戦闘者の意志と行動
亘理は、連れてきていない。連れていかなければこうして撃たれるとわかっていたが、探すつもりさえなかった。
六年前のあの時のように彼女に触発されたのではなく、己の中で見つけた言葉にひとりですべて決着をつけるつもりで、ここに来た。そうして足掻いて、結果撃たれた。
……しかし紅林はひとりになれなかった。だからこそ、生きていた。
予め〝外延〟により内部空間を広げてあったトランクの中に飛び込むと、銃弾の雨が降り注ぐ。けれど、すぐに貫通されることはなく、弾丸の威力は表面で削ぎ落されている。
玖珂が紅林に勧められ、製作のためにと購入したセメントをトランク内部に塗りかためていたためだ。当然重さは相当なものとなったが、トランクがキャスターつきの品であったことにより運ぶ際の難はクリアした。
「あとは、任せたぞ」
心中で祈るように、彼女たちの名を呼ぶ。祈りが通じたか、講じた策はすぐに効力を顕した。
紅林が耐える間に銃撃が、ぽつり、ぽつりと止んでいく。しばし待ち続け、完全に銃声が止んだ頃合いを見計らうと、紅林は表へ出た。
見れば、中庭に倒れ込む人が数名。伏兵として屋上に控えていたのだろう狙撃手が、皆落ちてきて倒れ伏していた。
「策の仕上がりは上々だな」
「……自らを囮とした策とはな」
唯一立っているのは、佐野。自分の周囲を例の魔力壁で覆ったため、紅林の策にかかることはなかったらしい。やがて壁を解くと、紅林に向かって一歩踏み出す。
「迂闊だったな。そのトランクに入れて、三月を運びだしていたのか」
「病室のベッドでは球体関節人形が眠ってるぜ」
紅林の立てた策は、まずトランクを玖珂に製作してもらい、人形のおまけつきで玄関を出る寸前で〝外延〟により内部空間を拡張。とりあえず人形を入れておいて病院まで運び、病室で律希と別れる前に三月と人形をベッドの中で入れ替えることからはじまった。
その後コンビニのトイレで三月をトランクから出し、紅林のみがトイレから出てふたたび研究所へ。三月は律希・玖珂と合流して研究所まで移動し、所内の山井などに協力を要請しながら伏兵の位置を探り、発見次第に順次打倒した。どうしても位置がつかめなかった狙撃手などは銃撃がはじまってから、姿を現したところで〝空間傾倒〟により重力方向を変えて落とす。
危険ではあったが、勝算の低い策というわけでもなかった。
「今度の離反が死を意味するのなら、死の要因となるだろう相手を倒せばいいってな考えだ。ま、一番の難関であるお前は、やっぱり残っちまったけどな」
「お前、このまま逃げるつもりか」
「いや、残ったなら残ったで、倒す気だぜ。それに」
と付け加えて、紅林は半円を描くように、ゆったりと回り込む。トランクを視界に置く。
「お前に俺の言葉を聞いてもらう。課題と義務について、だ」
「……ほう」
では聞かせてみろ、と返して、佐野は拳を固めナイフを抜いた。紅林はワークコートの裾を払うのみで、武器を手にすることはない。互い魔力を発するが、量の差は歴然としていた。
けれど臆すことも逃げることもなく、紅林の拳がまっすぐに引き絞られる。
「あの頃の言葉とはちがうかもしれないが、あの頃の先にいる、今の俺の言葉だ」
「囀ってみろ」
力ずくで、な。口だけが、そう動く。
偽術師同士の、間の奪い合いが始まる。
距離と空間をどう把握し扱うかがものを言う偽術の戦いにおいては、必ずしもどの距離が戦いやすいというものはない。しかし紅林も佐野も能力は遠距離戦闘に向いておらず、まずは相手の足を止めることが必要だった。
