第30章 いつもの明日へ
凡田は証言した。
コトハは言った。
帰りたくありません。
明日もここに来たいです。
最終判断は保留された。
そして翌朝。
明日は、来た。
翌朝。
凡田一は、いつもより少し早く教室に来た。
理由はない。
いや、ある。
隣の席を見るためだ。
窓際の後ろから二番目。
明石コトハ(あかし・ことは)の席。
まだ空いている。
凡田は自分の席に座った。
鞄を置く。
ノートを出す。
時計を見る。
まだホームルームまで時間がある。
教室の扉が開いた。
コトハが入ってきた。
凡田は、変にほっとしすぎないように注意しながら言う。
「おはよう」
コトハは立ち止まった。
「おはようございます」
それだけだった。
でも、昨日より少しだけ声が明るかった。
コトハは隣の席に座る。
いつもの場所。
「結果は?」
凡田が聞くと、コトハは首を横に振った。
「まだです。アルシヴが、ホームルームで通知すると言っていました」
「演出するな」
「監査官は手続きが好きです」
星宮ミーナ(ほしみや・みーな)が教室に飛び込んでくる。
「結果まだ?」
白金歌音もすぐに来た。
「落ち着いて待ちましょう」
不死川勇気は拳を握っている。
「俺はいつでも胴上げできる!」
「するな。結果前に持ち上げるな」
桜庭レイコ先生が入ってきた。
その後ろから、アルシヴも入ってくる。
今日は迷子になっていない。
凡田は少し驚いた。
「教室に来られた」
アルシヴは無表情で言う。
「経路学習済みです」
「成長してる」
アルシヴは教卓の横に立った。
端末を開く。
教室中が静かになる。
「明石コトハの最終査定結果を通知します」
コトハの手が、机の上で少しだけ握られる。
凡田はそれを横目で見た。
「最終判断」
アルシヴの声は、いつもと同じ平坦さだった。
「現地残留を認めます」
教室が、一瞬だけ無音になった。
次の瞬間、不死川が叫ぶ。
「勝ったあああ!」
「だから戦いじゃないって!」
ミーナが机を叩く。
「やった!」
白金はほっと息を吐き、桜庭先生は静かに微笑んだ。
コトハは、動かなかった。
凡田は隣を見る。
「おい」
コトハは小さく言った。
「残留」
「そう」
「明日も」
「来られる」
コトハは、ゆっくり息を吐いた。
そして、小さく笑った。
「はい」
アルシヴは続ける。
「ただし、全知機能は段階的に制限されます」
教室がまた静かになる。
コトハは顔を上げた。
「制限」
「未来予測、秘匿情報閲覧、広域記録照合は原則停止。必要最小限の記録感知のみ残します」
凡田は聞いた。
「つまり?」
アルシヴは端末を見る。
「天気も、小テストの答えも、購買の売り切れ時刻も、基本的にはわかりません」
ミーナが言う。
「普通の高校生じゃん」
白金がうなずく。
「かなり普通に近づきますね」
不死川は拳を握る。
「じゃあ俺と同じくらいわからないのか!」
「そこまでではありません」
凡田は思わず笑った。
コトハは不明事項記録帳を開く。
いつものページ。
でも、そこに未来の答えは浮かばない。
ただ白い紙がある。
「わかりません」
コトハは言った。
「今日の天気も、次の小テストも、購買のメロンパンが残るかも」
凡田は言う。
「不便だな」
「はい」
「怖いか」
コトハは少し考えた。
「少し」
「そうか」
「でも」
コトハは窓の外を見る。
青い空。
普通の朝。
「知らない明日です」
凡田は、第7章のことを思い出した。
知らない明日へ。
あのときより、ずっと自然に聞こえた。
アルシヴは端末を閉じた。
「監査を終了します」
白金が礼をする。
「ありがとうございました」
アルシヴは少しだけ首を傾ける。
「こちらこそ、複数の現地名称を学習しました」
ミーナが笑う。
「メロンパンとか?」
「はい。メロンパン、昼休み、おかえり、別に」
凡田は言った。
「最後のは覚えなくていい」
コトハが少し笑う。
そのとき、桜庭先生が出席簿を開いた。
「では、ホームルームを始めます」
いつもの朝が始まる。
そう思った瞬間。
コトハが手を挙げた。
「先生」
凡田は嫌な予感がした。
「何ですか、明石さん」
「未来予測機能は制限されていますが、桜庭先生が本日職員室で隠している甘いものについては、机の引き出しの匂いから推定可能です」
桜庭先生の表情が止まった。
凡田は叫ぶ。
「余計な推定をするな!」
白金が立ち上がる。
「明石さん、秘匿情報ではなくても言わない配慮が必要です」
ミーナが机を叩いて笑う。
「戻ってきた!」
不死川が拳を上げる。
「甘いものか!?」
「お前は乗るな!」
桜庭先生は出席簿を閉じた。
「明石さん、放課後に少しお話ししましょう」
「これは査定ですか」
「指導です」
「現地教育活動」
「言い換えない」
凡田は頭を抱えた。
「結局、何も終わってないじゃないか」
コトハは、少しだけ嬉しそうに言った。
「はい。明日も観測を継続します」
「観測じゃなくて生活しろ!」
その瞬間、ミーナが笑いすぎて椅子ごと後ろへ倒れた。
不死川が受け止めようとして勢い余る。
机がずれる。
凡田が立ち上がる。
コトハも巻き込まれる。
教室の空気が、昔の漫画みたいに一気に跳ねた。
次の瞬間。
凡田とコトハは、なぜか教室の壁を突き抜けて校庭に転がっていた。
もちろん、けがはない。
制服についた粉ぼこりを払いながら、凡田は空を見上げた。
「だから何も終わってないって言っただろ!」
隣でコトハが起き上がる。
「はい」
彼女は笑っていた。
「今日も、記録できないことが増えました」
凡田は、ため息をついた。
でも、追いかけるように笑ってしまった。
校舎の向こうから、桜庭先生の声が飛ぶ。
「二人とも、戻ってきなさい!」
凡田は立ち上がる。
「戻るぞ」
「はい」
コトハは、隣に並んだ。
知らない明日が、また始まる。
こまで読んでくださって、本当にありがとうございます。
第一部はここで一区切りです。
コトハはすべてを知る存在ではなくなりつつあります。
でもそのぶん、明日を知らないまま隣の席に座れるようになりました。
そして、日常は終わりません。
たぶん明日も、凡田は叫びます。




