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脱出

 ヤムダンは、黒神山の九合目付近の林の中の小さな空き地に立っていた。

 河原を後にして歩き始めてから八時間が経過していた。イシュウの眠る長期休眠装置の蘇生可能期限まで残り十二時間を切った。タイムリミットが刻々と迫っている。

 ヤムダンの足元のすぐ先は崖になっていて、その下に天河様のお社の屋根が見える。誰かがいたのか、空き地の下草が踏み固められていた。そこは、昨晩、牛乃背村役場観光課の畑中主任と有沢係員がUFOに見せかけたドローンを操縦していた場所だ。

 時刻は正午を過ぎて、太陽は天頂から容赦ない光を地上に浴びせている。ヤムダンのフルフェイスのヘルメットのフェイスカバーの内側には、活動に必要な各種情報が文字や数字として投影されている。投映データの一番左にある警告灯がチカチカと明滅しているのは、ヤムダンの周囲に降り注ぐ紫外線の量が危険値をはるかに超えているためだ。地球上活動用スーツがなければひとたまりもないだろう。

 ヤムダンは草の陰に身を寄せて、崖の上から境内を見下ろした。お社の左右や境内の入口には神社幟が立てられていて、風を受けてバタバタとはためいている。境内の入口とお社の前にはかがり火が焚かれていて、お社の前では五人の男が思い思いの格好でパイプ椅子に座っている。昼間から酒を飲んでいるのだろう、時折大きな笑い声が響いてくる。

 お社の正面の格子扉は観音開きに開かれていて、入口には神前幕が張られ、幕の中央は揚巻房で捲り上げられている。幕の左右に天河様の神紋が紺色に染め入れられている。その神紋はアダムスキー型のUFOを連想させる不思議な形をしている。

 お社の中にも何人かの男が車座になって座っていた。その中のひとりが星尾だった。星尾が何かを喋り、周りの男たちがそれに頷いている。今夜の大祭の段取りを確認しているのだろう。

 ヤムダンは考えた。

 ・・・これだけ原住民がいると、昨晩のようにお社の中に忍び込み、そこから地下の鍾乳洞に潜入することは不可能だ。どこから入ればいいんだろう・・・それを考えると夜も寝られない・・・うん? どこかで聞いたような・・・地下鉄、いや、ヤムダンの星間飛行艇を運び込んだ別の入口があるはずだ。落とし穴の先に見えていた階段・・・あれはどこだろう?・・・

 地形平面図の表示階層を何度も切り替えながら、ヤムダンは入口を探した。あった。お社の前の山道を百メートル登った先の山肌に、洞窟のような通路が奥に延びている。

 ヤムダンは見つけた入口に移動しようとして、ふと足を止めた。ガサガサと下草を踏む音が聞こえてきた。何者かがこの空き地に向かって歩いている。ヤムダンは足音を忍ばせて空き地の傍の茂みの中に身を潜めた。ここで原住民に見つかる訳にはいかない。

 ガサリと音がした。

 大人の背丈ほども伸びた虎杖の群生を掻き分けて、ヤムダンの目の前に観光課の畑中主任と有沢係員が現れた。リュックサックを背負い、両手に大きなジュラルミンケースを持っている。観光課のふたりは、今夜も天河集落の住人の前で偽UFOを飛ばすべく、準備にやってきたのだ。ヤムダンと同様に、ふたりも天河集落の住人の目を盗んで道なき山の中を歩いてきたのだろう。顔に疲労の色が浮かんでいる。

「有沢君、やっと到着や。さすがに疲れたきに、ちくと一息ついて弁当でも食べようや。どうせ、大祭は日が落ちてからが本番やき、まだしばらく間があるろう」

「主任、ドローンだけ先に組み立てちょきますき。私のお弁当は置いといてつかあさい。主任はお先にどうぞ」

「ほうかね、ほんなら遠慮なく」

 有沢係員は背負っていたリュックサックから取り出したビニールシートを地面に広げ、持っていたジュラルミンケースを開けると、分解されたドローンの部品をその上に置いた。有沢係員はドライバーを握り、てきぱきとドローンを組み立て始めた。

 その横で畑中主任は空になったジュラルミンケースに腰掛けて弁当の包みを開いた。握りこぶし二個分はあろうかという大きなおにぎりがふたつと、たくあん三切れに卵焼きが入っている。畑中主任は有沢係員の組み立て作業を横目で見ながら大きなおにぎりにかぶりついた。畑中主任の横のジュラルミンケースの上には、有沢係員のお弁当が置かれている。

