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「家元になることになった」
「親父さん、まだ具合悪いの?」
「今はなんともないが、しばらく無理はしないほうがいいと医者に言われている。気持ち的には至って元気なんだけどね」
「家元となると忙しくなりますね」
「仕方ない」
「飛香は元気?」
「あぁ、そう飛香のことでちょっと相談があって寄ったんだ」
「なに? どうかしたの?」
「それが、どこかで働きたいといいだして」
「へぇ」
「両親と那須に行く予定でいたんだが、別荘から通えるとなると仕事を見つけるのは難しい。両親とも話し合ったんだ。病気のことはあるが、少しずつ社会に出ることも大切だろうということになってね」
「まぁ、そうだろうな」
「で、本人としてもこっちに残って働きたいんだそうだ。アルバイトでいいんだけど、どこか飛香でも働けそうなところはないか?」
「そうなの? あるよ。あるある。わかった探しておく」
「そうか、よかった。飛香はあの調子だから、まぁ洸ならその辺の事情も踏まえて見つけてくれるだろうと思ってね」
「任せて」
それから少し彼がしばらく行っていたフランスの話やらワインの話をしたりして、碧斗は帰って行った。
見送った後、鈴木は怪訝そうに聞いた。
「心当たりがあるのですか?」
「心当たりもなにも、うちで働いたらいいだろう? ここで」
「えっと……。パソコンはある程度使いこなせるんですか?」
「あぁ、無理だね。多分、文章は打てるだろうけど」
「外国語は無理ですよね?」
「無理に決まってるじゃないか、日本語だって時々怪しいのに」
鈴木は絶句した。
「そうなりますと、常務。仮にアルバイトで入ってもらっても、飛香さんが苦労するのではないでしょうか」
「そうかな」
「ええ」
「だったら……」
この部屋に席を作って、僕の仕事の手伝いというのはどうだろう? とはさすがに言い出せない。
「アラキに聞いてみるか」
「ああ、そうですね。アラキさんなら顔が広いですから、きっといい働き口を探してくれるでしょう」
「うん。そうだね、でもさ、お茶入れとかもないんだっけ?」
「常務、お茶を入れる仕事がないわけではありませんが、お茶を入れてくれる彼女たちも普段は別の」
「わかったよ。はいはい」
――なんなんだ?
底知れぬ努力と情熱で創業者一族という色眼鏡を吹き飛ばし、彼こそが次のリーダー、時代の寵児ともてはやされ尊敬の眼差しを一身に浴びているはずの西園寺洸の発言なのか? 今の発言は?
呆れながら鈴木は首を傾げた。
洸はといえば既に立ち上がってどこかに電話をかけている。
「アラキ? ちょっとお願いがあるんだけど」
――え?
てっきり家に帰ってから相談するのだろうと思っていたのに、驚いたことに洸はすぐにアラキに電話をかけている。
「え? ああ、なるほど。うんうん、任せる」
電話を切った洸は、「さすがアラキだ」と鈴木にウインクをしながら親指を上に向けた。
「さて、早いところ終わらせよう」
足取りも軽く席に着いた洸は、テーブルの上の書類を手に取る。間もなく真剣な目つきになり、ペンを手に取ってチェックを始めた。
コーヒーカップを片付けながら怪訝そうに上司を伺っていた鈴木も、その様子に少し安心して静かに部屋を出た。
――ん?
扉を閉める瞬間、鼻歌が聞こえたような気がして鈴木は耳を澄ませたが、扉は厚く何も聞こえない。
なにかがおかしい。
とにかく近々アラキさんに会いに行こう。いや行かなければいけない。溜め息つきながら振り返りつつ、鈴木は強くそう心に誓った。




