普通とは I
きっちりと背を伸ばし、五メートル先を見据えて、真っ直ぐ自室へもどる。道すがらの周辺警備も怠らずに。任務上、癖になってしまったのだろう、足音を立てないように、息を殺して、辺りを警戒しながら消灯後の廊下を急いだ。宮殿を通り抜けると、寄宿舎が見えてくる。部屋に入って、寝台に腰掛けて、やっと今日の任務が終わったと実感できる時が来た。懐から、あの時に戴いた、玉を取り出して、月の光に照らして見た。それは主人の力とプシュケーの美しさを体現しているようでいて、キラキラ輝くこんなにも綺麗な玉を私が持っていていいものだろうかとさえ思えてしまう。
今日、はじめて面と向かって、その名を呼ぶことができた、私の主人となる人を思い出す。前から、呼びたかった名前。はじめて私を映してくれるその瞳。
「エレーヌ殿下…… 」
月明かりに照らされてキラキラ輝く髪を持つ、私の主人であるエレーヌ殿下の眠る姿は、言葉で言い表せないほど美しかった。私が部屋でこんな夜更けまで待っているとは思わなかったのだろう、エレーヌ殿下は、目を覚ますとパニックに陥っていたようだ。私が近寄って声をかけるまで、誰だかわからずに、恐怖心を抱かせてしまった。バタバタ暴れるエレーヌ殿下を落ち着かせるように、優しく──これは、師匠でもあるアーティ殿下に習った方法のひとつである。──これ以上、怖い思いをさせないために、声をかけた。そしてエレーヌ殿下は、驚いた表情で私を見つめた。
──私の眼の色と逆の色。私が失ってしまった色。
その瞳を持った、エレーヌ殿下を見た瞬間、何かに引き摺り込まれるようにしてプシュケーが共鳴した。そして、先ほど契約時に感じた、痺れが蝕むほどの強いプシュケーの縛り。これは、エレーヌ殿下と私を結ぶ ≪血の契約≫ に由来するものだろう。思い出すと、契約のせいか今でも心臓が落ち着かない。
それに加えて、契約で出来た繋がりを体現する、エレーヌ殿下の眼と同じ色をした玉を見つめると、じんわりとあたたかい気持ちになる。これはどんな気持ちだろう? こんな感情は、教えてもらったことなど、未だなかった。これも、契約の影響だろうか? 陛下よりこの契約の説明を受けた際には、聞いていない。はじめての試みであるから、わからないこともあるのだろう。後日まとめて、アーティ殿下に報告しなければと、今までのことを書き留めた。
王に任務を与えられた時のことを思い出す。これは、私の力を見込んで頼まれた、例外的な役割。神の力を持つ者の中でも、役割を持つには少々早い年齢らしいが、歳が近い方が互いのプシュケーの育成上や力にとってはいいらしい。
「ノータナー。エレーヌを頼むよ。エレーヌは私たちにとって特別な子だ 」
あの方は特別。普通ではない力を持つ者の中でも、更に特別。陛下がそう言って念を押すお方だ。──私たちにとって、特別な存在であるエレーヌ殿下。エレーヌ殿下と例外的な契約で結ばれた私は、あの方の特別になれるだろうか?
そんな烏滸がましい考えを忘れようと必死に別のことを考える。頭のなかで、言葉を置き換えてみる。特別の反対は普通。──普通の関係。でも、 ≪血の契約≫ を結んだからには私たちは普通とは言えないだろう。
「普通ってなんだ…… 」
私にとっては普通でも、ある人にとっては普通ではないのかもしれない。人間の規則的な日常に突然、非日常的なモノが入ってくる。やがてそれを受け入れられたのなら、それはその人にとって普通になるたろう。だが、他の人にはそのモノは普通ではないだろう……。私はすっかり普通というモノがわからなくなって、目が冴えてしまった。そわそわして、落ち着かない。そんな時には、決まって日記を書く。
「もし、何かが起こった時に必要な訓練だ 」
ある日、とある人に日記を書くように言われた。頭からアウトプットすることによる思考の整理整頓だそうだ。最初は、よくわからなかったけれど今もこうやって自分の頭の中を整理するために書いている。この習慣は、私にとっていいことらしく、筆がすすむ。今日は眠れなくなりそうだ。
何か人と違う点がある場合、二通りの見方があると教わった。──それは、異常もしくは特別。
その二つのどちらかの言葉に当てはめると、私の場合は、他の場所、例えばミィアス国以外の国では異常と言われるのかもしれない。
生まれてからずっと当たり前だと思って居たことが、他の人とは違うと気がついた時、これまでの普通が、音を立てて崩れ落ち、異常へと豹変してしまう。そんな経験がある。私は、それを幼少期にミィアス国外で実感してしまった。
