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あの日、雨が降っていなければ  作者: 貴堂水樹
第三章 早く殺して、レイニーブルー

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4-2.告白

「全部おれがやったことだ。桜介……おまえのことは、おまえがおれのいた交番に送られてきた時からずっとわかってたよ。最初に殺した女の子に、おまえはあまりにも似すぎてた」


 双子なんだろ? と粟野は問う。桜介は動じることなく、粟野の姿を見下ろした。


「あなたでなければいいと思っていました」


 桜介が言うと、粟野はやや表情を変える。


「僕は本当に、あなたのことを尊敬していた。警察官としてのあなたの姿は、誰の目にも立派に映ったでしょう。交番勤務時代にあなたの指導を仰げたことを誇りに思ってさえいたんです。だから……」


 怒りと悔しさをないまぜにしたような声で桜介は続ける。


「犯人像が浮かび上がった時、確かに僕は真っ先にあなたのことを疑った。ですが同時に、僕は僕自身のことを疑いました。なぜおまえは粟野さんのことを真っ先に思い浮かべたのかと。あの人にどれほどお世話になったと思っているんだと」


 握った拳を震わせる桜介。多くを語らずとも、彼の心中は賢志郎にも理解できる。


「咲良が遺してくれた皮膚片のことは常に頭にあったので、DNA鑑定さえすれば答えははっきりするとわかっていました。県警まで出向いて科捜研にサンプルを持ち込んだ時は祈るような気持ちでしたよ……あなたでなければいい、一致しなければいいと、心からそう思った。なのに……!」


 ずっと悔しさが先行していたが、ここで怒りの感情が大きく前へと進み出る。瞳の中で真っ赤な炎を燃やす桜介に、粟野が「すまない」と涙声で頭を下げた。


「本当に悪いことをしたと思ってる。すまなかった。でも……おれひとりの力では、もうどうすることもできないんだ」


 粟野の頬を、一筋の涙が伝う。悲しくて流すそれではなく、途方もない無力感、歯がゆさ、悔しさ……やり場のない感情が、涙となってあふれ出す。


「ガキの頃、姉貴の左手に何度も何度も殴られたんだ。親でさえ、姉貴の暴力には手がつけられなかった。いつか姉貴に殺されるんだって、ずっとそう思いながら生きてきた。同じ屋根の下で暮らしている以上、長くは生きられないかもしれないって。でも……いざ首を絞められてみると、やっぱり怖かったんだ。死にたくなかった。やり返せばよかったのに、それさえも怖くてできなかった。首に巻かれたリボンを力ずくで剥ぎ取って、姉貴を蹴り飛ばして逃げ出すので精一杯だった。誰かに助けてほしかった。家にいたって、誰も助けてくれないから。だからおれは外へ逃げた。全然前が見えないくらいの大雨が降ってて、叫んだ自分の声さえも聞こえなくて、ただ雨音が……道路を打つ雨音だけが、ずっと耳の奥で聞こえてる。今でも、ずっと」


 堰を切ったように、粟野の口から次々と忌まわしい過去が語られていく。賢志郎は激しい胸の痛みに顔をしかめ、桜介は冷たい視線を粟野に注いだ。


「最初に市民病院の近くで襲った子……桜介、おまえにそっくりなあの子だ。あの子がおれの前に現れた時、死んだはずの姉貴が生き返って、またおれを痛めつけに来たんだと思った。一度そう思っちまったらもうおしまいだ。気づいた時にはその子のことが姉貴にしか見えなくなってた。姉貴に首を絞められてから、おれは次にいつ襲われてもいいように反撃するための武器を持ち歩くようになった。ナイフだ。姉貴を一発で仕留めるためのナイフ。使い方なんて持ち始めた当時はてんでわからなかったけど、それでも備えていなくちゃいられなかった。このナイフさえあれば姉貴に勝てる。丸腰で、ただひたすらに耐えて、逃げるばかりのおれじゃない。今のおれには、武器がある……そう思った次の瞬間には、あの子を公園のトイレまで引きずり込んでた」


 絶叫したい気持ちを、賢志郎は懸命にこらえる。とてもじゃないが、冷静に聞いていられる話ではなかった。

 その先のことは、語られずとも容易に想像がついた。必死に抵抗したという第一の被害者・硲咲良は、最終的に腹部を五箇所も刺されて殺された。目の前に座るこの男が刺し殺したのだ。姉の幻影を断ち切るために。