 茂みの中からその様子を覗いているヤムダンのお腹がグウウと鳴った。ヤムダンの両目が畑中主任の手の中のおにぎりに吸い付けられた。

 ・・・あの白い粒状の集合体は・・・寅子さんの家で食べたものだ。うむ、美味そうだ。非常用携行食を全て置いてきたのは失敗だった・・・

 おにぎりを前にヤムダンが悔やんだが後の祭りである。

 今度は、ヤムダンの両目が有沢係員の手元に吸い付けられた。

 ・・・何を組み立てているんだ?・・・あれは・・・昨夜の発光飛行物体に間違いない・・・思ったとおり、あれは地球人が操縦していたのだ・・・

 足元の崖下のお社の方角から突然大きな言い争いの声が響いてきた。酒に酔って喧嘩でも始めたのだろう。「ヤメロヤメロ」となだめる声が聞こえている。畑中主任と有沢係員が何事かと崖下を覗き込んだ。

 絶好のチャンスが到来した。空腹のヤムダンの目がギラリと光る。

 ヤムダンは空き地に忍び込んで有沢係員のお弁当を掴むと、身を翻して茂みの中に飛び込んだ。そして、一目散に空き地から離れると、鍾乳洞に続く洞窟の入口に向かって走った。

 茂みの後方の空き地では、有沢係員が「猿に弁当を盗まれた!」と地団太を踏んでいた。さすがに異星人にお弁当を盗まれたとは思いもよらないだろう。


 黒神山の山頂に延びる山道に、車両がすれ違うための退避スペースが設けられていた。その退避スペースの奥に、大きな洞窟がポッカリと口を開けている。但し、山道から洞窟の入口は見えない。洞窟の上の山肌から垂れている木の枝と、入口を半ば塞ぐように立て掛けられた蔓で編んだ覆いにより、その入り口は巧妙に隠されていた。

 ヤムダンは雑草の茂みの中から洞窟の入口を見ていた。洞窟の入口の周囲に人の気配はない。いまのうちだ。ヤムダンはゆっくりと洞窟の入口に近づいた。蔓の覆いの隙間からそっと中を覗くと、洞窟の入口にも太いしめ縄が張られていた。その先は陽光の届かない暗闇が広がっている。

 ヤムダンは蔦の覆いを持ち上げると素早く洞窟の中に入った。洞窟の中の地面には乾いた砂が薄く堆積していて、洞窟の壁や天井はゴツゴツとした黒い岩がむき出しになっている。まだ石灰岩は見当たらない。

 ヤムダンはヘルメットの両脇に付いている照明灯を点けた。洞窟の中に光の輪が広がる。洞窟は緩やかに左右に蛇行しながら、少しずつ下っているようだ。そのため、照明灯を奥に向けても、洞窟の先は遮られて見えない。ヤムダンは救難信号受信機に表示された地形平面図を確認しながら、ゆっくりと足を進めた。洞窟の奥から微かに風が吹いている。この先二百メートルの地点に鍾乳洞に繋がる通路があるはずだ。

 いつの間にか足元の岩が白い石灰岩に変わっていた。鍾乳洞が近いのだろう。周囲の壁から水が染み出し、天井からも雫がポタポタとひっきりなしに落ちてくる。地層の中に地下水脈が通っていて、そこから地下水が染み出しているのだ。壁や天井から染み出した水が洞窟の壁に沿ってチョロチョロと流れている。やがてその水量が増して小さな川のようになり、それに伴って洞窟の下り傾斜が大きくなった。足元の石灰岩が人の手によって削られて、階段が設けられている。

 洞窟を抜けたかと思うと、ヤムダンは広い空間に立っていた。ついに鍾乳洞に出たのだ。

 ヤムダンが立っているのは凍った滝のような鍾乳石のカーテンの最上部で、そこから下に向かって鍾乳石を削った急な階段が続いている。そして階段を下りきった先に、畳二畳分の大きさの平らな踏み石が敷かれているのが見えた。竜太たちが落ちた落とし穴の入口だ。

 ヤムダンは戻ってきたのだ。長い道のりだった。ヤムダンの胸の奥に熱いものがこみあげてきた。

 ヤムダンは両手を頭上に突き上げて思わず『ヤッター』と叫び掛けてから、慌てて口を閉じた。ここまできて原住民に見つかったら目も当てられない。ましてや、能天気な地球人ふたり組にも何と言われるか・・・きっと、死にたくなるような罵詈雑言をバラリウム重粒子速射砲のように浴びせかけられるに違いない。

