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昨日、藤原碧斗が西園寺邸に来た。
飛香の就職について、アラキからいくつか提案があると電話をしたところ直接話を聞きたいと碧斗が言ってきたのである。
『家元になられるとのこと、おめでとうございます』
『ありがとうございます。お手を煩わせて申し訳ありません』
コーヒーを出して、ソファーに座り向き合った時、アラキは途中から碧斗の微かな変化に気づいた。
飛香から聞いていた話がある。
『平安の都から来た兄が、今の兄の体を借りている中にいることがある』
まっすぐに碧斗の瞳を見つめながら、アラキは聞いた。
『あなたは、平安の都に住むアスカさんのお兄さまですか?』
碧斗は目を細め、口元に薄い笑みを浮かべるとまっすぐにアラキを見つめた。
『だとしたら?』
『飛香さんは、いつか、平安の都に帰るのですか?』
『それは、アスカが決めること』
『――そうですか。帰るとすればいつ?』
『十五夜に、結論をだすことになるだろう』
『わかりました』
『他に質問は?』
『いえ、特には』
碧斗はクスクスと笑う。
『さすがですね、肝が座っている。不安じゃないのですか?』
『不安といいますと?』
『訳のわからない女の子が、この家をウロウロしていることが』
『その女の子とは、琴ひとつをとってもこの家を癒してくれる素晴らしい女性のことですか?』
その時だ。
藤原碧斗の瞳の色が薄くなり、金色になったような気がした。
彼は『目を閉じてみてください』と言った。
目を閉じると、間もなく脳裏に稲妻のような衝撃が走り、鮮やかな映像が浮かんだ。
悪人と思われる集団に囲まれながら、自分は誰かと背中を合わせ共に戦っている。
最後の一人を倒し、振り返った。そこにいたのは狩衣を着た見慣れた人物。
――え? 若?
映像はそこで消え、瞼をあげると、碧斗は穏やかに微笑んでいた。そして彼は、
『あなたは、変わらない。いい意味で。アスカをよろしくお願いします』
そう言ったのである。
平安の都から来る。そんな奇怪な話を信じているのかどうか、アラキは自分でもよくわからなかった。
ただ言えるのは、彼女が奏でる琴の音はどこまでも優しく心に響くということ。
闇を祓い、聞く者に生きる力を与えるかのように奥底に沁みていく。そんな音を出せる女性が、西園寺家に災いを呼ぶだろうか? 仮に平安の都から来たとして、良くない存在だと言えるだろうか? そうは思えなかった。
アラキが知りたいのは、碧斗に聞いたとおり、彼女が消えてしまうのか否か、それだけである。いずれ消えてしまうということであれば、今のうちに手を打たなければならない。その時こそ、西園寺で雇うことなどできない。
『それは、アスカが決めること』
今年の十五夜は、十月だ。
これから3ヶ月の間に、御曹司は自分の気持ちにも結論を出し、彼女との未来を願うならば、彼女を繋ぎとめなければならない。
――さて、その事実を自分から彼に伝えるべきか、それともふたりに任せるべきか。
いずれにしても、しばらくの間は見てみぬふりを貫こうと、アラキは心に決めた。
恋は、全てふたりの問題である。




