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「となりの席のアカシックレコード〜全知全能だけど、空気だけは読めません〜」  作者: 源三郎


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第2章 友達作りは難解です

明石コトハ(あかし・ことは)が転校してきたことで、

凡田一ぼんだ・はじめの平凡な一日は完全に壊れた。


けれど、本当の日常崩壊は二日目から始まる。


全知の転校生が次に挑戦するのは、友達作り。

人類の友情データを読み込み、会話の成功率を計算し、笑顔の角度まで分析する。


しかし、知識だけで人と仲良くなれるほど、高校生活は簡単ではない。


知っているからこそ、言ってはいけないことがある。

正しいからこそ、相手を困らせる言葉がある。


これは、コトハが初めて「人との距離」に失敗する一日である。

翌朝。


凡田一ぼんだ・はじめは、目覚まし時計が鳴るより少し早く目を覚ました。


珍しいことだった。


普段の凡田は、目覚ましが鳴ってから起きる。

早くもなく、遅くもない。

そういうところまで平均的な人間である。


だが今日は違った。


目が覚めた瞬間、昨日の出来事が頭の中を流れた。


パンをくわえて遅刻してきた転校生。

宇宙開闢うちゅうかいびゃく以降の全記録を保管しています、という自己紹介。

担任の桜庭レイコ(さくらば・れいこ)先生が魔法戦士だったという謎の爆弾発言。

数学の授業に現れた異文明の記号。

国語の授業中に、外で鳴り響いたサイレンと、教室を包んだ白い光。

しかも、それを覚えているのは、たぶん自分だけ。

そして、メロンパンを食べて泣いた明石コトハ。


「夢だったらいいのに」


布団の中でつぶやいてみた。


しかし、机の上には一枚のメモが置かれていた。


昨日の放課後、コトハに渡されたものだ。


『明日の観測予定

一、登校

二、普通の挨拶

三、友達作り

四、昼食

五、放課後の追加観測

案内人、凡田一』


最後の一行が余計だった。


凡田はメモを裏返し、もう一度布団に潜ろうとした。


その瞬間、階下から母の声が飛んでくる。


「一、起きなさい。遅刻するわよ」


現実は、逃げる余地を与えてくれない。


通学路は、昨日と同じだった。


角のコンビニ。

赤になる直前の信号。

同じ制服の生徒たち。


ただ、凡田の気分だけが違っていた。


今日も何かが起きる。

それはもう、ほとんど確定している。


昨日の時点で、コトハは高校生活を「初めての体験」と呼んでいた。

そして彼女は、初めてのことに対して全力で取り組む。


問題は、その全力がだいたい間違った方向に向かうことだった。


校門が見えてきたところで、凡田は足を止めた。


明石コトハ(あかし・ことは)が立っていた。


しかも校門の横で、直立不動の姿勢を保っている。


黒髪はきれいに整えられ、制服も乱れていない。

昨日と違って、パンはくわえていない。


その点だけは進歩と言える。


「おはようございます、凡田一」


コトハは丁寧に頭を下げた。


「おはよう」


凡田は警戒しながら返す。


「本日の挨拶成功率は七十二パーセントと判定しました」


「挨拶に成功率を出さないで」


「昨日の反省から、パンをくわえた遅刻登場は初回限定イベントと判断しました」


「賢明だね」


「そのため本日は、通常登校時の友好関係構築に注力します」


嫌な予感がした。


凡田は鞄を握り直す。


「友好関係構築って、つまり」


「友達を作ります」


コトハは真顔で言った。


朝の校門。

通り過ぎる生徒たち。

その中で、宇宙の全記録を保管している転校生が、友達を作ります、と宣言する。


絵面だけなら微笑ましい。


しかし凡田は知っている。

コトハが普通のことを普通にやろうとすると、たいてい普通では済まない。


「ちなみに、どうやって?」


「全人類の友情成立パターンを参照し、最適な初期接触マニュアルを作成しました」


コトハは鞄から分厚い紙束を取り出した。


表紙には、きれいな字でこう書かれている。


『友達作成手順書 地球高校生版』


凡田は無言で表紙を見た。


「作成って言うな」


「不適切ですか」


「友達は工作物じゃない」


「では、友達発生手順書」


「もっと怖い」


「友達成立補助資料」


「まだまし」


コトハは表紙の文字を鉛筆で直した。


真面目だった。

あまりにも真面目だった。


凡田は、その真面目さが逆に不安だった。


教室に入ると、二年三組にねんさんくみは昨日よりも少し静かだった。


理由は明白である。


全員が、コトハの様子をうかがっている。


昨日の転校初日は、あまりにも濃かった。


パン。

宇宙。

魔法戦士。

異文明数学。

メロンパン号泣。


