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「となりの席のアカシックレコード〜全知全能だけど、空気だけは読めません〜」  作者: 源三郎


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第39章 忘れられない味でした

コトハは、自分の手で、メロンパンを焼いた。


レテは、手が覚えている味を、皿にのせた。


審査の時間が、来る。


そして、思わぬ審査員が、迷子になりながら、やってくる。


制限時間、終了の、五分前。


明石コトハ(あかし・ことは)のメロンパンが、オーブンから、出てきた。


少し、いびつだった。


格子の模様も、まっすぐじゃない。


ひとつだけ、焦げている。


完璧な、レシピ通りの形では、なかった。


でも。


ちゃんと、メロンパンの匂いが、していた。


「……できました」


コトハは、それを、皿にのせた。


凡田一ぼんだ・はじめが、覗き込む。


「いびつだな」


「はい。いびつです」


コトハは、自分の手を見た。


やけどの、赤い跡が、ひとつ。


「でも、わたしの手で、作りました」


凡田は、それ以上、何も言わなかった。


いびつなメロンパンと、やけどの跡。


それは、レシピには、載っていないものだった。


そして、たぶん、いちばん、大事なものだった。


笛が、鳴った。


「そこまで!」


桜庭レイコ(さくらば・れいこ)先生が、声をあげる。


「両者、調理、終了です」


そのときだった。


調理室の、後ろの扉が、すーっと、開いた。


そして、誰かが、入ってきた。


銀灰色の髪の、青年。


監査官アルシヴだった。


「……遅れました」


アルシヴは、無表情で言った。


「家庭科室の座標が、わかりませんでした」


凡田が、つっこむ。


「監査、終わったんじゃないのか」


「これは、監査ではありません」


アルシヴは、端末を、開いた。


「交流戦の、特別審査員として、招かれました。地球の食文化を、観測するためです」


「招いたの、誰だよ」


「桜庭教諭です」


桜庭先生が、にっこり笑った。


「メロンパンを、いちばん正確に評価できるのは、彼ですから」


いつだったか、メロンパンを「炭化水素塊」と呼んだ、あの監査官だ。


コトハは、ちょっと、懐かしくなった。


「アルシヴ。久しぶりです」


「明石コトハ。記録上は、二十三日ぶりです」


「正確ですね」


アルシヴは、まず、コトハのメロンパンの前に立った。


それを、じっと、観測する。


「形状、不均一。焼成、ムラあり。糖衣、一部、炭化」


「焦げてます、って言え」


凡田が、つっこむ。


アルシヴは、メロンパンを、ひとくち、食べた。


もぐ、と。


しばらく、無言だった。


端末に、何か、打ち込もうとして。


止まった。


「……記録項目に、該当が、ありません」


「は?」


「『正確ではないのに、おいしい』。この項目が、監査基準に、存在しません」


アルシヴは、もう一口、食べた。


「いびつです。ムラがあります。焦げています。なのに、おいしい。論理が、通りません」


コトハは、その言葉を聞いて、すこし、笑った。


「アルシヴ。それは、論理ではないんです」


「では、何ですか」


「手で、作ったから、です」


アルシヴは、しばらく、考えた。


それから、端末に、こう、記録した。


「現地評価。『手作り』。──論理、不成立。ただし、良」


凡田は、ちょっと、笑った。


監査官も、すこしずつ、わかってきている。


次に、アルシヴは、レテの皿の前に立った。


そこには、薄い、黄色の、ものが、のっていた。


「これは……」


アルシヴが、首をかしげる。


それを見て、白金歌音しろがね・かのんが、あ、と声をあげた。


「それ……卵焼き、ですよね」


忘川レテ(わすれがわ・れて)は、自分の皿を、ぼんやり見ていた。


「たまごやき」


「はい。だし巻きの」


白金が、近づいて、それを、見た。


そして、目を、丸くした。


「これ……わたしの、卵焼きの、味つけと、同じ……?」


レテは、きょとんとした。


「そうなの?」


「忘川さん。前に、わたしのお弁当の卵焼き、半分こ、しましたよね」


「……覚えてない」


「あの日、初めて、教室に居着いた日です」


白金の声が、すこし、震えた。


レテは、自分の手を、見た。


「覚えてないけど」


そして、にこっと笑った。


「手が、覚えてたのかも」


調理室が、しん、と、静かになった。


