第51章 名前のない気持ちには名前があります
その日の昼休み、明石コトハ(あかし・ことは)は、思いきって、本人に、聞いてみることにした。
本人、というのは。
忘川レテ(わすれがわ・れて)のことだ。
「忘川さん」
「ん?」
レテは、机に、頬杖をついたまま、半分、寝ていた。
「ひとつ、質問が、あります」
「いいよ」
コトハは、すこし、迷ってから、聞いた。
「君は、なぜ、凡田さんに、なつくのですか」
レテは、ぼんやり、目を、開けた。
「ぼんだ?」
「はい。メロンパンを、もらったり。腕に、もたれたり。よく、しています」
レテは、しばらく、考えた。
それから、にこっと、笑って、言った。
「好きだから」
その、瞬間。
コトハの胸が、これまでで、いちばん、強く、ちくっと、した。
「す、好き」
「うん。ぼんだ、やさしいし。いっしょにいると、楽しい感じ、するし」
レテは、なんでもないことのように、続けた。
「だから、好き」
コトハは、固まっていた。
レテの「好き」は、たぶん、深い意味じゃ、ない。
友達として、とか。
なつく、とか。
そういう、軽い「好き」だ。
頭では、わかっている。
なのに。
コトハの胸は、ちくちく、ちくちく、止まらなかった。
「……記録します」
コトハは、不明事項記録帳を、開いた。
そして、自分の症状を、もう一度、整理した。
忘川さんが、凡田さんと、仲よくすると、胸が、痛む。
ほかの誰でも、ない。
凡田さん限定。
そして、いま、忘川さんが「好き」と言っただけで、症状が、悪化した。
コトハは、十億件の、恋愛データを、頭から、引っぱり出した。
そして、自分の症状を、照合した。
特定の異性が、ほかの誰かと、親しくすると、胸が痛む。
その相手を、ほかの誰かに、取られたくない、と感じる。
該当する、感情の名前。
ひとつ。
「……嫉妬」
口に、出して、しまった。
そして、その先に、もう一つ、データが、続いていた。
嫉妬は、たいてい。
相手のことを、好きなときに、起こる。
コトハの、思考が、止まった。
「……え」
もう一度、照合する。
何度、照合しても。
結論は、同じだった。
わたしは、凡田さんを、ほかの誰かに、取られたくない。
つまり。
「……わたしは、凡田さんが、好き、かもしれません」
声に、出した、瞬間。
コトハの顔が、ぼっ、と、熱くなった。
データとして、出てきた、結論だった。
なのに。
データを、出した瞬間に。
データじゃ、なくなった。
ただの、自分の、気持ちに、なった。
「忘川さん」
「ん?」
「大変です」
「どうしたの」
コトハは、まじめな顔で、言った。
「わたしは、たぶん、凡田さんが、好きです」
レテは、ぱちぱち、と、まばたきを、した。
それから、にこっと、笑った。
「いいじゃん。私も、好きだよ、ぼんだ」
「……そこです」
「ん?」
「そこが、問題なのです」
コトハは、頭を、抱えた。
全宇宙の言語を、持っているのに。
この、ややこしい状況を、説明する言葉が、出てこなかった。
レテは、不思議そうに、コトハを、見ていた。
それから、ぽつりと、言った。
「コトハ、なんか、人間に、なったね」
「……そうですか」
「うん。前は、なんか、もっと、つるつるしてた。いまは、ちょっと、ぐちゃぐちゃ」
「ぐちゃぐちゃ、ですか」
「うん。でも、そっちのほうが、好き」
レテは、邪気のない顔で、そう言った。
コトハは、その顔を、見て。
なんだか、自分が、すこし、ずるい気が、した。
この子は、何も、知らない。
自分が、いま、この子に、嫉妬していることも。
その嫉妬の、おかげで、自分の気持ちに、気づいたことも。
「忘川さん」
「ん?」
「ありがとう、ございます」
レテは、きょとんと、した。
「なにが?」
コトハは、すこし、笑った。
「秘密です」
「また、秘密だ」
「はい。これで、二つ目です」
放課後の、教室の窓から。
やわらかい、西日が、差していた。
コトハは、不明事項記録帳に、最後の、一行を、書いた。
「胸部、ちくっと、する現象。原因、判明。」
その下に。
小さく、書き足した。
「凡田一を、好き。」
書いてから。
コトハは、その一行を、手のひらで、そっと、隠した。
誰にも、見られないように。
生まれて初めての、その気持ちを。
もうすこし、自分だけの、ものに、しておきたかった。
ついに、コトハが、自分の気持ちに、名前を、つけました。
きっかけは、レテの、無邪気な「好きだから」でした。
レテは、コトハに嫉妬を教えて、その嫉妬が、コトハに「好き」を、教えました。
恋敵が、いちばんの、案内役だった、という、すこし切ない構図です。
全知だったコトハが、自分の感情だけは、いちばん最後に、気づく。
そして、気づいた瞬間、それは、データじゃ、なくなる。
名前がつきました。
次回から、コトハは、待つのを、やめます。
自分から、動き始めます。