一日で転校生イベントを詰め込みすぎている。


クラスメイトたちは、話しかけたい気持ちと、巻き込まれたくない気持ちの間で揺れていた。


その視線を受けて、コトハは静かにうなずいた。


「初期接触を開始します」


「待って」


凡田の制止は間に合わなかった。


コトハは、一番近くにいた男子生徒の前に立った。


不死川勇気ふじかわ・ゆうき


クラスで一番明るく、声が大きく、階段を三段飛ばしで降りるタイプの人間だ。


不死川はにかっと笑った。


「おっす、明石! 昨日すごかったな!」


「おはようございます、不死川勇気」


コトハは手順書をちらりと見る。


「君は本日七時四十二分、校門前の段差につまずく予定でしたが、偶然くしゃみをしたことで歩幅が変化し、転倒を回避しました。生存おめでとうございます」


不死川は親指を立てた。


「おう! よくわかんねえけどありがとな!」


凡田は頭を抱えた。


なぜそれで会話が成立するのか。


コトハも少し驚いた顔をしている。


「友好的反応を確認。成功例として記録します」


「今のは不死川が特殊なだけだから」


「特殊」


「参考にしないほうがいい」


「しかし、彼は死亡確率が高いにもかかわらず社会性が安定しています」


「その分析も本人に聞こえないようにしような」


次にコトハが向かったのは、白金歌音しろがね・かのんだった。


学級委員長。

成績優秀。

容姿端麗。

品行方正。


昨日、コトハに検索履歴を暴かれかけ、購買でパンを大量におごった人物である。

学校では完璧なお嬢様だが、休日は痛バを背負って池袋の乙女ロードへ通う

重度のオタクでもある。


歌音はコトハの接近を察知した瞬間、完璧な笑顔を浮かべた。


「お、おはようございます、明石さん」


声が少し上ずっていた。


「おはようございます、白金さん」


コトハは手順書を見る。


「友好関係構築のため、相手の興味関心に沿った話題を提示します」


歌音の顔から血の気が引いた。


「待ってください」


「君が昨晩閲覧していた作品群、および休日に乙女ロードで購入した同人誌の傾向には、友情とは異なる強い感情表現が」


歌音は瞬時にコトハの口を塞いだ。


昨日より速かった。


凡田は思った。


人間は危機に直面すると成長する。


歌音は笑顔のまま、低い声で言う。


「明石さん。お話があります」


「発話を制限されています」


「それで正解です」


凡田は二人の間に入った。


「コトハ」


「はい」


「相手の興味関心に沿うのは悪くない。でも、本人が隠したいことを話題にするのはやめよう」


コトハは目を瞬かせた。


「なぜですか。友人関係において、共通話題の提示は有効とされています」


「それが本人にとって話したくないことなら、逆効果」


「話したくないこと」


コトハは歌音を見る。


歌音は笑顔のまま、首を縦に振った。


かなり強く。


「白金さんは、その話題を望んでいないのですか」


歌音はコトハの口から手を離した。


「はい。まったく、少しも、これっぽっちも望んでいません」


「理解しました」


コトハは真剣な顔で手順書に書き込んだ。


『相手の秘密は、友好構築素材として不適切な場合がある』


凡田はそれを見て、少しだけ安心した。


学ぶ気はある。

方向が危ないだけで。


一時間目のホームルーム。


桜庭先生は、昨日よりも少しやつれていた。


目の下に薄い影がある。


たぶん昨日、魔法戦士レイベルの件で眠れなかったのだろう。


「今日は席替えの希望を取ります」


教室がざわつく。


高校生にとって席替えは、小さな運命である。

黒板が見やすいか。

友達と近いか。

苦手な相手と隣にならないか。


凡田は、できれば窓際がいいな、くらいに思っていた。


隣からコトハが手を挙げた。


嫌な予感がした。


「明石さん」


桜庭先生の声にも警戒が混じっている。


「席替えの最適配置を提案します」


「ええと、まだ希望を聞くだけなので」


「全生徒の学力、視力、交友関係、恋愛感情、隠し事、睡眠傾向、授業中の落書き頻度を参照し、最も効率的な配置を算出しました」


教室が凍った。


「恋愛感情?」

「隠し事?」

「落書き頻度?」


桜庭先生はこめかみを押さえた。

その反対の手が、教卓の引き出しへ伸びかける。

そこがただの引き出しではなく、亜空間につながっていることを知っているのは、

今のところ桜庭先生だけだった。


「明石さん、その情報は使わなくていいです」


「なぜですか。学習効率は平均二十三パーセント向上します」


「人間関係が百パーセント崩壊します」


凡田は小声で言った。


「先生、うまい」


桜庭先生は聞こえないふりをした。


コトハは困惑している。


「効率が高い配置は、望ましくないのですか」


凡田は考えた。


