今の俺は人の姿を留めていない
◇
……古本屋を出た俺たちは、これまた近くのカフェに来ていた。店内は女性客が大半で、俺は明らかに周囲から浮いていたのだが、光子からのお誘いなので断れなかった。というか、断れる状況でもなかったんだけど。
「どうかしら? いい雰囲気でしょ?」
確かに、店の雰囲気はいい。よくないとすれば、それは……俺たちの、正確には俺と優香の間に漂う雰囲気か。
「……光子。どうしてこの馬鹿兄貴を連れてきたのよ?」
優香が、「私、今とても不機嫌です」と言わんばかりのオーラを発しながら尋ねた。……我が妹よ、そんなに兄と一緒が嫌か?
「あら、いいじゃない。私はお兄さんとお話したかったし」
「で、でも……」
光子が構わないと言ってるのに(というか、そもそも彼女から誘ったんだし)、そこまで言われると悲しくなってくる……。
「ほら、お兄さんが今にも泣きそうな顔してるし、いい加減諦めなさい」
「分かったわよ、もう……」
光子に宥められて、ようやく優香は俺の同席を許してくれた。……いいじゃないか。光子は俺にとっても幼馴染みたいなものなんだから、一緒にいても。それとも何か? 俺と二人っきりがいいっことか? ―――すんません、調子に乗りました。だから、そんなに冷ややかな目で見ないでください。
「それで? お兄さんは優香と、どこまで行ったの?」
「?」
「ぶっ……!」
光子の発した問いに、優香が何故か、飲んでいた紅茶を噴き出した。だ、大丈夫か……?
「な、なんてこと聞いてるのよ……!?」
「え? 私はただ、優香とお兄さんがどこまでいちゃいちゃ、チュッチュしたのか聞いただけなんだけど?」
「んなことするか!」
……優香。光子の戯言に、また踊らされてるのか。よし、ここは兄らしく、助け舟を出してやろう。
「そうだな。優香にはよく踏まれたり、蹴られたりしてるな」
「あら、結構ハードね」
「あ、兄貴ぃーーー!」
あれ? もしかして、やらかしたのか、俺? いつも優香には暴力振るわれてると、事実をありのままに言ったつもりなんだが……。
「……兄貴、ちょっと表に出なさい」
「は、はい……」
まあ今更だけど、店の雰囲気ぶっ壊してるしな。いい加減、兄妹喧嘩は外でやったほうがいいか。
「いってらっしゃい」
そして、この原因を作った張本人(光子)は、楽しそうに俺たちを見送っていた。……っていうか、絶対にこの展開を見越してただろ。
結局、俺は優香にボコボコにされて、そのまま休日を終えたのだった。
◇
……翌日の放課後。俺は訓練のため、空き地へと向かった。
「……お前、どうしたんだよ、その顔? というか、顔の造形が変わってるぞ?」
「いやまあ、色々とあってさ……」
その件についてはスルーして欲しい。
「まあいいか。今日の訓練を始めるぞ」
ありがとう、それ以上食いついてこなくて。多分、今の俺は人の姿を留めていないだろうけど、仕方ないことなんだよ、うん。
「……そう。お兄さん、人間止めたんだ」
「止めたっていうか……まぁ、私が悪いんだけど」
その頃、優香は光子(+その執事)と共に下校していた。二人が話しているのは、昨日の顛末だ。
「それは謝るべきよ。お兄さんも、悪気があったわけじゃないし」
「そうだけど……って、元はといえば光子があんなこと言うからでしょ!?」
「あ、ばれた」
「当たり前でしょ!」
いつもの通り賑やかな二人を、執事がそっと見守る。そんな彼らに、道行く人々は思わず目を留め、けれどすぐに興味を失う。そんな異様とも言うべき光景が、この界隈では常であった。
「でも、謝ったほうがいいのは本当よ。……いつまでも、一緒にいられるとは限らないんだから。悔いのないようにね」
「光子……うん」
幼馴染を諭す光子。彼女の言葉は、かつて優香の身に起きた、あの事件を踏まえた上で出てきたのだろうか。
「お兄さんに謝って、仲直りして、それからちゃんといちゃいちゃするのよ」
「うん……って、最後のはやんないわよっ!」
真面目な話をしているのかと思えば、途中でふざける。このお嬢様は、一体何を考えているのか。その答えを、優香は未だに知らないのだった。
「そうね……あんまりくっつきすぎるのも、考え物かもね」
「そうよ。兄妹なんだから、適切な距離ってものがあるのっ! でも、兄貴はそれを平然と踏み越えてくるし……もう、ほんとシスコンなんだから!」
そういう意味じゃないのだけれど……という呟きは、怒り心頭の優香には聞こえていなかった。