幼い頃の私は、『起きている私と、夢の中で生活する僕』一つの身体で二つの意識を持っていることが当たり前だと思っていた。
起きている自分が昼の世界、そして、日が沈み、夜になって日中の生活が終わり眠りにつくと、夢の中での私とは違う、僕が目覚める。夢の中では、名前も違う僕は色々な場所に行ける。太陽が出ている時にしちゃいけないことだってできた。
──みんなそうだと思っていた。
夢の中で体験した不思議な出来事を幼い私は、普通の話と同じように周りに話していた。そんな我が子をみた両親は、最初は子ども特有の作り話だと思って微笑ましく見守ってくれていたらしい。我が家は他の国に行く仕事をしていた父について、色々な国を点々と巡っていた。そのため、どうも、私は生まれた場所とは違う、さまざまな地域の文化に影響を受けて、その様な奇想天外な話をしていると思っていたそうだ。
そんなある日、太陽が出ているのに僕が出てきた時があった。僕は、空を鳥の様に飛んでみたいと思った。夜には出来ていたから、陽がのぼっていてもできると思った。でも、日が出ているから出来なかった。屋根から飛び降りた僕は、幸いにも大きな怪我こそしなかったが、こっぴどく叱られた。
私が成長するにつれて、眠っているのが私なのか、夢の中を起きているのが僕なのか、混ざってしまっていた。
両親は段々と私の異変に、気がついていったらしい。他の兄弟と比べて、この子はもしかしたら普通のことは違うのではないか? と。父は人脈を活かして色々な人に相談していた。神殿にも連れて行かれた。
ある日、父が、ミィアス国の人を連れてきた。人伝に私のことが伝わっていたらしく、その人は、私を一目見ると大慌てで、両親に告げた。その人曰く、私は他の子とは違うらしい。
「 ≪神の力≫ を持つ子どもだから、力をコントロールできるようになるまで、この子は他の人と離ればなれにしないと行けません 」
とその人は私たちに言った。父は思い当たる節があったのか、黙っていた。母は突然のことに驚愕しつつ泣いていた。
その人は幼い私にも分かりやすいように、丁寧に ≪神の力≫ について教えてくれた。
≪神の力≫ とは、普通の人が持っていない神聖な力。その人の国では、大体王家の血が流れる人が持っている。稀に、王家と関係がなくてもその力を持って生まれる場合があるが、それは過去に血が混ざっている事が多いらしい。そして、その力に目覚める時は、人それぞれだという。
力は時より暴走してしまう恐れがあるので、コントロールできるようにならなければいけない。そして、その力を持つ者は王によって管理される。なぜなら、その力は人智を超えた ≪神≫ に由来する膨大なモノだからだ。人間がひとりで扱い方も知らずに制御も出来ずに生きられた試しがないそうだ。
私は幼いながら力に目覚めてしまっていて暴走を起こしかけているので、ミィアスの王が建てた寄宿舎に入り、管理下に置かれ、力のコントロールを学ぶ必要があるという。自らの子供との突然の別れに混乱した母は見たことも聞いたこともない声で、ミィアス国からきた人に聞いた。
「……今すぐにですか? 私たちの子は普通でないから、他の子と違うからって……、こんな小さいのに親元を離れなければいけないのですか? 」
涙ながらに話す母に尋ねられたその人は、躊躇いつつもある提案をした。
「この子を一年だけ、ご家族の元で暮らすことが可能か検討してみます……本当に特例です。 許可が出るかは保証できません。……そして何があってもいいように、制御ができる私がこの地域に居住して、この子を見守り、教育します。他にもこの子を守るために条件をつけようと思います。……いかがでしょうか? 」
「是非、なんとしてでもお願いします……!! どうか……!! 」
この時のことを、今でも覚えている。それから、両親とあの人の懇願で王の許可を貰い、条件付きで、あの人から ≪神の力≫ について教わるようになった。その条件がなかなかややこしかったそうだ。
これは、後から聞いたことだが、この出来事をきっかけに幼少期の ≪神の力≫ を持つ王族以外の子どもたちの保護制度が再度見直されたらしい。
「とても苦労したが、かねてより私も王も検討していたことだった 」
と私と同じような過去を持つあの人は、昔を懐かしむ様に目を細めながら、よく言っていた。
それから一年間、あの人から厳しい訓練を受けた。そのおかげで、私はいまここにいる。
今は亡きその人を思い、月を見上げた。
数話ノータナーの日記が続きます。
彼目線でのこの国とエレーヌたちです。
よろしくお願いします。