 時刻は午後二時。イシュウの眠る長期休眠装置の蘇生可能期限まで残り十時間となった。

 ヤムダンはこれからのミッション遂行の手順を頭の中で整理した。

 ・・・まずは、地下大広間の櫓の上にあるヤムダンの星間飛行艇に入って、バラリウム重粒子放射銃を手に入れる。放射銃さえあれば、原始的な武器を持った原住民など物の数ではない。ミッションの邪魔をするようなら一撃で蹴散らしてやる。

 それからイシュウの小型探査艇に入って、長期休眠装置の蘇生モードを起動してイシュウを蘇生させる。イシュウの小型探査艇で使われている旧型バラリウム重粒子変換装置が流用できるなら、ヤムダンの星間飛行艇が修理できるはずだ。

 星間飛行艇にイシュウを乗せて、地球大気圏外に待機している恒星間航行艦に帰還すれば、それでミッションコンプリート。こんな未開の星とはおさらばだ。

 ・・・何か忘れているような気が・・・そうだ、能天気な地球人ふたり組を救出しなければならない。まあ、こちらは最後の最後に『できたら』でいいだろう。仮に救出できなくても、大勢に影響はないのだから。・・・

 そんなことを考えていたヤムダンの脳裏に、寅子の顔が浮かんだ。

 ・・・そうか、能天気な地球人ふたり組を見殺しにすれば、あの美しい方が悲しむのだ。あの方の涙を想像するのは辛い。あの方に涙は似合わないのだ。それに、『ヤナシス星人に二言はない』と大見得を切ったような気もするような、しないような・・・仕方ない、地球人のふたり組の救出もミッションに追加だ。・・・

 鍾乳石を削った急な階段を下りていたヤムダンのお腹がグウウと鳴った。空腹が限界に近づいている。まずは、手に入れた白い粒状の集合体で腹ごしらえだ。

 階段を下りて慎重に落とし穴の上を避けたヤムダンは、ラクダのこぶのような石筍の上に腰を下ろすと、お弁当の包みを開いた。白い粒状の集合体が圧縮されて綺麗な三角形を形作っている。大きさはヤムダンの掌の倍ほどもある。表面には黒いシールが貼られているが、これも食用だろう。寅子の家の食卓で見た気がする。

 ヤムダンはフルフェイスのヘルメットの前面を覆っているシールド部分をパカリと上に持ち上げ、おにぎりにかぶりついた。美味い! そう思った瞬間、ガリッと硬い歯ごたえがして、それと共に強烈な酸味が口の中に広がった。口腔全体がしびれ、脳天に突き抜けるような衝撃が走る。ヤムダンの目が霞み、意識が朦朧としてきた。

 ・・・やられた、毒を盛られた・・・

 ヤムダンは意識を失い、その場に崩れ落ちた。おにぎりの具に入っていた梅干しは、ヤナシス星人にとって未知の衝撃だったのだ。そう、未知との遭遇だ!


 鍾乳石を削った急な階段をふたりの老婆が下りてきた。ふたりは木製の大きなたらいを抱えている。たらいが大きすぎて、お社の入口からは入れないため、こちらの入口を利用したのだろう。たらいの上には直径一メートルと直径五十センチの円形をした巨大な餅が載せられている。大きな方の餅の下部には半球状の餅が三個付いている。ふたつの餅を重ね合わせると、天河様の神紋を形作るのだ。それはアダムスキー型のUFOを連想させる不思議な形だ。

 老婆たちは奇怪な姿をしていた。

 ギョロリとした大きな目、鷲の嘴のように飛び出した大きな鼻、真横に大きく結ばれた口の端から上下に突き出た牙、コウモリのように尖った耳。二本の腕の下に退化して小さくなった二本の腕が付いていて、長い胴体の下に太くて短い二本の足が生えている。身体全体は緑色をした細かい鱗で覆われている。

 恐らく、竹で編んだ籠に和紙を貼った手作りの大きな仮面を頭からすっぽりと被り、緑色をした上下つなぎのような衣装を着ているのだろう。天河様の大祭に参加する天河集落の住人は、全員がこのような奇怪な姿をしているのである。それは、アマゾンやパプアニューギニアの原住民が、異形の仮面を被り身体にペイントを施して、おどろおどろしい神々の姿を模して祭りに参加する姿と同じである。