どう説明すればいいのか。


コトハは間違っている。

でも、悪意があるわけではない。


むしろ彼女は、本気でみんなのためになると思っている。


だから厄介だった。


「効率だけで決められたら、嫌なこともあるんだよ」


凡田が言うと、コトハは彼を見た。


「嫌」


「たとえば、誰が誰を好きとか、誰が授業中に何をしてるとか、そういうのを勝手に使われたら困る」


「記録上は事実です」


「事実でも、出していいとは限らない」


コトハは黙った。


教室も静かになった。


昨日なら、ここで凡田はただツッコミを入れるだけだったかもしれない。


でも今は少し違う。


メロンパンを食べて泣いたコトハの顔を、凡田は覚えている。


彼女は知らないのだ。


本当に。


「コトハ」


凡田は言った。


「知ってることを全部言うのが、正しいわけじゃない」


コトハは、その言葉をゆっくり受け止めた。


「知っていることを、言わない」


「そう」


「それは、記録の欠落ではありませんか」


「人間関係では、たぶん必要な余白」


「余白」


コトハは手順書に書き込む。


『人間関係には余白が必要』


歌音が小さく息を吐いた。

不死川は「余白って大事だよな!」とよくわからない相槌を打った。


桜庭先生は席替えの話題を、そっとなかったことにした。


昼休み。


コトハは屋上へ向かった。


凡田は行かないつもりだった。


しかし、教室を出ようとしたコトハが当然のように振り返ったので、

結局ついていくことになった。


「なぜ僕が」


「案内人だからです」


「その役職、正式に受けた覚えがない」


「実質的には機能しています」


「嫌な言い方だな」


屋上には、昼食を食べる生徒が数人いた。


青蘭高校の屋上は完全開放ではないが、昼休みだけ一部スペースが使える。


コトハはベンチに座り、購買で買ったクリームパンを取り出した。


昨日のメロンパン以来、パンに興味を持ったらしい。


「今日は泣かないよな」


凡田が言うと、コトハは真剣に考え込んだ。


「未定です」


「そこは決めてほしい」


コトハはクリームパンを一口食べた。


表情が少しだけ柔らかくなる。


涙は出なかった。


凡田は安心した。


「どう?」


「内部に甘味を含んでいます」


「感想が理科」


「ですが、不快ではありません」


「それはよかった」


しばらく、二人は黙って昼食を食べた。


屋上の風が、少しだけ涼しい。

遠くで運動部の声が聞こえる。

空には薄い雲が流れている。


凡田にとっては、何でもない昼休みだった。


でも、コトハは空をじっと見ていた。


「凡田一」


「何」


「友達とは、どうすれば成立しますか」


凡田は箸を止めた。


今日の本題だ。


「僕に聞く?」


「君は平凡です。平凡な人間の判断は、一般的高校生活の基準として有用です」


「褒め言葉として受け取れないんだよな」


「質問を継続します。友達とは、契約ですか。状態ですか。役割ですか」


「そんな分類から入らない」


「では、何ですか」


凡田は空を見た。


友達とは何か。


普段なら考えもしない。


一緒に話す。

一緒に昼を食べる。

くだらないことで笑う。

たまに面倒なことに巻き込まれる。


そういうものだ。


でも、それをコトハに説明するのは難しかった。


「たぶん」


凡田はゆっくり言った。


「一緒にいて、ちょっと楽な相手」


コトハは首を傾げた。


「楽」


「気を張らなくていいっていうか。全部説明しなくてもいいっていうか」


「全部説明しない」


「そう」


コトハは手順書を開こうとした。


凡田はそれをそっと押さえた。


「今のは書かなくていい」


「なぜですか」


「書くと、また手順になるから」


コトハは手順書を見つめた。


それから、ゆっくり閉じた。


「手順ではない」


「たぶん」


「たぶん、ばかりですね」


「人間関係って、たぶんばかりなんだよ」


コトハは少し黙った。


その沈黙は、昨日までの沈黙とは違っていた。

教室を凍らせる沈黙ではなく、何かを考えている沈黙だった。


「私は、友達を作れますか」


コトハが言った。


声はいつも通り落ち着いている。

でも、ほんの少しだけ、不安が混じっているように聞こえた。


凡田はその不安を聞き逃せなかった。


「作れるんじゃない」


「根拠は」


「ない」


「根拠がない発言は、信頼性が低いです」


「でも、そういうこともある」


コトハは凡田を見た。


「君は、私の友達ですか」


凡田はむせた。


クリームパンではなく、空気でむせた。


「急に何を」


「定義確認です」


「そういう確認の仕方がもう駄目なんだよ」


「駄目」


「いや、駄目っていうか」


凡田は言葉を探した。


友達か。