まっすぐぶつかっていく、と見せかけて紅林は横へ飛び、倒れていた狙撃手の腰から手榴弾と拳銃を剥ぎ取った。向き直りざま牽制の射撃を二発、口にくわえたピンを引き抜いて手榴弾を投げる。間をおかず衝撃音が轟き、コートで前面をかばいながら爆風をかわすと、紅林は走る。どうせ攻撃は魔力壁で防がれていると想定していた。
ならば爆炎で自分の姿を見失い距離感も定まらないうちに、偽術の届かない死角へ回り込もうというのだ。その間に拳銃の種類を確認して、残りの装弾数は十だと理解し、煙が晴れるまでに〝縮地〟で駆ける。
跳んだ先は、上だった。炎の熱で歪む景色の中は、正確な距離感をつかめないために偽術をうまく使えない。だから紅林は景色が歪む前に、先の動きの中で佐野の上を通り過ぎるように、地面から斜め上方へ向け縮地を発動させていた。
そこへ飛び込み、頭上を過ぎながら銃を構える。佐野が見上げれば太陽を背にしているため、目潰しにもなる――
「二度も似た手を喰らうかたわけ」
銃弾はあさっての方向へ逸らされる。頭上にも、魔力壁が展開されていた。舌打ちした紅林は壁に手をつき、跳び箱の要領でこれを越え背後を取らんとする。だが向けようとした銃口を狙ったか、佐野は後ろにナイフを投げてきたので、撃つまでには至らない。銃身で弾き落とし、佐野が振り向こうとするより先に紅林は追撃を見舞おうとしたが、人差し指に重みを感じる。先ほどナイフを払った際に、セーフティがかかってしまったらしい。
「くっそっ……」
状態を戻す暇は無い。距離を詰めてきた佐野との目線が、腕が、交錯して絡み合う。銃を投げ捨て、紅林の足も前方へ躍動した。
接近しての打撃戦。目まぐるしく位置が入れ換わる攻防の中では、偽術を使うタイミングもあまりない。演算に時間を割かせぬよう、当てられるところから当てていく。手数で攻める。
まず紅林が狙うは、先日手傷を負わせた左肩である……のだが、空気を打ちぬくような迅雷の左ジャブが飛んできたことから認識を改める。耳をちぎり落とされそうになった一撃は、間違いなく本気、全力だ。おそらくは高度な偽術によるものか、怪我は完治しているようだった。
……面白くねぇ面倒くせぇ、と思ったのは内心のみで。
乱打の中で紅林は機をうかがい、佐野の目に目を凝らした。どこを狙っているか。なにを考えているか。決め手はいくつあるか。刻々と変わる状況を、どこまで冷徹に見据えているか。読み合いが続く。
やがて、交わされる拳の行く末に出口が見えてくる。
有効打とはいえないまでも、互いに四、五発は身に受けて、呼吸が明らかになってくるころ。先に動いたのは、佐野だった。オーソドックスな構えから内側に強くねじりこむ右のストレートの直後、わざと下げ目にした左手の連携を匂わせておいて。
ねじる勢いのまま拳先を自分に向けるように振り抜き、鋭く水平に風切る右肘を繰り出した。半呼吸動作が遅れ、防御が間に合わない紅林は側頭部に炸裂した肘にごりりと表皮を横断された挙句、目の上を切り裂かれた。血が吹き飛ぶのを見た、と思いきや衝撃に頭を揺らしてしまい、独特の気持ち悪さが喉をせりあがる感触に身悶えした。
「げぅえ、」
頭を下げそうになるが、かろうじて背筋を逸らし、続く左のアッパーはかわす。顎先を通り抜けた左拳で舌と唇を噛み、口の端からも血がこぼれる。だが振るった腕により、佐野の視界は塞がれていた。ここだ、と嘔吐感を呑みこんで、紅林の右掌底によるフックが、狙い澄まして肋骨に食らいつこうとする。間一髪、視界は塞がっている以上は勘によるものか、危険を察し身を退いた佐野はかすめるのみで済ませたが。