 ふたりの老婆は石筍の横に倒れているヤムダンに気が付いた。足元に食べかけのおにぎりがひとつ転がっている。ヤムダンが手に持っているお弁当にはおにぎりがふたつ残っている。お弁当の包の端には『有沢』と名前が書かれているのだが、『沢』の字は掠れていて判読できない。

「ありゃ、有田のおじいじゃないかねぇ。こんな所で弁当を食べながら寝ちゅう」

「有田のおじいは呑気じゃき、すぐにどこかへ行っておらんようになるがやと。こりゃあ、道に迷うたがやないかね。しょうがない・・・これ、有田のおじい、起きんかね」

 ふたりの老婆は、お弁当の包に書かれた名前を見て、ヤムダンを天河集落の住人である有田のおじいだと誤解しているのだ。片方の老婆がヤムダンの肩を揺すった。

 ウーンと呻き声を上げてヤムダンの意識が戻った。目の前に立っている奇怪な姿をしたふたりの老婆を見て、ヤムダンは目を白黒させた。地球の原住民に間違いないのだろうが、何のためにこのような恰好をしているのだろう。マッタク、未開の地球人のやることは理解に苦しむ。

「あなた方はいったい何者ですか」

 老婆たちは顔を見合わせた。

「こらいかん、寝ぼけちゅう。ほりゃ、そんな所に座っちょらんと、天河様のお祭りに行かなあいかんぜよ」

 ヤムダンの姿を見ても、老婆たちは驚かない。自分たちと同じ仮装をしていると思っているのだろう。実は、本物の異星人がそこにいるのだが・・・。老婆たちはヤムダンの腕を掴んで立ち上がらせると、たらいの片方を持たせて、天河様のご神体のある地下の大広間に向かって歩きだした。

 梅干しのショックからまだ回復していないヤムダンは、老婆たちに言われるままに歩きだした。いずれにしても、天河様のご神体のある地下の大広間にはヤムダンの星間飛行艇があるのだ。疑われずに近づけるのなら、それに越したことはない。ふらつく頭で、渡りに船、いや、私に星間飛行艇だと、ヤムダンはひとりごちた。


 天河様のご神体が祭られている地下の大広間には、天河集落の住人が三々五々集まっていた。印半纏に股引姿だった星尾たち集落の男衆も、奇怪な姿に変わっている。大広間は異形の人々で溢れていた。天河集落の住人全員がここに集まっているのだ。フルフェイスのヘルメットを被り地球上活動用スーツを装着したヤムダンの姿は、天河集落の住人の中に違和感なくとけこんでいた。

 時刻は午後四時を回った。地上では太陽がゆっくりと西に傾き始めた頃だろう。

 ご神体を囲む十二基の石灯籠の灯りは輝きを増し、大広間の中を明るく照らしている。ご神体の前には白木で造られた巨大な三方が置かれていて、その上に老婆たちによって運び込まれた鏡餅が載せられていた。その姿は三方の上に着陸したアダムスキー型UFOだ。

 そして、鏡餅の横には、白木で組まれた台形状の大きな土台の上にヤムダンの星間飛行艇が載せられていた。大広場の隅には白い布を掛けた台が並べられていて、その上には巻きずし、揚げ物、煮物、練り物、刺身などが山のように盛られた大きな皿鉢料理が幾皿も載せられている。台の横には菰樽が置かれて、白木の枡が積み上げられている。

 人々は祭りが始まるまでの間、皿鉢料理を食べ枡酒を飲んで腹を満たすのだ。ムッとするような人いきれの中に、酒や料理の入り混じった匂いが漂っている。ウワーンというハウリングのような音が耳の奥に沈殿して離れない。祭りが始まる前の高揚したざわめきが大広間に満ちていた。

 大広間に潜入して人目につかないように櫓に登り、こっそりと星間飛行艇に入ろうと考えていたヤムダンの目論見は外れた。いつの間にか櫓は撤去されていて、星間飛行艇は衆人環視の真っ只中に置かれているのだ。とにかく隙をみて星間飛行艇に入るしかない。ヤムダンは異形の人ごみに紛れてチャンスを覗っているが、大広間の中心にあるご神体のすぐ前に置かれている星間飛行艇の周囲から人が離れる気配はない。

