妹がほしい 3
――やはりどこか、普通の女の子とは違うな。
サワは彼女を絶賛し『神秘的だ』と表現した。そんな謎めいた雰囲気を醸し出す元はなんなのか。
記憶喪失だから? それとも藤原家の血筋が持つ個性なのか?
洸の目に映る飛香は、借りてきた猫のようにまだ少し緊張しているように見えた。背筋を伸ばし浅く腰を掛けて椅子に座っている。
食事をしながら話をしているが、それでも品よく感じるのは小さな口に合わせて、ほんの少量を口にしているからかもしれない。紅い唇から時々覗くのは綺麗に並んだ真っ白の歯。
白いと言えば、彼女の肌は抜けるように白かった。そしてその白い頬は、笑うとほんのりと紅をさす。
恥ずかしそうな時は、そのまま首まで薄っすらと赤くなる。
背はそれほど高くもなく、160センチ程度。
どちらかと言えば細身で華奢な体つきだが、病的な様子はなく食欲もあるようだし、健康そうに見える。
総じて、外見からは不安定なものを見つけられない。
気になることはといえばーー。何もかもが、初めて目にするもののような反応を見せることだろうか。
――まるで子供のようだな。
記憶の一部を無くすと人はこんなにも純粋になれるものなのかと、感心したりしていた。
食事がひと通り終わった頃、リビングにある電話が鳴った。
「奥さま、ちょっとよろしいですか?」
サワが電話の子機を渡す。かかってきた電話は西園寺夫人へのものだった。
「ごめんなさいね。飛香ちゃん、気にしないでゆっくりしてて」
そう声をかけた夫人は、足早にダイニングの一角から繋がるリビングの方へと向かい、洸と飛香はふたりきりになった。
夫人の背中を見送り、話し相手を失った飛香は、テーブルに目を落とす。皿の上にはデザートの小さなケーキとフルーツが艶やかに盛り付けられている。
まるで同じテーブルについている人間がいることなど忘れているように、飛香は瞳を輝かせて、フォークを手にとった。
完全に自分の世界に入っているその様子を、洸は珍しいものでも見るようにしげしげと眺めた。
上から見たり横から見たり、まじまじと皿の上を観察すると、そっとフォークをいれ小さなひと口を、瞼を閉じて味わう。飲みこむと同時に感動を隠そうともせず大きく目を見開いて、またケーキを見つめる。
この子は一体、いつになったらここにもう一人いることを思い出すのだろう? そんなことを思いながら洸は頬杖をついて観察し続けた。
皿の上から何もなくなった時だ。
フォークを皿に置いた飛香は、ようやく洸の視線に気づき、一瞬目を見開いて真っ赤になった。
「ワインは飲まないの?」
「は、はい」
「お酒は飲めないの?」
「はい。弱くて……」
「そう。お兄さんは強いのにね」
夫人と話をしている時とは打って変わって、「はい」と答える飛香の声は、消え入りそうに小さい。
ケーキの観察に夢中だったついさっきとも一転して、居心地の悪さが全身から漂っている。頬はこわばり、肩に力が入っているのが洸の目にも明らかだった。
「温かいココアでも飲む?」
そう言いながら呼び鈴に手をかけようとすると、飛香は「い、いえ、大丈夫です」と慌てて腰を浮かせかけた。
「あ、ありがとうございます。すみません」
飛香に座るように促して、洸は飛香と話をすることにした。
話せば謎の理由が少しはわかるかもしれない。それに不謹慎とは思いつつも、記憶喪失ということへの興味もある。
「那須にいるんだってね」
「はい」
「こっちの家にはあまり来ないの? 確か青山に華道の本部にもなっているマンションがあったよね?」
「はい。時々……」
「那須のほうはどう? 夏も涼しいでしょう」
「はい」
おい! と洸は心の中で突っ込みをいれた。
――『はい』しか言えないのか? 君は!
まったくもって会話がキャッチボールにならない。投げたボールをことごとくかわされる。
胸の内でため息をついた。
――なんなんだ。
相手が自分でなければ普通に話をすることは、ついさっきまで洸の母と彼女との会話で明らかである。
ということは、相手が男だからということなのか?
――男が苦手とか? 恥じらうにしても度が過ぎないか?
例えばまわりが女性しかいない環境にいるならわからなくもない。が、彼女には兄がいる。
ピクリと洸の目元が歪んだ。
――迷惑なのか?
あらためてよく見ると、斜向かいの席に座っているこの女の子はすぐにでも席を立ちたいほどそわそわしている。その証拠に、唇を固く結んだまま俯いて、時折そっと腕時計を覗き見ているではないか。
そこには、打ち解けようとする努力さえ感じられない。
――なぜだ?
子供の頃から、洸はいつだって女性たちのうっとりと潤んだ瞳に見つめられていた。
誰もが自分に恋をするなどとうぬぼれているわけではないが、理由もなく嫌われることはないと思っている。物心ついた時から『女性にはあらんかぎり優しく接しなさい!』と母から厳しく言われ続けたのだ。おかげで自然と身についたレディーファーストの精神。それによって、好意を持っていると勘違いされることこそあるが、一方的に避けられた経験など皆無に等しい。
それなのに。
――どうしろと?
つい、煽るようにグラスに残ったワインを飲み干した時だった。
「あの、百人一首はお好きですか?」と、か細い声が言う。
「え? 百人一首って……あの? 和歌の?」
どこか思い詰めたような目をして、飛香はまっすぐに洸を見つめている。
「はい」
意表をつく突然の問いに驚いたせいか、洸の頭の中は真っ白だ。
百人一首を知らないわけではないが何一つ浮かんでこない。
「えっと……」
「あ、すみません。気にしないでください! 突然そんなことを言われても困りますよね」
焦ったようにまくしたてた飛香は、瞼を落として薄く微笑んだ。
「私、記憶が曖昧なんです。ただ、平安時代のことはとても好きだったらしくよく覚えていて。変ですよね。驚かせてしまって本当にごめんなさい」
突然のその告白は洸を困惑させた。
気にしないでとは言ったものの、続く言葉を見つけられない。
「いや、うん……まぁ、その、自分の家だと思って、気楽にしてね」
こんな風に口ごもることは、どんな状況であれ機転の利く洸にしては珍しいことで、あるいはワインを飲みすぎていたのかもしれなかった。




