第16章 予行練習は全宇宙に配信しません
体育祭の騎馬戦練習は、ただの体育祭練習だった。
少なくとも、凡田一はそう思いたかった。
けれど明石コトハの不明事項記録帳には、見慣れない文字が浮かんだ。
『第七外縁戦役』
『騎乗型陣形記録』
『再照合開始』
体育祭は、まだ始まってもいない。
なのに、宇宙の古い記録だけが、先に観客席へ座り始めていた。
翌朝。
凡田一は、校門をくぐった瞬間に嫌な予感がした。
校庭の砂が、昨日より少しだけきらきらしている。
体育祭前だから整備されたのかもしれない。
そう思いたかった。
だが、靴の裏で砂を踏んだ瞬間、かすかに声がした。
『観測対象、接近』
凡田は足を止めた。
「……今、砂がしゃべった?」
後ろから明石コトハ(あかし・ことは)が来た。
「凡田くん。おはようございます」
「おはよう。校庭の砂に挨拶された気がする」
「それは危険です」
「危険なのは、俺の寝不足の可能性もある」
コトハは不明事項記録帳を開いた。
ページの端には、昨日の光がまだ薄く残っている。
「再照合が継続しています」
「継続するな。体育祭はサブスクじゃない」
コトハは校庭を見た。
赤組のライン。
白組のライン。
騎馬戦用の練習場所。
何もかも普通の高校の風景だ。
ただし、コトハの目には別の線が重なっていた。
『第七外縁戦役』
『北方小惑星帯・騎乗型陣形』
『局地戦再現率:三・二パーセント』
「三・二パーセント」
「低いな」
「はい。低いですが、宇宙規模では十分に迷惑です」
「迷惑の単位が大きい」
教室に入ると、黒板に大きく書かれていた。
『本日、体育祭予行練習』
その下に、白いチョークではない薄い光で、もう一行。
『本日、局地戦再現予行』
凡田は黒板消しを持った。
「消す」
「待ってください」
「待たない。これは消すやつだ」
凡田が黒板消しを当てると、光の文字は一瞬だけ散った。
そして、黒板の別の場所に再表示された。
『消去行為を敵性撹乱と認定』
「黒板に敵認定された!」
星宮ミーナ(ほしみや・みーな)が席で眠そうに言った。
「朝から黒板と戦ってるの?」
「戦ってない。俺は日直業務をしている」
不死川勇気が目を輝かせる。
「黒板って倒せるのか?」
「倒すな。学校備品だ」
白金歌音が黒板を見て、眉間を押さえた。
「明石さん。これは昨日の騎馬戦練習の影響ですか」
「はい。体育祭予行が、宇宙情報管理局の古い戦役記録と誤接続しています」
「つまり?」
凡田が先回りして言った。
「つまり、体育祭を普通にやりたい」
「凡田くんの要約は、常に文明維持に近いです」
「普通に暮らしたいだけだ」
桜庭レイコ先生が教室に入ってきた。
「はい、朝のホームルームを始めます。今日は体育祭の予行練習です。集合時間と動線を確認します」
桜庭先生は黒板を見た。
『局地戦再現予行』
先生は一秒だけ止まった。
「……明石さん」
「はい」
「この表現は、学校行事に不向きです」
「私もそう思います」
「では、体育祭です」
桜庭先生はチョークで大きく書き足した。
『これは体育祭です』
光の文字が、しばらく沈黙した。
そして下に小さく出た。
『異議あり』
「黒板が反論した!」
教室がざわめく。
ミーナがスマホを出しかけ、白金に止められた。
「撮影しないでください」
「バズるよ、異議あり黒板」
「バズらせてはいけない種類の学校危機です」
不死川は黒板に向かって拳を握った。
「俺は体育祭派だ!」
『発言記録:地上側士気高揚』
「俺の発言、宇宙に記録された!」
凡田は頭を抱えた。
「やめろ。お前の朝のテンションを宇宙史に残すな」
そのとき、校内放送のチャイムが鳴った。
『ピンポンパンポン』
いつもの音。
しかし続いた声は、放送委員の声ではなかった。
『青蘭高校二年三組。観測対象、集合準備』
教室が凍った。
凡田は天井のスピーカーを見上げる。
「校内放送まで乗っ取られた」
コトハは記録帳を押さえた。
「誤配信です」
「配信?」
「昨日の騎馬戦練習で生じた情動反応と陣形情報が、古い記録へ送信されています」
「つまり」
「予行練習が、全宇宙へ中継される可能性があります」
凡田はしばらく黙った。
それから言った。
「中止」
桜庭先生が即答する。
「体育祭予行は中止できません」
「宇宙中継は中止できますよね?」