 天河集落の住人の注意をどこか別のものに向けさせるには、どうしたらよいのだろう。考え込むヤムダンの脳裏に、昨夜の竜太の声が響いた。

『・・・仕方がない、こうなったら誰かが囮になって不寝番を引きつけておいて、その間に残りのふたりがお社に忍び込む・・・』

 それだ! 囮を使うのだ。囮は・・・能天気な地球人ふたり組だ。ひとまず竜太と慎吾を落とし穴の中から救出する。その後で、ふたりが落とし穴から脱出したことを星尾たちに知らせれば、星尾たちは竜太たちの捕獲に向かうはずだ。その騒動の隙なら星間飛行艇に近づいて中に入ることは可能だ。ふたりには気の毒だが、ミッションを完遂するためにはこれしか方法がない。

 ヤムダンは大広間の端に積み上げられている櫓の廃材とロープを拾い上げると、煙のように大広間から姿を消した。


 凍った滝のような鍾乳石のカーテンに刻まれた階段の前で、ヤムダンは畳二畳分の大きさの平らな踏み石を見ていた。落とし穴の入口から地底湖の水面まで約十メートル。ロープの長さはギリギリ足りそうだが、穴の入口の近くにある石筍にロープの端を結び付けると、石筍と穴までの距離の分だけ穴の中に垂らすロープの長さが短くなり、湖面に届かない恐れがある。櫓に使用されていた廃材の柱を使って、穴の真上からロープを垂らすしかないだろう。一辺が百八十センチの正方形をした穴の入口に差し渡すように、櫓に使用されていた長さ三メートルの木の柱を横たえる。柱の中央部分にロープの端を結び付けて、ロープを穴の中に垂らす。これなら何とかなりそうだ。

 中央部分にロープの端を結び付けた柱を穴の上に差し渡すと、ヤムダンは踏み石に片足を載せてグウッと力を入れた。踏み石がパカリとふたつに割れて下方に開き、漆黒の奈落が姿を現した。柱に結びつけられたロープの、もう片方の先端が暗闇の中に吸い込まれるようにスルスルと延びていく。地底湖の湖水の発する微かな水の匂いが、空気の流れに乗って穴の中から吹き上がってきた。

 ヤムダンは地面に腹ばいになると、穴の中に向かって呼び掛けた。

「竜太さん、慎吾さん、助けにきました。聞こえますか、助けにきました。このロープを伝って下さい、聞こえますか・・・」


 落とし穴の下の陸地部分にある、直径五メートルのいびつな円形をした平らな岩の上で、竜太は横になって考えていた。

 あの後、空腹に目覚めた竜太と慎吾は、ヤムダンが置いていった非常用携行食も食べた。モソモソと粉っぽい固形物は無味無臭で味気ないものだったが、不思議と腹は満たされた。

 再び横になったものの、一度去った眠気は戻ってこない。竜太は横になったまま、悶々と考えを巡らせていた。

 ・・・腹を括って山田さんに依頼したものの、高齢の山田さんには荷の重いミッションだったかも知れない。・・・山田さんは自信満々だったけど、今頃は地底湖の底で魚のえさになっていたりして・・・。もし救出されなかったら・・・骸骨軍団へ仲間入りだ。・・・悲しんでくれる人は・・・いない・・・

 竜太の横では慎吾がゴウゴウと鼾をかきながら寝ている。やはり関西人は神経が図太いのだろう。いや、慎吾だけかもしれないが・・・。

 ボンヤリと天井を眺めていた竜太の視線の端がポワッと明るくなった。天井から明かりが漏れているのだ。竜太は岩の上に上体を起こすと目を凝らした。天井の落とし穴の入口が開いている。そして天井から一筋の光の糸が垂れ下がっている。その糸は地底湖の湖面にまで到達していた。

 まるで芥川龍之介の蜘蛛の糸だ。夢を見ているのか?

 極楽からお釈迦様の声が聞こえてくる。

「・・・助けにきました。このロープを伝ってください。聞こえますか・・・」

 お釈迦様は機械から発せられたような不思議な喋り方をされるのだなぁ・・・いや、これは・・・山田さんの人工声帯が発する声だ。山田さんが助けにきたのだ!