レテは、レシピを忘れる。


人の名前も、昨日のことも、忘れる。


でも。


初めて、誰かが、自分にやさしくしてくれた、その味だけは。


頭は忘れても、手が、覚えていた。


白金が、こらえきれずに、目元を、ぬぐった。


「……もう。ずるいですよ、それ」


「ずるい?」


「うれしいって、ことです」


アルシヴが、その卵焼きを、ひとくち、食べた。


もぐ、と。


そして、また、止まった。


「……明石コトハ」


「はい」


「この味も、記録項目に、ありません」


「でしょうね」


「『作った本人が、忘れている味』。記録は、できません。なのに、ここに、ある」


アルシヴは、端末を、閉じた。


「わたしには、優劣が、つけられません」


桜庭先生が、聞く。


「審査員が、それでいいんですか」


「いいえ。よくは、ありません」


アルシヴは、めずらしく、少し、困った顔をした。


「片方は、知っていることを、初めて、手でやりました。もう片方は、忘れたことを、手だけが、覚えていました。──どちらも、わたしには、書けない記録です」


そして、言った。


「引き分け、とします」


未明学園の応援席が、わっと、沸いた。


「引き分けー!」


「やったー、たぶん!」


「何が、たぶん、だよ」


二年三組も、笑った。


勝ち負けは、つかなかった。


でも、誰も、不満そうじゃなかった。


最後に。


コトハと、レテは、お互いの料理を、ひとくちずつ、食べた。


コトハは、レテの卵焼きを、食べた。


やさしい味が、した。


懐かしい味、というものを、コトハは、初めて、知った。


思い出なんて、ないはずなのに。


なぜか、胸の奥が、あたたかくなる。


これが、「忘れられない味」か、と、コトハは思った。


知っていたんじゃない。


いま、初めて、体験した。


一方、レテは、コトハのメロンパンを、食べた。


いびつで、焦げた、メロンパン。


もぐ、と、噛んで。


レテの目が、すこし、見開かれた。


「……これ」


「どうですか」


「あまい」


レテは、もう一口、食べた。


「すごく、あまい。私、これ──」


レテは、自分の胸に、手を当てた。


「これ、たぶん、忘れない」


コトハの目が、見開かれた。


「忘れる君が、ですか」


「うん」


レテは、にこっと笑った。


涙が、すこし、にじんでいた。


「忘れる私が、これだけは、忘れない気がする」


すべてを忘れる子が、忘れたくない、と思った味。


それは、すべてを記録してきた子が、初めて、自分の手で作った、いびつなメロンパンだった。


凡田は、二人を見て、ふう、と、息を吐いた。


それから、ぼそっと、つぶやいた。


「……いい勝負だったよ」


コトハが、振り返る。


「引き分けですが」


「うん。引き分けが、いちばんいい」


そのとき、アルシヴが、すっと、手を挙げた。


「一点、よろしいですか」


「なんだ」


「この、いびつな物体の、製法を、記録したいのですが」


アルシヴは、コトハのメロンパンを、指した。


「再現性が、ありません。同じ形は、二度と、作れないと、推定されます」


「だろうな。手作りだし」


「困ります。記録、できません」


「記録できないものが、あっても、いいだろ」


凡田が言うと、アルシヴは、しばらく、黙った。


それから、端末に、こう、打ち込んだ。


「現地報告。『記録できないものが、あってもよい』。──要、再検討」


「監査官、ちょっと、進化したな」


「二十三日と、半日ぶんです」


「正確だな!」


窓の外で、夕日が、調理室を、オレンジに染めていた。


メロンパンの匂いと、卵焼きの匂いが、まだ、ふわふわと、残っていた。


料理対決、引き分けでした。


コトハは、知っていることを、初めて、自分の手でやりました。


レテは、忘れたはずの味を、手が覚えていました。


そして、忘れる子が「これだけは忘れない」と言った味は、記録する子が初めて手で作った、いびつなメロンパンでした。


知ることと、体験すること。


覚えることと、大切にすること。


この物語のテーマが、ぜんぶ、ひと皿に乗った気がします。


審査員のアルシヴも、ちょっとだけ、人間の味が、わかってきたようです。


次の種目は──即興演劇。


台本を完璧に覚えるコトハと、台本を覚えられないレテ。


また、正反対の二人が、ぶつかります。


ここまで読んでくださって、ありがとうございました。

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