある。今から千年前、強大なその力を持つ者がいた。名前はアオト字は違うが読み方はわたしと同じだ。
彼は彼の生まれ変わりを通して永遠に生きる術をもっていた。たとえばわたしの中に存在するように……」
話がついていけなくなったのか、洸はピクリと目元を歪める。
「そしてそのアオトには妹がいた。彼女の名前はこれもまた字は違うが読み方は私の妹と同じだ」
「アスカ?」
碧斗は頷いて、メモにすらすらと文字を書き洸に見せた。
メモに書かれた文字は『朱鳥』
「その朱鳥もまた、平安の都で生き辛さを抱えていた」
「まさか……」
「そう、今から二年前、飛香と朱鳥は入れ替わったんだよ」
「それで、その……飛香がまた入れ替わる? とか、平安時代に帰る、ということはあるのか?」
「ふたりが望めばそうなる」
「僕が理解できているかどうか確認するが、平成アスカと平安アスカが入れ替わったということなんだな?肉体ではなく、魂?……よくわからないが、その精神的なところで」
「ああ、そうだな」
「で、お前の中にはお前以外に平安時代のアオトもいると」
「そういうこと」
「そして、飛香は本人が望まない限り今のまま、ここに存在する?」
「ああ」
うんうんと頷いた洸は、ソファーに背中を預けた。
ホッとしたように「了解。何も問題ないな」と、ため息をつく。
「え? いや、あるだろ。身内が言うのもなんだが、飛香はあの通り何も知らない」
「箱入り娘というのはそういうものだろう? 別に問題ないじゃないか」
「西園寺家の嫁なんだぞ? パーティとか人前に出る機会も多いだろうにあんなトンチンカンでいいのか?」
「君は自分の妹をなんだと思ってるんだ。失礼な奴だな。そもそも本来この時代にいたアスカも引きこもっていたんだろう? さっきから言ってるじゃないか。ひきこもりイコール深窓の姫君なんだよ。姫君というのは古今東西あんなものだ。オールオッケーなの」
「お前と話をしていると、たいしたことじゃない気がしてくる。頭がおかしくなりそうだ」
「なんだそれは、褒めているのか?貶しているのか? まぁどっちでもいいが、ちなみにどうやってこの時代と過去を行ったり来たりするの?」
「え? あ、あぁ、鏡を使うんだ。平安時代から代々伝わる銅鏡があって」
「見せて」
「……わかった」
なんともいえず混乱した表情のまま、碧斗は立ち上がり「奥の部屋にある」と洸を和室へ案内した。
障子を開けるとその部屋は、夏であることを忘れさせるほど肌が冷やりした。床の間にあるその鏡の前に座ると、碧斗は被せ布を取る。
木製の台の上に乗ったそれはちょうど顔の大きさほどの丸い鏡である。
「宇宙のリズムに合わせてこの鏡に力を集中させるのだよ」
そう言って振り向いた碧斗の瞳は微かに金色を帯びて見えた。
「いつでも行き来できるわけではないということか」
「そうだ」
ふいに碧斗は左手の手のひらを鏡に向けて瞼を閉じた。
すると、鏡が微かに光を帯びてきて映像を映し始める。
長い長い黒髪の女性の後ろ姿だ。平安時代の姫なのだろう。薄紫の着物が美しい。
女性が振り返る。
飛香かと思ったが微笑んだ女性は飛香ではなく、洸がよく知る女性に似ていた。
女性の瞳が徐々に大きく映し出され、瞳の中に映る人物が形となって現れてくる。
――ん?
髪型など些細な違いはあるが、それは紛れもなく洸だった。
「彼女はお前の妻だ」
「――え?」