 竜太は鼾をかいている慎吾の肩を激しく揺すった。

「慎吾さん起きて! 山田さんが助けにきてくれたよ」

「ん・・・何や・・・山田?・・・助けに?・・・何やと!」

 寝ぼけ眼だった慎吾は、竜太の言葉を理解すると突然ガバッと跳ね起きた。

「山田はんが・・・竜ちゃん、ほんまか」

「本当だよ、ほら、あそこにロープが垂れている。ああ、山田さんの呼ぶ声が聞こえる」

 慎吾の耳にもヤムダンの発する全宇宙言語自動翻訳機を経由した機械的な声が届いた。

「慎吾さん、急がなきゃ。星尾たちに見つかると厄介だ」

「そうやな、ここまできて見つかってもうたら、さっぱりワヤやさかいな」

 竜太は駆け出そうとしてピタリと止まった。慎吾が何事かと振り返る。

「何や竜ちゃん」

 竜太は顎に指を当てて少し首を傾げて考えている。芥川龍之介のポートレートを真似しているのだろう。

「慎吾さん、蜘蛛の糸だよ」

「蜘蛛の糸? りゅうちゃんはりゅうちゃんでも、芥川の方の龍ちゃんかいな。それがどないしてん」

 将来に対する唯ぼんやりとした不安を感じているかのように、竜太は静かに言った。

「だから、あのロープに掴まってふたりが一緒に登ると、途中で切れるかもしれない」

「うん? ワイは『このロープはワイのもんや』とか『下りろ』なんて言わへんで。カンダタとは違うさかいな。そういう自分だけ助かろうという無慈悲な心は・・・」

 竜太が違う違うと掌を横に振った。

「いやいや、そういう高尚な問題ではなくて、単純にふたり分の体重を支えられるかどうかという問題だよ」

 慎吾がハアと頷く。

「なるほど、そっちの問題ね。ほんなら順番やな」

「ジャンケンで勝負だ」

 竜太の目が光った。勝負師の顔だ。その顔を見て慎吾が不敵に笑った。

「よっしゃ、ワイは浪速のジャンケン小僧や。素人にジャンケンで負けたことがないんやでぇ、心して掛かってこい」

 ジャンケンに負けた慎吾が悲しげな顔で見守る中、竜太はロープをゆっくりと登った。


 十五分後、竜太に続いてロープを何とか登り切った慎吾が、鍾乳洞の地面に寝そべり、ハアハアと荒い息を吐いている。その横で、竜太は胡坐をかいている。

「とにかく、助かってよかった。山田さんのおかげだ」

「ほんまや、山田はん、あんた、よう戻ってきてくれたなあ。ありがとうさんやでえ・・・実は、逃げたんとちゃうかと疑ごうとったんや、堪忍してや・・・ん? 山田はんがおらんでえ」

 気が付くと、ヤムダンの姿が見えない。竜太はキョロキョロと周囲を見回した。

「あれ、本当だ。さっきまでここにいたのに、どこへ行っちゃったんだろう」

 ヤムダンがふたりを囮にしてひと騒動起こし、その間に星間飛行艇に乗り込むべく、星尾たちを呼びに行っているとは、竜太も慎吾も思いもしない。

「トイレにでも行っとるのとちゃうか。そういえば・・・何やらもようしてきたわ」

「冷えたからね。それじゃあ連れションとしゃれこみますか」

「よっしゃ、ワイは浪速の小便小僧や。掛かってこい、いや、掛かったらゴメンやで」

「そんな汚い・・・」

 お気楽コンビは大きな石筍の陰に隠れるようにして、並んで用を足し始めた。


 鍾乳洞の奥からザワザワという喧騒が伝わってきた。それは直ぐに大きくなり、やがてバタバタと大勢の人が走る足音に変わった。ヤムダンの通報を受けて、星尾たち天河集落の男衆が竜太たちの捕獲のために走ってきたのだ。相変わらず物騒な得物を持っている。

 先頭を走る星尾が、落とし穴に渡された廃材の柱と穴の中に垂れ下がっているロープに気付いた。

「落とし穴が開いちゅう。誰が手引きをしたか知らんが逃げられた! 裏の階段を使って逃げちゅうに違いない。まだ、そんなに時間は経っちゃあせんはずじゃ。追え! 逃がしたらいかんぜ!」

