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あの日、雨が降っていなければ  作者: 貴堂水樹
第二章 その赤は芽吹き、やがて

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4.軌道修正

 杏由美に抱きかかえられて帰宅した賢志郎は、玄関扉をくぐったところで意識を失い、そのまま寝込むことになった。


 三九度の高熱が出て、翌木曜日は起き上がることさえできなかった。金曜日の午後になってようやく三七度五分まで熱が下がり、階下のリビングで食事を摂った。


 午後四時。昼食兼夕食の玉子粥を食べ終え、さっとシャワーを浴びてから部屋に戻る。まだなにをする気にもなれず、とりあえずスマホを片手にベッドへと潜り込んだ。

 リュックに入れたまま丸二日放置していたスマホは、バッテリーが切れていた。充電器につなぎ、しばらく待ってから電源を入れて中身を確認すると、杏由美から大量のメッセージが送られてきていた。

 

【大丈夫? 熱、下がった?】

【ちゃんと布団かけてる? ケンちゃん暑がりだから、蹴飛ばしちゃってないといいけど……】

【早退しようかな? 授業に集中できないよー】

【ごめんね、通知うるさいよね。返事できないくらいつらいんだってわかってるのに、私、すごく不安で……】

【大丈夫だよね、ケンちゃん】

【ケンちゃんに会いたい】

 

「バカ……」


 吐息混じりにつぶやいて、賢志郎は布団の中で膝を抱える。


 ――俺だって、会いたいよ。


 今すぐにでも会いに行きたい。おもいきり抱きしめてやりたい。

 鬱陶しいって言われるまで、ずっとあゆのそばにいたい。


 スマホを握り直し、賢志郎は杏由美宛てにメッセージを送った。


【心配かけてごめん。熱はだいぶ下がったよ。家帰ってきたら連絡して】


 そこまで書いて、一旦送信。少し迷って、もうひと言だけ打ち込んだ。


【俺も、あゆに会いたい】


 本心だった。しかし、改めて文字にすると顔から火が出るほど恥ずかしい。


 未送信のまま、一文まるごと消し去った。ばくばくと心臓が音を立てる。

 早く返事こないかなぁと、賢志郎は口もとを綻ばせながらもう一度布団の中で丸まった。


 杏由美の他にも、学校を休んだ賢志郎を心配して何人かの友人から連絡が入っていた。

 貴義からは【話したいことってなんだよ! 気になるから早く学校に来い】と少しも心配していることが伝わらないひと言が届いていた。夕梨もまた【お大事に! 一冊一〇〇円でノート貸してあげる!】と送ってきていて、ふたりしてバカにしやがって、と思う反面、これくらいの軽口を叩かれているほうが気楽だな、とも思う賢志郎だった。


 メッセージの他に、不在着信が一件入っていた。桜介からだった。

 おそらくは調べてみると言っていた被害者たちの携帯電話の件だろう。新たな事実がわかったのか、それとも空振りだったのか。

 どっちでもいい、と賢志郎は思った。今はあまり、事件のことを考えたくなかった。


 次にまたかかってきたら応答しようと、賢志郎は自分から折り返し桜介に連絡しないことに決めた。貴義たちにせっせとメッセージを返している間に気力が尽き、知らないうちにスマホを握ったまま眠ってしまっていた。


