普通とは Ⅲ
普通について、ここ数日寝る前に考えている。頭の中の自分の思ったことを日記に書き連ねているうちに、月の形も変わっていた。──最初に見上げた時は満月だった。と覚えている。──それほど時が過ぎたのだろう。
僕が居なくなって、私だけになったから普通になれた。まあ普通といっても、この国では、だけれど。他の国では、ミィアス国よりも、この ≪神の力≫ について正確に知っている人は少ないらしい。力を持つ者は迫害されている国もあるそうだ。
たまに、僕だけの世界があったら、僕のプシュケーも受け入れられていたなら、なんて考えてしまう。それは罪なのだろうか。僕にも私が仕えることができている美しい方について知ってほしかった。今よりもっと研究が進んで、もしかしたら──。なんて思ってしまう。僕は野放しに出来ないと教わった。だから、私と僕は離れ離れにならざるを得なかった。でも、あのまま、私が僕に乗っ取られてしまったら、どうなっていただろう。大切な人を守るために力を使うのではなく、僕由来の力は、誰かを傷つける事に長けていると聞いた。
私が今住んでいるここ、ミィアス国では王が ≪神の力≫ を持つ者を管理できるからこそ、私のような人間でも普通として生きていられる。私にそのきっかけを与えてくれたあの人は、≪神の力≫ を持つ者を保護する任務を王から与えられていた。 ≪神の力≫ は力が強力な分、少々複雑な性質をもっているからだ。コントロールをしっかり学ばないと、プシュケーも器も壊れてしまう。そして、王との契約で力を縛らなくてはいけない。
何故なら、例えば、≪神の力≫ は時として、その力の使い方次第で脅威になってしまうからだ。そしてある条件が揃うと、≪呪い≫ や ≪混乱≫ を発生させ自我が保てなることから、常に王の制御が必要とされている。
ある国では、生まれてきた子どもが力を持っているとわかった時点で、一族もろとも滅ぼされるという。人では太刀打ちできない異常な力を恐れて……。研究が進んでいない国、理解が及ばない国では、そういった迫害を受けてしまうそうだ。
では、なぜミィアス国の王は代々、神の代わりに力を管理出来るのか? それは神から与えられた契約の──。
「ノータナー、起きてる? 」
日記に誤字脱字がないか確認していると、部屋の外から声をかけられた。もう少しで、エレーヌ殿下が起きる時間だ。いけない、少し夢中になりすぎていたようだ。この宿舎まで来ることができるのは、≪神の力≫ 研究の第一人者であるアーティ殿下だろう。身支度はもう済んでいるので、返事をする。
「お待たせしてすみません。今…… 」
「よい朝だね、ごめんね朝早くに。今日はちょっと時間がないから、今しか渡せないと思って……。はい、おまたせ! 」
朝の恭しい挨拶を嫌う殿下にその言葉を遮られて、渡されたのは、預けていたもの。──エレーヌ殿下との契約の証である玉だ。日中はいつもエレーヌ殿下とそばにいるから安心だが、ふとした瞬間に私たちの繋がりを証明する何か実体を持つモノが欲しくて、心許ない日々を送っていたところだ。
受け取った玉は首から掛けられるようになっていた。手編みで造られたそれは、研究の合間にアーティ殿下が仕上げてくれたのだろう。玉を優しく包み込むように設計されている。これなら、肌身離さず持っていられるだろう。
「アーティ殿下、ありがとうございます……! 」
プシュケーが不安定になるのを恐れて、喜怒哀楽をおもてに出さないように常日頃心掛けていたが、嬉しさと感動から、つい声が弾んでしまう。
「うん、喜んでくれたようでよかった。 君もまだ子供なんだから、そんなに感情を押さえつけなくてもいいんだよ 」
私の表情を読みとって満足そうに半月型に口を変えたアーティ殿下は、「じゃあね 」と手を振って小走りで去っていった。お忙しいお方だ。
早速玉を首にかけ、空にかざして眺めてみる。陽の光を閉じ込めたような色が私を照らしている。よかった、拠り所が戻ってきた。エレーヌ殿下の色だ。
これなら、失くすこともないだろう。万が一、私が僕に支配されることがあっても、あの方と同じ輝きを持つこの玉が救ってくれそうな気がした。
「……はやく会いに行こう」
いつまでも、見惚れてしまいそうな気がして、玉を大切に胸元にしまう。エレーヌ殿下のところへ向かうために、もう一度身だしなみを確認する。よし、大丈夫。いつも通りの私だ。
宿舎と王宮は王宮や神殿を挟んで反対側にあるため、距離がある。歩いている途中で、ふと、アーティ殿下から先程、指摘された事を思い出す。
「……感情、か……」
家族と暮らしていた時は、他の兄弟と比べると感情的になることが少ないので両親に、我慢していないか心配されていたくらいだ。兄弟喧嘩も滅多にしたことがない。我儘になり、感情が爆発してしまうのは私と僕がごちゃ混ぜになった時くらいだと、あの人は言っていた。
もしかすると、僕は私とまるっきり反対の人格を持っているから、僕に乗っ取られないように、ごく自然と感情を私は押さえつけていたのかもしれない。夢の中だけに、僕の行動範囲を止めるように囲いを作っていたのも、無意識によるものか。もしかして、感情を出すことが、僕が出てくるということに繋がる危機感から、怖くて感情を押し殺すのが癖になっているのだろうか?
階段をのぼり、エレーヌ殿下の部屋へ続く廊下をみると、エレーヌ殿下の部屋の前に立つ、アストレオス殿下の姿が見えた。
「エレーヌ、今日は僕と外へ行かない? 兄様は今日も体調が優れないらしいんだ。兄様には、アーティ叔母様も会っちゃダメだって言ってた 」
エレーヌ殿下と生まれつき同じ髪色をもつ少年が、これまた、エレーヌ殿下に似たような表情をして立っている。私とエレーヌ殿下の ≪血の契約≫ で人為的に構築された関係とはまた違う、生まれる前から運命的に結ばれていた、普通の兄弟とも異なる絆で結ばれた、エレーヌ殿下と双子のアストレオス殿下。
御二方の御髪は特別だと言わんばかりに同じ色を持っている。そのいかにも一つの色を二人で共有している、アストレオス殿下にはついつい、嫉妬してしまいそうになる。
器が二つで、生まれる前から一緒の御二方。その続柄は、器が一つで人格は二つの私と僕に似ている。私と僕は決別しなければならなかった。だから、双子という、決して壊すことのできない、特別な関係性が心底羨ましい。
──私が失ってしまったものをエレーヌ殿下は持っている。
エレーヌ殿下が部屋から出て、こちらに気付かずに、アストレオス殿下に笑いかける。それにつられて、アストレオス殿下は、エレーヌ殿下にとてもよく似た笑顔をみせる。二人だけの世界。生まれる前から決まっていた、それは、決して離されることはない。どちらも互いを信頼し、よき相談相手になっている。そしてそのプシュケーも美しい。私が求めていたもの。私と僕もこうでありたかったという願望が、目の前にあるではないか!!
喪失感と羨望……。いくつもの感情が頭の中を駆け巡る。私がエレーヌ殿下に抱く感情が何なのか、今、わかってしまった。正解に辿り着いてしまわないように、それを避けようと、自己防衛のために、反対の性質を持つ普通について考えてきた。無意識に守っていた。それなのに──!!
エレーヌ殿下が私にとっても、特別だとはっきりとプシュケーに刻みつけられてしまった。
──あぁ、これはコンプレックスだ。




