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「愛の重い彼氏」の正しい被り方  作者: 柊原 ゆず


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第2話 包囲網


 俺の計画が順調に進んでいた矢先、不快なノイズが入り込んだ。図書室の入り口付近で夏海を待っていると、彼女が軽薄そうな金髪の男に絡まれているのを見つけたのだ。


「夏海ちゃんさー、勉強なんて後にして、今からカラオケ行かない? 連絡先教えてよ」

「えっと、でも私、これから友達と勉強の約束が……」


 男はしつこく夏海の行く手を阻み、あまつさえ彼女の腕に触れようと距離を詰めている。困り顔で一歩後ずさりながらも、決定的な拒絶ができずに愛想笑いを浮かべる夏海。彼女の誰にでも優しいという性格が、こういう害虫を引き寄せる。男の手が夏海の腕を掴みかけたその瞬間、俺の腹の底で何かがドス黒く沸騰した。

 俺の陽だまりに、気安く触れるな。

 俺は静かに、けれど明確な殺意を沈め、二人の間に極めて自然な足取りで割って入った。夏海と男の間に、スッと体を滑り込ませる。


「五十嵐さん。待ってたんだけど、遅いから迎えに来たよ」


 いつもより少しだけ低く、優しげな声でそう告げる。


「あっ、宮田くん!」


 夏海の顔がパッと明るくなり、すがるように俺の背中に隠れた。その小さな安堵の吐息を感じながら、俺はナンパ男の方へゆっくりと振り返った。


「……あ? なんだお前、彼氏気取りかよ」


 男は俺の地味な服装と重いマッシュルームヘアを見て、鼻で笑いながら見下してきた。俺は無言のまま、うっとうしい前髪を指先で少しだけ持ち上げた。過去に俺を苦しめてきた、他者を圧倒する顔立ちのオーラを解放する。同時に、目の前の害虫を物理的にすり潰すような絶対零度の圧を瞳に込めて、男を真っ直ぐに射抜く。


「……彼女、俺と約束してるんで。邪魔、しないでもらえますか?」


 抑揚のない、氷のように冷たい声を出して威嚇する。俺と視線が合った瞬間、男の顔からサッと血の気が引くのがわかった。陰キャだと思って見下していた相手が、自分より遥かに整った顔立ちで、しかも底知れぬ狂気を孕んだ目をしているのだ。本能的な恐怖を感じ取ったのだろう。


「ヒッ……あ、いや、わりぃ……!」


 男は引き攣った顔で後ずさりし、逃げるように去っていった。その後ろ姿を冷たい目で見送った後、俺はすぐにいつもの『無害で優しい宮田くん』の顔で夏海の方へ向き直った。


「大丈夫? 怖かったでしょ」

「宮田くん、助かったー!あの人ちょっと苦手で……ほんとありがとう!」


 夏海はホッと大きな安堵の息を吐きながら、俺の手をぎゅっと両手で握りしめた。俺の手に触れる彼女の体温と、微かに漂う甘い香りが、先ほどまでのドス黒い怒りをスッと鎮めていく。


「宮田くんって、大人しそうに見えて意外と男らしいんだね!かっこよかった!」


 上目遣いでそう言って笑う夏海。

 この瞬間、俺は彼女の中で「便利なクラスメイト」から「意外と頼りになる男」へと昇格したのだ。忌み嫌っていた自分の顔や威圧感を、こんなに有効活用できたのは人生で初めてかもしれない。

 だが、感謝を伝えると、彼女はすっと自然な動作で俺の手を放し、一歩分だけ距離を開けた。あくまでもクラスの男友達としての健全な距離感。

 ……もっと、触れていてほしかったのに。

 手のひらに残る微かな温もりが、俺の心に焦燥感と、更なる執着を植え付けていく。俺は、遠のいてしまった彼女の手の感触を惜しみながら、前髪の奥で密かにほくそ笑んだ。






 そして、秋の足音が聞こえ始めた頃。

 彼女の口癖は、いつしか「宮田くんはどう思う?」「宮田くんがいいならそうする」に変わっていた。スマホの通知が鳴っても、俺といる時は「あとでいいや」と画面を伏せるようになった。休日の予定も、まず俺に「今週空いてる?」と聞いてから入れるようになり、彼女のSNSは、俺と行ったカフェや、俺が選んだ服の投稿ばかりになっていた。俺の存在は、すでに彼女の生活のすべてに深く、強固に根を張っている。俺は、外堀が完全に埋まったことを確信した。

 息を吐くと微かに白く滲む夜、いつものように補習を終え、二人で夜の公園を歩いている時だった。街灯のオレンジ色の光だけが、静かな遊歩道を照らしている。少し肌寒い風が吹き抜け、夏海が「ちょっと寒いね」と身を縮めて肩をすくめた。俺はすかさず自分の黒いカーディガンを脱ぎ、彼女の華奢な肩にふわりとかけた。俺の体温と、俺の柔軟剤の匂いが、彼女をすっぽりと包み込む。


「あっ、ありがと。宮田くん、寒くない?」


 上目遣いで心配そうに覗き込んでくる彼女の顔は、近い。


「俺は平気。……ねえ、夏海」


 意図的な間を置き、初めて、下の名前で呼んだ。


「えっ……」


 夏海が驚いたように足を止め、目を丸くして俺を見上げる。俺も立ち止まり、彼女の真正面に向き直った。マッシュの重い前髪の奥から、彼女の揺らぐ瞳を真っ直ぐに射抜く。逃げ場など、とうの昔に塞いでいる。


「俺、夏海のこと好きだよ。ずっと、俺のそばにいてほしい」


 ドス黒く濁った一切の狂気を隠し、ただ純粋で、少し不器用な青年のように。声の震えすらも完璧に計算して、誠実に想いを告げる。夏海は一瞬ぽかんと口を開けた後、みるみるうちに顔を真っ赤にして、羽織らされたカーディガンの袖をきゅっと両手で握りしめた。


「……あたしで、いいの? 宮田くん、頭良いし優しいから、もっとしっかりした子の方が……」

「夏海がいい。夏海じゃなきゃ、嫌だ」


 君以外の女など、視界に入るだけでも反吐が出る。君が俺の隣で笑わない世界なんて、いっそ壊れてしまえばいい。

 脳内で渦巻く執着を、ただの『一途な恋心』に変換して押し出す。俺の強い言葉に、夏海は泣きそうな、でもこれ以上ないほど嬉しそうな笑顔を浮かべて、コクリと頷いた。


「……うん。私も、宮田くん……凪のそばに、ずっといたい」


 そう言って、彼女が俺の胸に飛び込んできた瞬間。俺の胸の奥深くで、ドロドロとした独占欲が満たされてゆく。これで、彼女は完全に俺のものだ。もう誰にも渡さない。俺はこの温かく心地よい太陽を、俺だけの甘い檻の中に閉じ込めたのだ。


「こちらこそ、よろしく。……絶対に、幸せにするから」


 俺なしでは息もできないくらいに。

 俺は俺の胸にすり寄る彼女の金色の髪を優しく撫でながら、誰にも見えない、暗く底なしの笑みを浮かべた。


つづく

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