「捉えた」
一拍子遅れで引こうとした左前腕に、蛇のごとく。内側から紅林の右手が巻きついた。さらに腰を切る動作と連動させ手前に腕を引っ張り、左手で佐野の右肩を突いた。そうして防御できないように両腕を封じ、口から血を吹くことで視界を塗り潰す。
「貴様っ……」
けれど空中に赤い斑点が止まり、佐野も止まる。すんでのところで魔力壁を発動させたらしく、ギリギリのところで防がれていた。壁の下から胸部を蹴りあげられ、紅林はうめき声をあげる。下がった目線の上の方で、壁が消え、止まっていた血が舞い散り、光がまたたいた。
抜き放たれた二振り目のナイフを持つ右の手首を左の掌で打ち払うと同時、紅林は息も絶え絶えになるほどの胸の痛みをこらえて右の拳で相手の胸を突く。畳んだ左腕で防がれ威力を殺されたが、相手が無理な体勢だったために突き飛ばす効果を得た。
たたらを踏んでよろけたところに、突く動作でねじった腰をいれ、左の前蹴りでさらに押し込む。これは避けずに受け流し、ながら、後ろに倒れ込んだ佐野は地面をこするように下段へ左脚を振るった。ふくらはぎを蹴られた軸足にしびれが走り、紅林の動きが止まる。
好機逃さず。佐野は地に伏したまま躍るように転がり右足を伸ばし、踵を脇腹へ叩き込んでくる。げほ、と叫びとも呼気ともつかない音を撒き散らして、なお反撃すべく、紅林は降ろしていた左足をあげると踏み込みで佐野の左膝を狙った。即座に魔力壁で防がれ、その隙に這い出た佐野は構えを取り戻す。
「お前に亘理ほどの、とはいかずとも一国相当の魔力があれば、先日の奴が使った偽術破りの論理に従い至近距離で壁は使えんのだがな。現在のお前の魔力量では、俺の術を止められん」
攻撃は届かない。そう理解して舌打ちし、紅林はなお前進をやめない。距離をとって戦おうにも、佐野の魔力壁は強力で、銃などでは足を止めることすら叶わないだろう。かといって強引に縮地で切りこもうにも、壁に遮られる。
よしんば壁の脇を回りこめたとしても、差し向けられた佐野の魔力振動数により術式展開までのタイムロスが大きくなる。先日は真帆と共闘しており、なおかつ佐野の目的が真帆の殺害にあったからこそ、偽術の発動を邪魔されにくかっただけなのだ。畜生、と毒づいて、紅林は空間把握を行う。
真帆のような常軌を逸した魔力量・操作速度はないため中庭を埋めるとまではいかないが、周辺には佐野の魔力が散乱しはじめている。戦いにくい環境ができあがりつつあった。
ならば、懐へ。蛮勇が死に帰すことのないよう祈り、回り込むべく弧を描き歩を刻む。
「どうした。様子見をするにはいささか時期が遅いぞ」
魔力が佐野の周囲を巡る。壁は、いつでも展開可能だ。紅林の攻撃は防がれる。
しかし裏を返せば佐野も壁の向こうから攻撃することはできないのだろう。ナイフを得物とし、接近戦を好むのがその証拠だ。壁を用いて圧迫感を与え、圧倒的な防御に痺れをきらした相手が突っ込んできたところを、剣呑な体術で仕留めにかかるのだ。
倒そうと考えるのなら、まずはあの壁をどうにかする方法を考えねばならない。紅林は弧を描いて機を見定めている、と思わせておいて、身を屈めると地を蹴りだし、トランクを引きずって研究所内部へ入る。魔力量の差から見ても、場所を移すべきだと判断したのである。
「逃れるか」
「悪いな、時間稼ぎだ!」
わりと天井の高い通路は、窓が少なく陽光の差しこむところがあまりない。蛍光灯の寒々しい灯に照らされた廊下は、先ほどの中庭を囲むように回廊状になっている。佐野もこちらを追って来るだろうが、隠れるところの多い室内であれば、周回しつつ隙をうかがうことも可能だ。