 オウ! という男衆の声が上がる。星尾たちは鍾乳石のカーテンに刻まれた急な階段を駆け上った。

 旋風が吹き抜けた後のように、周囲に静寂が戻った。竜太と慎吾は用を足した石筍の陰からヒョコリと顔を出した。連れションがふたりを救ったのだ。

「何だか分からないけど、とにかく助かったみたいだ」

「いまのところはな。助かったいうてもまだ鍾乳洞の中や。問題は、これからどうやって外へ出るかや」

 慎吾はそう言いながら、何かに濡れた右手をさりげなく竜太の上着の裾で拭いた。

「ご神体のある大広間には人が残っていないんと思うんだ。いたとしても男性は少人数で残りはお婆さんばかりだ。それなら何とかなりそうだ」

 竜太はそう言いながら、何かに濡れた左手をさりげなく慎吾の肩に載せた。これでおあいこだ。

「そやな、いまのうちにお社の中に通じる階段から逃げるか。よっしゃ、竜ちゃん行くでえ」

「そうだ、山田さんはどうします?」

 慎吾がムウウと唇を突き出した。

「山田はんかいな、まったく、この忙しいときにどこへ行ったんやろう。とにかく、ご神体のある大広間まで行ってみようやないけ。あっちで衣装係の佐藤さんを探しとるかもしれんさかいな」

「そうか、佐藤さんも監禁されていたんだっけ。よし、とにかく行ってみようか」

 竜太と慎吾は天河様のご神体のある地下の大広間に向かって走り出した。

 仮に、山田と佐藤が見つからなくても、竜太たちだけでも脱出できれば、後から救援隊を連れてくることもできる。竜太の脳裏に獅子舞の獅子頭にそっくりな近藤巡査の顔が浮かんだ。救援隊としてはちょっと心配だが、いざとなれば腰の拳銃が火を噴くのだ・・・とにかくこの鍾乳洞から逃げることが先決だ。

 走り出してから直ぐに、竜太の下腹がグルッと嫌な音を立てた。熱い塊が腸の中で暴れているような・・・グルグルグル・・・不気味な音とともに差し込むような痛みが下腹を襲う。竜太は走りながら左手を下腹に当てた。脂汗がじんわりと額に滲み出てきた。不気味な音と痛みが間欠的に竜太を襲う。そしてその間隔は確実に短くなっている。冷えたせいだと竜太は思った。横を見ると、慎吾も顔をしかめて下腹を抑え、懸命に痛みをこらえて走っている。

「慎吾さん・・・お腹が・・・痛くて・・・」

「竜ちゃん、ワイもや・・・なんぞ悪いもんでも食べたかいな・・・」

「山田さんの置いていった非常用携行食しか食べてないんだけど」

「ワイもや・・・まさか消費期限が過ぎとったんとちゃうやろな」

「さあ・・・ウグウ・・・やばい・・・」

「ワイも限界が近づいとる・・・どこぞにトイレはないかいな」

 ヤナシス星人用の非常用携行食は、地球人の体内では消化できなかったのだ。それは異物として体外に放出されるべく、急速にふたりの消化管を下っていた。

 脂汗を流しながら必死に走る竜太たちの目の前に、天河様のご神体が見えてきた。案の定、ご神体の周りは人影がまばらで、奇怪な仮装をしているがいずれも老婆のようである。ふたりの限界は近い。しかし、さすがにご神体の前では恐れ多い・・・神の怒りに触れるかもしれない、いや、確実に触れるだろう。

 痛みのために霞んだ竜太の目に、ご神体の前に横たわっている銀色に光る物体が見えた。

 ・・・あれは山田さんの張りぼてUFOだ。UFOの入口のドアが開いて、中から山田さんが出てきた。やはりここにいたのか。・・・手に何かを持っているようだ。・・・張りぼてUFOの中なら、がらんどうだしドアを閉めれば人の目にも触れない。あの大きさだ、ふたりが並んでも十分に用を足せる。・・・

「慎吾さん、あれ・・・まさに渡りに舟、私にUFOだ」

「竜ちゃん、うまい・・・いや、そんなこと言うとる場合やないんや」

 ヤムダンは星間飛行艇のドアを閉めようとして、ギョッと後ろを振り向いた。竜太と慎吾が鬼のような形相でヤムダンに迫っている。ふたりを囮にしたことがバレたに違いない。

「ああ、怒らないで。あれは仕方なくやったことで・・・?」

「山田さん、邪魔だ」

 竜太に突き飛ばされたヤムダンが星間飛行艇から地面に転げ落ちた。竜太と慎吾が星間飛行艇に飛び込むや否や、入口のドアがバタンと閉まった。

 五分後。

 星間飛行艇の入口のドアが静かに開いた。先程と違って、極楽にいらっしゃるお釈迦様のように穏やかな顔をした竜太と慎吾が静々と外に出てきた。背後から神々しい後光が差しているようだ。口元には慈愛に満ちた笑みが浮かんでいる。

