「受け継げ!領主の赤き鎧」その20
★★★
我々は生存機械。
遺伝子という名の利己的な分子を保持すべく
盲目的にプログラムされたロボット機械なのだ。
──リチャード・ドーキンス『利己的な遺伝子』。
黒より暗き鎧 より強き遺伝子を乗せて ××し 奈落の牙以て より弱き敵を淘汰せよ
──鉄魔術 [[アイロット式機動装甲]]の詠唱。
gene:遺伝子。あるいは、この物語に登場する老領主の名。
★★★
-20-
「うおおっ…っと!」
一瞬の眩暈を感じてたたらを踏んだ。
地面は冷たい鋼鉄の床で、僕の軍靴を硬い反響音とともに跳ね返す。
土の感触や草の匂いを含んだ風はいまはもう無く、
ここは既にエルベラの機内らしかった。
「お、重たいですよう、クラ姉さんどいてー」「てー」
花嫁衣裳をくしゃくしゃにして、チルティスとクラディール(分身)も
折り重なって床の上でもがいている。
見渡すとあたりには僕らと一緒に吸い上げられた土砂が散らばっていて、
かなり乱暴なやり方で搭乗させられた事がわかった。
「くそ…ここは領主館の何処なんだ?」
気付く。
目の前には巨大なモニタ。
見慣れたそれには巨人の視界。
(これは…)
姉の分身を背負ったままのチルティスも眼をきらきら輝かせて立ち上がる。
「わぁっ、素敵な景色ですねー!」「ねー」
ずっとずっと遠くまでつづく青空の海。
巨人の視界はあまりにも高すぎて、先ほどまで樹木の屋根から顔を覗かせていた朝の太陽が、今は手を伸ばすだけで掴めそうだった。
下界は砂煙にかすんで、おとぎ話の魔女の塔から大地を見下ろしている気分。
雲をかき混ぜ、地盤を震わせながら巨人が足を動かす。歩いているのだ。
竜の化石に似た脊椎に乾いた風を受け、
骸骨のような、鬼のような砂の巨人が向かう先は──
放浪者の待つ、無人の荒野のようだった。
(こ…操縦室…僕らはエルベラの最深部まで一気に転送されたのか…)
「私、動いてるエルベラの操縦室に入ったのは初めてですよ」「すよ-」
「どうでもいいがこのコースはまずいぞ…おい、ジーン!いるんだろ!」
機神エルベラのコックピットは、正面の壁が三面鏡に似た巨大モニタになっているドーム状の広い部屋だ。複雑な溝が天井といわず床といわず走っていて、そこを緑色のマナの光が明滅している。窓に似た丸いガラスや、耐衝撃構造になっている柱や、手すりや、神殿のような階段はあるが…扉は無い。
この孵化を待つ卵のような部屋へは通常の手段ではアクセスできないのだ。
白い照明は、外界に満ちる朝の陽光に負けないほど明るく、
エルベラの機内を隈なく照らしていた。
モニタの下には計器類や操作盤が並んでいるが、パイロット自身がそれを操作することは無い。あれはサブの乗組員が使う補助的なものだろう。
メインパイロットが座るのは、部屋の中央に鎮座している領主の椅子なのだ。
いた!──その椅子の周囲に浮かび上がる魔術文字パネルを、楽譜に音符を刻む音楽家のように、優雅に、軽やかな手さばきで操作しているのは…現在パイロット役を務める老軍神、ジーンだった。
体格の良い、しかし齢70を数えるであろう男。
獅子を彷彿とさせる髪。顔の半分を覆うひげ。
そして最初に会った時から着込んでいた、トレードマークのような、分厚く、薔薇に似た緋色の全身鎧。
モニタを睨んだままで、あの憎たらしいにやにや笑い。
「はは、婿殿よ、機体のメンテナンスは欠かしてないようじゃな。
感心感心。なかなか動かしやすいぞ」
「き──貴様!何をしてる、気でも触れたか!
放浪者はエルベラを――ここを目指して進攻してるんだぞ!?
ユリティースもクラディールも鬼軍曹殿も! 皆がやつを近付かせないために奮闘しているというのに、自分から近付いてどうするつもりだ!」
「しょーがないじゃろ、そうしないと勝てないもん」
僕の抗議に眉をひそめて、ぷんと怒る老領主。
い、いやだからなんで貴様はときどき可愛いこぶるのだ…。
年齢を考えろ。「もん」とか言うな。
相変らず威厳もクソもない爺さんだった。
ジーンは魔術文字パネルを操作してエルベラを自動操縦に切り替えると、椅子から立ち上がり、鷹揚な仕草でこちらへと振り向いた。
呆気にとられている僕に手を差し伸べる。
「さぁ、わしが君に譲れる最後の遺産を渡そう──この手をとれ、婿殿」
「……魔女の長女も言っていたが…貴様が勝利の鍵なのか。
遺産? それがあれば勝てるのか?」
眼にぎらりとした鋭い輝きを湛えて、領主は低い声ではっきりと言った。
「勝てる。
放浪者にも。
君の親父殿にも。
──そして運命にも、じゃ。
ただし覚悟はしておくんじゃぞ、婿殿。
この力を受け継ぐならもう決して後戻りはできん。
世界の見方が根底から覆り、君は俯瞰観測者とでも呼ぶべき
異なる存在へと変わってしまうじゃろう。
あの放浪者が、黒き鎧を手にしたことで災害と化したようにの」
「…ふん」
僕もまた眼を鋭く細めて、領主を真っ向から睨み返す。
ジーンは眼を逸らさない。
いちど運命を読み違えたこの領主が──
言い換えれば、僕の父親に一泡ふかされたばかりのこの老人が、
ここまで強く断言するというのなら、
それは、よっぽどの自信があっての事だろう。
信じよう。
「構わない。勝利のためなら何だってしてやるさ。
人間やめようが、地獄に落ちようが、
世界一アホな花嫁と結婚させられようがな」
「よろしい──ならば契約は完了じゃな」
どちらともなくにやりと笑って。
ジーンの皺だらけのごつい手と、僕のちいさな手とが組まれ、
モニタから零れ出た朝日がそれを照らす。
分身の魔女を背負ったままのチルティスが「わぁいっ」などと喜んでいたが…、
こいつ、たった今僕にさりげなく貶された事に気付いていないのだろうか?
真剣に、結婚を考え直したくなる事実だった。
ともあれ、機神エルベラの体内で、
ジーンが詠唱を始め、僕の周りに輝く赤い糸が現れ──
いよいよ僕は領主ジーンの持つ最後の遺産を手に入れることになる。
それは奇しくも…最初にこのエルベラを訪れた、スパイだった時の僕の、
全目標が完遂された瞬間でもあったが。
エルベラの秘密を探りました。
操縦の仕方も、兵装も。
領主ジーンの力も全部調べて、奪いました。
これでいつでも祖国ラグネロを勝利させることが出来ます。
ミッションコンプリート。
ふふん──今となっては、なんて無意味な言葉だろう。
(待っていろ、ジャンクヤード──!
目の前の放浪者を片付けたらすぐに貴様との戦争だ!
僕の新たなミッションが“貴様の首の奪取”だと言うことを、教えてやる!)