肝要なのは背後へ回り込むこと。魔力壁を迂回して、一撃を加えること。残る偽術の使用限度は二回、使いどころは熟考せねばならない……。
走るうち通り過ぎそうになった実験室の中へ静かに滑り込んだ紅林は、研究用のパソコンと機材で埋め尽くされた内で、使えそうな品はないかと探す。隠れながら机の引き出しを漁り、いくつかの長いコードを見つけた。
先に屈んだ際に回収した拳銃を以て仕掛けを作ると、廊下側のドアがすっと開かれる。察知されぬよう極力、魔力を抑えていたはずだが、勘で当てられたのだろうか。トランクを視界の端に置くと息を殺し、音を立てず、紅林は身を隠す。
黙って首をめぐらす佐野の姿が自分に近付いてくるのをのぞき見て、ドアの側へ逃げようと机の下を這う。やがて、ドア側に紅林が近づき、逆に佐野が奥のパソコンの近くへ来たところで、あらかじめ握っていたコードを引っ張った。引き出しの中に先端を挟みこんであったコードが抜けると、金属をこする音が響く。佐野の視線がそちらに向き、紅林のいるドア側を視界から外した。
途端、素早く脱ぎ捨てたコートごと。ポケットの中に入っていた、中庭で拾った砂を浴びせかける。当然魔力壁が佐野の周りを覆うが、狙いは二段構えだった。
仕掛けたコードは一本ではない。佐野からは机の陰となって見えない位置で、足にかけたそれを引いた。机の脚をガイドとして、コードが棚の間に仕掛けられた拳銃の引き金を絞る。背後からの銃撃で、佐野は目を見開いた。肩から血が散り、痛みと驚きによるものか演算が狂ったらしく、壁が消える。代わりに、紅林の魔力が正面の空間を埋める。
机の上のパソコンを避けて踏み込み、空中を飛ぶ紅林の右の足刀、続けざまに左背足の回し蹴りが佐野を襲う。一撃目で腕のガードを弾き、二撃目は無防備な頭部を打ち抜いた。
留まることなく、着地から淀みなく動作し、体勢を崩しにかかる。振りかざされるナイフをかいくぐりながら突きだされた右手首をとり、佐野に背を向け腰に乗せて跳ね上げるように投げた。投げる方向は魔力で埋めた空間の方で、踏み込んだ紅林の足が砂を舞わせる。その動きが、瞬間的に遅くなった――外延が発動し、空間の縦軸、高さの距離を伸ばしたためだ。
「堕ちろぉぉっ!」
すなわち、一メートルほどの高さからの落下が、五メートル分の落下に相当するのだ。叩きつければ、ただでは済まない。引いた腕越しに、佐野が身を強張らせるのが伝わる。
だが佐野は投げられる前に五指を開いて合気道の要領にて手首の拘束をふりほどき、外延の発動した空間に魔力壁を展開する。砂の動きが押し留められ、止まる。そこへ手をついて着地することで、落下のダメージを最小限に食い止めた。
転がってその空間を脱した佐野のナイフが飛びかかり、左腕を切り裂かれる紅林。痛みは鋭く、一瞬で収まりをみせ、じくじくとした火傷のごとき痛みに変わる。傷は浅く神経などは無事のようだが、放っておけば出血が止まらない程度の怪我だ。怪我に気付き、前進を躊躇した。
致命的な、ミスだった。
「――隙を見せたな。仕留めたと思った瞬間こそが、最も危ういのだ……」
妙な反響具合で、佐野の声が小さくなって届く。くぐもったような、どこか通り抜けたような、狭苦しい声だ。変化に気付いて、紅林は己の失策を恥じた。
皮肉る笑みに色は無い。喜色などもっての外。淡々と告げ、坦々と執り行う。戦闘を行うというより、知識と経験則で事態に対処するといった方がよい。そんな佐野の合理性に溢れた動きは、とうとう紅林の全てを封じたのである。