 四ヶ月前の、血まみれになった杏由美の姿が蘇る。杏由美もまた、この男に腹を刺された。


 ――こいつが、あゆを。


 拳を握る。吐き出す息が揺れる。

 怒りか、あるいは憎しみか。込み上げてくるこの感情の名を、賢志郎の頭はうまく理解できなかった。


「賢志郎くん」


 桜介の声に顔を上げる。


「大丈夫ですか」


 賢志郎は答えなかった。なにをもって大丈夫とするのか、判断基準が明確でない問いだ。


「桜介」


 粟野が青い顔で言う。


「この子は……?」

「彼は第三の事件の被害者・三船杏由美さんのご友人です。刺された杏由美さんを最初に発見したのが彼でした」

「そうか……きみにも申し訳ないことをしたね。本当にすまなかった」

「うるせえ!」


 粟野を見ないまま、賢志郎は叫んだ。


「聞きたくねえよ、そんな上《うわ》っ面《つら》だけの言葉!」


 辛辣な一言に、粟野はうなだれ、息をついた。


「そうだな、本当にそのとおりだ。ひとりめの子を殺《や》ってしまった時、素直に自首していればよかったんだ。なのにおれは、そこでもまた姉貴の影に惑わされた。全部姉貴が悪いんだ、おれが殺したのは姉貴だ、正当防衛だったんだって……そんなしみったれた被害妄想が、おれの頭を支配していた」


 言い終えるか否かというタイミングで、賢志郎は地を蹴り、粟野めがけて駆けた。

 次の瞬間。鈍い音が室内に響き渡る。

 賢志郎の右の拳が、粟野の頬を殴りつけた。


「もういい」


 地獄の底から這い上がってくるような声で賢志郎は言った。


「それ以上なにも言うんじゃねえ。殴るだけじゃ気が済まなくなる」

「構わないさ」


 粟野はあきらめたように笑った。


「なあ、桜介。おまえ……おれを殺すつもりで、ここへ連れてきたんだろ?」


 桜介は目を細めた。そして静かに、スーツの内ポケットから折りたたみ式のナイフを取り出した。


「考えられる限りの手を尽くして、あなたを痛みと苦しみの谷底へ叩き落としたあとで」

「そりゃあいい。おれに似合いの死に様だ」


 覚悟を決め、すべてを受け入れた粟野の目が、無言のまま桜介に訴えかけていた。さあやってくれ、おまえの気が済むまで、と。


 桜介は一歩、粟野に近づく。室内の温度がぐんと下がったように賢志郎は感じた。

 一歩、また一歩。沈黙の中、桜介の足音だけが大きく響く。舞い立つ埃には目もくれず、桜助は淡々と足を動かした。


 桜介と粟野の距離が縮まる。五メートル。四メートル。

 残り三メートル弱になったところで、賢志郎がふたりの間に割って入った。まっすぐ桜介にからだを向け、粟野には背を見せている状態だ。


 桜介が足を止める。賢志郎は、上向けた右手をスッと彼に差し出した。

 その意図を察し、桜介は口の端を上げた。刃の部分を持ち、銀色の柄を賢志郎の右手の上にふわりと乗せる。


「殺さないでくださいね」


 桜介は楽しげな口調で言った。


「きみは案外、気が短いようですから」


 賢志郎は黙ったまま、受け取ったナイフに目を落とす。

 いつか見た夢の光景が脳裏を過る。白くぼやけた夢の中で、このナイフは粟野の耳を削ぎ落とした。


 賢志郎は苦笑をこぼす。あの夢を見た日が、遠い昔のように感じた。

 こうして犯人と対峙し、手にナイフを握る日が本当に来るなんて。


 けれど今、あの日の自分はもういない。


 ――そうだ。


 今の俺には、やらなきゃならないことがある。

 もう絶対に、迷わない。


「わかってるよ」


 賢志郎はそう答え、ナイフの切っ先に左の人差し指を当てる。


「一発殴って満足した」


 伸ばされた刃を折りたたみ、鈍い光を帯びるシルバーの塊になったそれを、部屋の隅に向けて投げ捨てた。


 カチャン、と無機質な音が鳴り響く。桜介の顔が不快に歪んだ。


「どういうつもりですか」

「どうもこうもねえよ」


 明確な、芯のある声で、賢志郎はまっすぐ桜介の胸に言葉を投げ込んだ。


「あんたには、誰も殺させない」

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