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あの日、雨が降っていなければ  作者: 貴堂水樹
第一章 一点の黒い染み
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4-4.刑事になる人

「ありがとうございました、賢志郎くん。きみのおかげで、また少し前へ進めそうです」

「いや、俺のほうこそ」


 桜介に深々と頭を下げられ、賢志郎は慌ててぺこりとお辞儀する。もとはと言えば賢志郎のわがままからはじまったことだ。桜介に対し感謝こそしても、感謝されることなどなにもない。


「他になにか訊きたいことはありますか? 話せる範囲でお答えしましょう」

「あぁ、えっと……」


 突然の申し出に戸惑ったが、せっかくの機会なので何か訊いておこう賢志郎は頭を働かせた。


「じゃあ、ひとついいですか」

「もちろん」

「お姉さんは、どうしてあの公園に?」


 桜介の表情が一瞬曇る。しかしすぐになんでもない口調で話し始めた。


「父を見舞うためです」

「お父さんを?」

「ええ。事件当時、父が左座名市民病院に入院していたんです」


 入院、と賢志郎は険しい表情で繰り返した。


「硲さんも左座名出身なんですか?」

「いえ、実家は鷲見すみです。今は汐馬でひとり暮らしをしていますが」


 桜介の出身地である鷲見市は、左座名市の東部と隣接している小さくてのどかな街だ。東から鷲見、左座名、汐馬の順で並んでおり、汐馬の南西に瀬鞠川市がある。


「入院と言っても、盲腸の手術をしただけなのでたいしたことはなかったんですが、咲良は昔から父にべったりでしてね。入院中は毎日のように学校帰りに病院を訪れていました。ご存じのとおり、市民病院は公園のすぐ東側。駅と病院を行き来するには、公園を横切るのが最短距離です」

「あゆと同じだ……」

「ええ。おそらく駅から杏由美さんと同じルートをたどって公園に入ったのでしょう。先ほどきみが指摘したように、仮に犯人が突発的・衝動的に事件を起こしていたのだとすると、もしかしたら犯人はこのあたりに住んでいる、あるいはこのあたりの学校にかよっていたり会社に勤めていたりするのかもしれませんね。シリアルキラーというのは、基本的に僕らと変わらない普通の生活をしていて、自らの慣れ親しんだ土地でターゲットを物色することが多いという研究データもありますから」


 なるほど、と賢志郎はうなずく。このあたりの人間なら、現場周辺の地理に詳しいことにも納得できる。土地勘があれば、人に見られる可能性の少ないルートを選んで逃げることだってできるはずだ。

 そして桜介の姉・咲良も杏由美と同様、偶然あの公園の前を差し掛かったところを襲われている。犯人が計画的に動いていたとする推理はやはり当てはめにくいのではないかと賢志郎は思った。


「他には?」


 桜介に促され、賢志郎はしばし黙考してから顔を上げた。


「さっきからよく出てくる、シリアルキラー? でしたっけ。そういう専門的な知識って、警察学校で習うんですか?」

「教えてもらえるものもありますが、僕の犯罪学に関する知識はほとんどが独学によるものです。僕は高校を出てすぐ警察官になりましたから、犯罪学のように大学の専門課程で習うような知識はからっきしで。咲良の事件の解決に役立ちそうなものを、仕事の合間に片っ端から頭に叩き込んでいった感じですね」

「へえ、すごいな。話を聞いてて、すげー頭のいい人なんだろうなーとは思ってたけど、想像以上に勉強熱心で驚きました」

「恐縮です。自慢するわけではありませんが、一応高校は園山そのやまを出ていますので」

「マジで!? はぁん……そりゃ賢いはずだ」


 県立園山高校といえば、県内では東大進学率ナンバーワンの超難関進学校だ。どうりで、と納得する一方で、咲良が殺されていなければ、桜介だってきっと難関大学に進んでいたのだろうなと、賢志郎は来るはずだった明るい未来を失ってしまった桜介に対し、いたたまれない気持ちになった。


「まだ、お訊きになりたいことはありますか?」


 賢志郎の浮かない顔つきを見てか、桜介はやや大袈裟に笑みをつくって賢志郎に傾けた。


「あ、じゃああとひとつ。これは俺の個人的な興味なんですけど」

「はい、なんでしょう?」

「刑事になる人って、みんな硲さんみたいな感じなんですか?」

「……というと?」

「ほら、家族が犯罪被害者で、とか……そういうのがきっかけで、みんな刑事を目指すのかなぁって」


 桜介はかすかに眉を動かすと、興味ありげな顔で賢志郎を見た。


「きみ、刑事になりたいんですか?」

「いや、そういうわけじゃないけど。単純に興味が湧いたっていうか」


 本当に刑事になりたいと思って尋ねたわけではなかった。賢志郎は昔からバスケットボールの指導者になることを夢見ていて、大学は教育学部に進んで教員免許の取得を目指すと決めている。

 そんなことはつゆほども知らない桜介は、苦笑混じりに「やめたほうがいいですよ」と言った。


「想像以上に厳しい職場ですからね、刑事課は。〝働き方改革〟なんてものが叫ばれる時代の中にありながら、うちは希望どおりに休みを取れないことが当たり前です。よほどこの仕事に憧れているか、僕のようになにか特別な理由でもない限り、オススメはしません」