「賢志郎」


 微睡まどろみの中で、耳に覚えのある声が聞こえてきた。肩を叩かれる感覚がして、賢志郎はゆっくりと瞼を上げた。


「大丈夫?」


 母の加代かよが、険しい表情で賢志郎を覗き込んでいた。


「ん……なに」

「あゆちゃんがお見舞いに来てくれてるけど」

「えっ!」


 賢志郎は飛び起きた。

 慌てて時計に目を向ける。午後六時二十五分。部活を終え、その足で駆けつけてくれたらしい。


「どうするの? 上がってもらう?」

「あぁ……うん」


 曖昧に首肯すると、加代は黙って部屋を出て行った。くしゃくしゃと髪を整えていると、加代と入れ替わるように、セーラー服をまとった杏由美が静かに姿を現した。


「よ」


 努めてなんでもない顔をして賢志郎が片手を上げると、杏由美はぽろぽろと涙をこぼし、ベッドの上の賢志郎に飛びついた。


「バカ、泣くなって」


 すがりついてしゃくり上げる杏由美の頭を、賢志郎は優しくなでてやる。


 ――違うな。


 そうじゃない。俺が伝えなければならないことは。


「ごめんな、あゆ。心配かけて」


 心を込めて、賢志郎は謝罪の言葉を口にした。ふるふると杏由美が首を振る。


 ――あったかい。


 頭に触れた手のひらに、じんわりとあたたかな熱を感じた。


 三ヶ月前を思い出す。公園のトイレで抱きかかえた時の杏由美は、人のからだとは思えないほど冷たくて、まるで石のようだった。

 それが今は、ちゃんと人のぬくもりを感じる。杏由美が今でもこの世界に生きていることを、しっかりと実感することができる。


 たったそれだけのことが、この上なく幸せだった。

 そうと気づくまでに、少し時間がかかりすぎた。


「あゆ」


 呼びかけると、杏由美が涙でいっぱいの顔を上げた。


「ほんとごめん。俺、おまえがこんなに心配してくれてるなんて全然気づいてなかったんだ。ただでさえつらい思いをしたってのに、俺……おまえの傷を深くしただけだよな」


 杏由美は懸命に首を横に振る。違う、そんなことない。そう言ってくれていることを賢志郎は察しながらも、今一度「ごめんな」と言い、杏由美の頬を伝う涙を指で拭った。


「もう無茶なことをするのはやめるよ。なにか別の方法を考える。あゆがこれまでどおり元気に笑って過ごせる日が一日でも早く来るように、俺が余裕を持ってできることを探す。部活にも……」


 戻るよ、と言いかけて、賢志郎は言葉をのみ込んだ。咳が出たフリをして誤魔化したが、杏由美は「どうしたの」という顔で賢志郎を覗き込む。


 今はまだ、黙っておこう。賢志郎はそう決めた。

 賢志郎がバスケ部の練習に復帰できない、本当の理由。今それを話してしまえば、杏由美にまた余計な心配をかけることになる。

 まずは貴義だ。貴義に話を通して、キャプテンである彼の判断を仰ぐ。杏由美に本心を打ち明けるのは、それからでも遅くない。


「とにかく」


 ぽん、と賢志郎は杏由美の頭に手を乗せた。


「もう二度と、おまえを泣かせるようなことはしないから」


 夕梨に言われた。あんたがつぶれると、あゆが悲しむと。

 貴義に言われた。三船のことになると、おまえはすぐ視野が狭くなると。


 どちらも正しい。正しさゆえに、賢志郎は彼らの言葉に耳を塞いできた。

 己の間違いを認めることは、とても痛くて、とても苦しい。けれど今は、そんなことを言っていられる状況じゃない。


 間違いを素直に認めて、外れてしまった軌道を修正しなければならない。つらく、暗い過去にどれほど苛まれようとも、この先の人生を、杏由美と手を取り合って生きていかなければならない。


 そのために、まずは自分と正直に向き合う。杏由美を悲しませることなく、彼女のためになにができるかを考える。

 冷静になって、周りをよく見て、ひとつひとつの行動を状況に合わせて最適化していく。いくつかある選択肢の中で、今の自分のコンディションに合った方法を選ぶ。それが賢志郎の、バスケットボール選手としてのプレースタイルだ。


 それを今回の一件に当てはめればいい。自分の選択した行動に、杏由美をいい意味で巻き込んでいけばいい。そうすればいつか、杏由美はまた笑えるようになる。

 犯人捜しは一旦休止だ。まずは体調と、自らの心の状態を整えなければと、賢志郎は気持ちを新たに杏由美にそっと微笑みかけた。


 そんな賢志郎の思いを知ってか知らずか、先に動き出したのは杏由美だった。

 翌々日の日曜日。【話したいことがあるの】と賢志郎にメッセージを送り、彼女は再び川畑家を訪れたのである。

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