「努力します」
「先生の努力範囲がおかしい」
コトハは、珍しく少し青ざめていた。
「私のせいです」
その声は小さい。
昨日、コトハだけが光を見た。
コトハだけが、記録帳の文字を読んだ。
そして今日、教室全体が巻き込まれている。
凡田は言った。
「まだ誰も巻き込まれてない」
「黒板が」
「黒板は巻き込まれてる」
「校内放送が」
「放送もまあ巻き込まれてる」
「砂も」
「砂もしゃべった」
「では」
「でも、まだ俺たちは体育祭に行くだけだ」
コトハが顔を上げる。
凡田は続けた。
「予行練習を普通にやる。普通に並んで、普通に走って、普通に怒られる。宇宙が勝手に見てるなら、普通を見せてやればいい」
ミーナが小さく拍手した。
「凡田、朝から地味にかっこいい」
「地味は余計だ」
白金がうなずく。
「普通に行動することが、異常拡大を防ぐ可能性はあります」
不死川が拳を上げた。
「つまり、いつも通り全力で行けばいいんだな!」
「違う。お前のいつも通りは異常側だ」
予行練習。
校庭には全校生徒が集まっていた。
赤組。
白組。
入場行進。
ラジオ体操。
応援席の位置確認。
何もかも、いつもの学校行事だった。
ただ、校庭の白線がたまに光る。
入場行進の笛に合わせて、空の高いところで小さな文字が点滅する。
『地上側移動開始』
「実況するな」
凡田は空に向かってつっこんだ。
近くの一年生が不思議そうに見る。
コトハは隣で、記録帳を抱えていた。
「凡田くん」
「何」
「普通にすることは、難しいです」
「今さら?」
「はい。全宇宙が見ているかもしれないと考えると、歩き方がわからなくなります」
凡田は前を向いた。
「じゃあ俺の歩き方を見ろ」
「凡田くんの?」
「全宇宙が見ても、誰も参考にしないくらい普通だ」
「それは強みですか」
「今日は強みだ」
コトハは、少しだけ笑った。
「では、観測します」
「観測するな。隣で歩け」
コトハは一歩、凡田の隣に並んだ。
その瞬間、校庭の砂に走っていた光が、ほんの少し弱まった。
記録帳に新しい文字が浮かぶ。
『平凡歩行:異常増幅を抑制』
凡田はそれを見て言った。
「俺の普通さ、宇宙に効いてる」
「はい」
「喜んでいいのかわからない」
その直後、予行練習の係の先生が笛を吹いた。
「次、入退場の確認をもう一度。今度は、できるだけ静かに、普通に歩いてください」
全校生徒が、少しだけ戸惑った。
普通に歩く。
言われると急に難しい。
不死川は、腕と足が同時に出た。
「普通ってどっちから出すんだ!?」
「足からだ」
「腕も出るぞ!」
「それは歩行の仕様だ」
ミーナは眠そうに歩きながら、なぜかアイドルのステージ移動みたいな角度で手を振った。
『観測対象、過剰演出』
「普通に歩いたつもりなんだけど」
「地下の普通を持ち込むな」
白金は完璧な姿勢で歩いた。
『規律歩行:軍事式に類似』
白金の眉が動く。
「失礼ですね。これは委員長式です」
「宇宙には違いがわからないらしい」
桜庭先生は笛をくわえたまま言った。
「皆さん、力を抜いてください」
全員が力を抜いた結果、列が少しだけ蛇行した。
『地上側隊列、非合理』
凡田は空を見上げる。
「それでいいんだよ」
「凡田くん」
コトハが隣で言った。
「非合理でよいのですか」
「体育祭の予行なんて、ちょっと非合理なくらいが普通だ」
コトハはしばらく歩きながら考えた。
やがて記録帳に、小さく書いた。
『普通:合理性だけでは成立しない集団行動』
その文字を書いた瞬間、空の光がまた少し弱まった。
凡田は言った。
「今のは、ちょっと効いた気がする」
「はい」
コトハは前を向いた。
「普通は、記録より複雑です」
その日の予行練習は、最後の整列まではどうにか普通に進んだ。
ただし、閉会式の練習で校長先生がマイクを握った瞬間。
校内放送が、勝手に一言だけ重なった。
『青蘭高校、臨時観測点として登録』
全校生徒が空を見上げた。
凡田は小さく言った。
「登録するな」
コトハの記録帳の光は、まだ消えていなかった。
読んでくださってありがとうございます。
今回は、体育祭予行と宇宙誤配信の話でした。
全宇宙に見られそうな状況でも、凡田の普通さは意外と効きます。
次回は、青蘭高校全体がもう少しだけおかしくなります。