 涼しい顔でカップをからにした桜介にどんな顔をすればいいのかわからず、賢志郎は誤魔化すように夏みかんジュースのグラスに手を伸ばす。溶け出した氷のおかげで、すっかり味がぼやけてしまっていた。


「質問にお答えしましょう。僕のように身内に犯罪被害者がいる人も中にはいますが、ごく少数です。ご自身が犯罪被害者である場合も同様、過去になんらかの犯罪にかかわった経験のある人はあまりいません」

「自分が被害者って人もいるんですか?」

「ええ。空き巣に入られたとか、ひき逃げに遭ったとか。犯罪とは少し違うかもしれませんが、昔学校でいじめに遭っていた、なんていう方もたまにいらっしゃいます。そうそう、交番勤務時代にお世話になった先輩で、中学生の頃、ご家族の方に首を絞められて殺されかけたっていう方がいましたね」


 な、と賢志郎は目を見開いた。


「嘘だろ」

「本当、嘘みたいな話ですよね。ですが、家族間の問題がこじれて殺人事件に発展するケースはままあります。心を許しあえる身内同士だからこそ、高ぶった気持ちに歯止めが利かなくなってしまうのでしょうね。人というのは、案外簡単に一線を越えてしまうものなのかもしれません……僕らが思っている以上に、軽く」


 遠い目をする桜介に、賢志郎は何も言えなかった。


 怖いと思った。自分や桜介も、きっかけさえ与えられればいつか人を殺してしまうのだろうか。そう考えると、恐ろしくて仕方がない。


 桜介の視線が戻ると、彼は穏やかな笑みを浮かべて話を続けた。


「その先輩は採用からもう十年以上になりますが、今でも交番勤務を続けています。犯罪が起きてから動くのではなく、できることなら未然に防ぎたいと言っていました。熱心に担当地域をパトロールして、少しでもおかしい、様子が変だと思った人がいれば積極的に声をかけるよう心がけているのだそうです」

「へえ、かっこいいね」

「ええ、僕もそう思います。尊敬する先輩のひとりです」


 うんうん、と賢志郎は納得の顔で首を縦に振った。そういえば一学年上のバスケ部の先輩で、副キャプテンを務めていた人がちょうどそんな感じだったな、あの人も熱心に部員たちに声をかけていたっけ、なんてことを思い出し、少しだけ気持ちが沈んだ。今はあまり、バスケ部のことは考えたくなかった。


「そういうわけで」


 桜介が話を再開した。


「今の話からもわかるでしょうが、犯罪被害者だからといって、必ずしも刑事を目指すとは限りません。彼のように警察官になる人はいても、刑事になるかどうかはまた別の話。警察には刑事課以外にもたくさんの部署がありますし、どのようにして犯罪と向き合っていくかはその人次第というわけです」


 そうなんだ、と賢志郎は満足げにうなずいた。


「警察官に対して〝強さ〟や〝力〟をイメージする人はやはり多いですし、実際そういったものに憧れを抱いて警察官になる人もいます。僕も半分はそうですしね」

「えっ、硲さんも?」

「はい。僕の場合は咲良の死の真相を暴きたいという気持ちももちろんありますが、採用試験でそんな話をするわけにはいかないでしょう? 面接官に志望動機を訊かれた時、僕はこう答えました――大切な誰かを守れる力がほしい、と」


 とくん、と賢志郎の心臓がやや大きく脈打った。

 わかる。すごくよくわかると賢志郎は思った。あの日、あゆを守れるだけの力が俺にもあれば、と。


 この三ヶ月間、途切れることなく襲いかかってくる後悔の念にどれほど神経をすり減らしてきたことか。どうしてあゆが傷つけられなくちゃならない? どうして俺はあゆを守ってやれなかった? どこで何を間違えて、あゆの笑顔と声を失うことになっちまったんだ――?


 苦しい。賢志郎は目を伏せる。

 もうずっと、このぶつけようのない苦しみから逃れられずにいた。犯人を見つけ出したいと思ったのも、あるいは自分がこの苦しい毎日から逃れたいだけなのかもしれない――賢志郎はここ数日、うっすらとそんなことを感じ始めていた。同時に、俺はなんて薄情なんだろう、結局は自分が可愛いだけなのかと自己嫌悪に陥った。


「賢志郎くん?」


 はっと我に返って正面に座る桜介に目を向けると、彼は怖い顔で賢志郎を見つめていた。


「大丈夫ですか?」

「あ、はい……平気です」

「そういえばきみ、風邪気味だと言っていましたね。すみません、長々とお引き留めしてしまって」

「いや、ホントに大丈夫です! そもそも俺が無理を言って来てもらったんだから」

「そうでしたね。今思えば、いい選択をしたものです。大変有意義な時間を過ごすことができました」


 ありがとうございます、と桜介は座ったまま慇懃いんぎんに頭を下げた。賢志郎も彼に倣ってお辞儀をする。このやりとりは今日二度目だ。


「なにかあったらいつでもご連絡ください。僕もきみに訊きたいことがある時はまたこちらへ伺います」


 桜介はジャケットの内ポケットから名刺入れを取り出し、一枚抜き取って賢志郎に手渡した。


「裏に個人用携帯の番号が書いてありますから、遠慮なくかけてきてくださいね」


 言われるがままに裏返してみると、右下の隅に080から始まる十桁の番号が手書きされていた。「ありがとうございます」と言って、賢志郎は名刺をブレザーの右ポケットに突っ込んだ。

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