「竜ちゃん、間に合うたな」

「ええ、張りぼてUFO様様だ。張りぼてといっても内装は手が込んでいたなぁ、本物みたいだった。そうはいっても、本物のUFO何て見たことないけどね。あ、山田さん、さっきは突き飛ばしたりしてすみませんでした。何しろ急いでいたもので、怪我はない? それはよかった・・・ああ、山田さん、ドアを開けたちゃダメだよ。見ない方がいい。それに臭いが漏れると困るから」

 意味不明な言葉を発した竜太を疑いの目でジロリと見てから、ヤムダンは思い出したように天河様のご神体に顔を向けた。とにかく時間がないのだ、ミッション遂行だ。ヤムダンの掌にはバラリウム重粒子放射銃がすっぽりと収まっていた。発射される高エネルギー重粒子弾のパワーを最小に調整してから、ヤムダンはご神体の前に立った。異形の老婆たちが何事かと竜太たちの後ろを囲む。

 腹痛から解放された竜太は、ご神体の前に立っているヤムダンの肩に手を置いた。とにかく、星尾たちが戻ってくる前に、早くここから逃げ出さなければならない。ぼやぼやしている時間はないのだ。

「山田さん、いったい何を・・・」

 竜太の声が終わらぬうちに、ヤムダンの手から閃光が迸った。

 バラリウム重粒子放射銃から発射された高エネルギー重粒子弾が天河様のご神体に命中した。イシュウの小型探査艇の表面を覆う鍾乳石が半ば融け、半ば粉々になって吹き飛んだ。ご神体の周囲を取り囲むように立っていた十二基の石灯籠は、全て同じ方向になぎ倒されてバラバラに壊れている。最小パワーでこの威力である。

 不思議なことに爆発音も爆発による衝撃波も周囲には伝わってこない。効果音のないアクション映画を見ているようだ。

 直径十メートル、高さ七メートルのずんぐりとした形状の石筍は姿を消し、小型探査艇が姿を現した。その姿は三方の上に置かれている鏡餅の姿にそっくりだ。しかし、墜落した際の衝撃によるものだろう、小型探査艇の周囲を取り巻く麦わら帽子の鍔のような主翼部分が半分ほど千切れ飛んでいる。その上の本体部分も大きくひしゃげていて、巨人の大きな拳で殴られたように陥没している。本体下部に付いている三つの半球状の突起物のうち、ふたつは潰れた卵の殻のように割れている。

「山田さん、これは・・・」

 墜落したUFOの残骸らしきものを目の当たりにして、竜太は二の句が継げない。慎吾は眼を見開いてパクパクと口を動かしている。おそらく頭の中はショートしているのだろう。鼻の穴からうっすらと煙が出て・・・いないようだ。

 ヤムダンが説明しようと口を開きかけたとき、鍾乳洞の奥から星尾の狂ったような叫び声が響いてきた。

「おまんらぁは何をしゆう! 罰当たりな!・・・許さんき覚悟しいや!」

 星尾の声とともに、天河集落の男衆が口々にオウオウと叫びながら鳶口や鎌を振り上げた。男衆は竜太たちに向かって一斉に走り出した。男衆の目が血走っている、このままでは殺される! とにかく逃げなくては。

「あわわ、竜ちゃん、こらあかん」

「慎吾さん、逃げよう」

 竜太と慎吾がお社に通じる階段に向かって走り出そうとしたとき、待てとばかりにヤムダンはふたりの手を引いた。

「どうしたの、山田さん。早く逃げないと殺されるんだよ」

「ミッション遂行です。この中に入れば、彼らは手出しできません」

 ヤムダンは小型探査艇に近づくと、本体部分にスッと手を当てた。人目には分からない開閉スイッチがあるのだろう、音もなく入口のドアが開いた。

「さあ、早くこの中へ」

 ヤムダンが先頭で小型探査艇の中に入り、竜太と慎吾がそれに続いた。慎吾の姿が小型探査艇の中に消えたと同時に、入口のドアが音もなく閉まった。

 一足違いで星尾と男衆が小型探査艇の前に駆け寄ったが、星尾たちにはこれ以上なすすべがない。星尾と男衆は血走った目で物騒な得物を持ったまま、無言で小型探査艇を取り囲んだ。

 これで竜太たちの逃げ道はなくなった。

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