昨日会ったばかり。

しかも、かなり面倒な相手。


全知の存在。

パンをくわえて遅刻して、先生の秘密を暴きかけ、クラスメイトの検索履歴を言いかける危険人物。


普通なら、友達とは言いにくい。


でも。


メロンパンで泣いた彼女を見た。

今も、手順書を閉じて、真面目に人との距離を考えている。


凡田はため息をついた。


「少なくとも」


コトハが待つ。


「放っておけない知り合いではある」


「友達ではなく、放っておけない知り合い」


「今はそれで」


コトハは真剣にうなずいた。


「中間状態として記録します」


「記録しなくていい」


「記録しました」


「早い」


そのとき、屋上の扉が開いた。


白金歌音が顔を出す。


「あの、明石さん」


コトハが振り向いた。


歌音は少し迷ってから、小さな紙袋を差し出す。


「これ、昨日と今日のお礼です。口止めではなく」


そこは強調した。


「よかったら、どうぞ」


紙袋の中には、小さなクッキーが入っていた。


手作りらしい。


コトハはそれをじっと見た。


「白金さん」


歌音の肩が跳ねる。


「君は、私と友好関係を構築する意思がありますか」


凡田は目を閉じた。


言い方。


だが、歌音は少しだけ笑った。


「まあ……そうですね。まずは、普通にお話できるところからなら」


コトハはクッキーを受け取った。


「ありがとうございます」


その言葉は、今朝の挨拶より少し自然だった。


歌音もそれに気づいたのか、表情を柔らかくする。


「どういたしまして」


凡田は小さく息を吐いた。


成功かどうかはわからない。


でも、昨日よりは進んだ気がした。


放課後。


凡田は帰り支度をしていた。


今日は昨日ほど大きな爆発はなかった。


いや、席替えの最適配置はかなり危なかったが、爆発前に止められた。


それだけでも進歩だ。


コトハは隣で手順書を見ている。


表紙の文字は、朝とは変わっていた。


『友達成立補助資料』


その下に、さらに小さく追記されている。


『未完成』


凡田はそれを見て、少し笑った。


「未完成なんだ」


「はい。人間関係は、現時点の私の知識では処理しきれません」


「全知なのに?」


「全知でも、未体験です」


コトハはそう言って、手順書を鞄にしまった。


「今日は、昨日より失敗が少なかったでしょうか」


「どうだろうな」


「曖昧です」


「でも、昨日よりはよかったんじゃない」


「根拠は」


「白金さんがクッキーくれた」


コトハは少し黙る。


「それは、成功ですか」


「たぶん」


「また、たぶん」


「人間関係だから」


コトハはふっと息を吐いた。

笑ったのかもしれない。


校門を出るころには、夕方の空が薄いオレンジ色になっていた。


昨日と同じ帰り道。

でも、昨日より少しだけ見慣れた景色。


コトハは歩きながら言った。


「凡田一」


「何」


「知っていることを言わないのは、難しいです」


「だろうね」


「記録は、記録されることで意味を持ちます。けれど、人間は記録されない部分にも意味を持つ」


凡田は少し驚いた。


コトハの言葉が、昨日よりも少しだけ人間らしく聞こえたからだ。


「それ、いいこと言ってる気がする」


「気がする」


「断定はしない」


「君らしいですね」


「僕らしいって何」


コトハは答えなかった。


ただ、昨日より少しだけ穏やかな顔で歩いていた。


凡田の日常は、今日も崩壊した。


でも、その崩壊は昨日より少し静かで、昨日より少し温かかった。


そして凡田は、嫌な予感と一緒に思った。


このままだと、自分は本当にこの全知の転校生の案内人になってしまうのかもしれない。


第2章では、明石コトハ(あかし・ことは)が「友達作り」に挑戦する一日を描いた。


彼女は全人類の友情データを持っている。

けれど、友達を作るために必要なのは、正解を知っていることだけではない。


相手が隠したいことを言わない。

効率よりも気持ちを優先する。

すべてを説明しなくても、一緒にいられる時間を大切にする。


コトハにとって、それらはどれも初めての学びである。


凡田一ぼんだ・はじめもまた、ただ巻き込まれるだけではなく、

コトハに「人との距離」を教える役割を少しずつ引き受け始める。


第1章では、メロンパンの甘さによって「知識と体験の違い」を知った。

第2章では、人間関係の中で「知っていても言わない優しさ」を知った。


次章では、コトハの全知がさらに学校中の秘密を揺らし、

白金歌音しろがね・かのん、桜庭レイコ(さくらば・れいこ)先生、

そして他のクラスメイトたちの隠し事が騒動を呼んでいく。


日常の崩壊は、まだ終わらない。

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