7話③ 天上の主
* * *
気づくと彼女の姿はなく、俺とサイードだけが闇の中に立っていた。
完全な暗闇ではない。足元は固いタイルの床になっており、格子状の継ぎ目がかすかな光を発しているようだった。それで俺たちは互いの姿を確認できた。
「シェヘラザード、どこにいる?」
『私はここにいます』
彼女の声が響いた。が、方角はわからない。
「ここはどこだ?」
『ここは、あなたたちを一時的に退避させるための場所です』
彼女は、いつもどおりの無感情な口調に戻っていた。
『足元の地形が見えますか?』
言われて下を見ると、遥か下方に見覚えのある地形が映し出されていた。俺の知っている地図と同様に上が北ならば、これはガレンドールを中心として近隣諸国を含めた大陸の姿だ。
だが、中心部分は随分細密な印象だが周辺ほど起伏に乏しく、言ってみればただの粘土細工のようだった。そして東はトスギル、西はフィニークあたりまでが限界で、その先は途切れたように何もなかった。
『それは、つい先程まで私たちがいた世界です』
「世界」
『はい』
大陸は足元からふいと浮き上がり、模型となって俺たちの眼前に留まった。横から見たことで、大陸が緩やかな弧になっていることに気づいた。透明なボールに貼り付いた苔かぼろ皮のようにも見えた。
『私はこれを「箱庭」と呼んでいます。この箱庭の中心はガレンドールですが、箱庭の住人が関心を持たない地域には行くことができません。フィニークの先が曖昧なのは、そのためです。従って、この箱庭ではこれ以上の冒険が望めません』
…なるほど、それが「地の果てまで探し尽くした」という言葉の真の意味か。
俺は、さらに彼女が言うべき説明をするのを待った。こんな話をしているからには、総督の娘なんて嘘だろう。
「姉上! 顔が見えないと話しづらいぜ」
だが代わりにサイードが不平を言った。
賛成だ。もし彼女の正体が俺の予想する相手なら、すぐさま掴みかかれる自信がある。そうするには姿が必要だ。
『わかりました。私の姿を準備します』
少し間があった。
俺は腕組みしつつ待った。サイードは胡座をかいてくつろいでいる。順応の早い奴だ。
「おい。お前はあいつの正体を知っていたのか?」
「ああ、つい最近な」
「よく信じられるな」
「面白いからな」
視界の端に扉が現れた。それが音も重量感もなく開くと、シェヘラザードが出てきた。
「出てきたな、シェヘラザード。この一連から推測するに…つまるところ、お前は『天上の主』だったのか?」
「そんなつもりはないわ。あなたたち住人が勝手に勘違いしているの」
またこの口調か。やりにくい。だが俺は彼女に歩き寄っていった。
「ああ、そうだろうな。お前が天上の主なら、お前の恩寵があるなら、俺は二年以上も足踏みなんかしなかったろうさ! 天上の主は無能か!! それとも、俺を振り回すのがお前の恩寵か!?」
俺の剣幕に、彼女はびくびくと首をすくめた。今までどれだけ怒鳴ってもこんな反応はなかった。これが素か。
いきり立つ俺の背後から、サイードが声をかけた。
「あー、アーノルド。取り込み中悪いんだが…お前が姉上に何を頼んでいたのか、聞かせてもらっても構わないか?」
「……っ」
ぎこちなく首だけを回して後ろを見やると、サイードは胡座をくずして片手を後ろに付き、もう一方の手を立てた片膝の上で軽く振った。
「おれはこの先の案内役を仰せつかってるんだぜ。いわば相棒だ。もうそろそろ腹を割ってくれないと、役割を全うできない」
「…笑うなよ」
すでに何かを察してにやけ始めているそいつに釘を刺し、俺は経緯を説明した。もちろん守られるわけはなかった。
「うはははは! 不憫! なんつう不憫!」
サイードは遠慮なくげらげらと笑い転げた。
「なるほど、それで姉上はおれに手伝えと! なるほどな! 任せろアーノルド、ぜひとも男を上げて帰ってやろうじゃないか!」
父上の期待と微妙に違うような気がするが、言い返す気力もない。もうこの話で恥をかく相手は、こいつで打ち止めにしたい。
俺は顔から熱を引かせるため、深呼吸と咳払いをした。
「…で? 天上の主は、俺に次に何をさせる気だ?」
「地の果ての次は星の海だと言ったでしょう。私が管理する箱庭は他にもあります」
シェヘラザードの周りに、似たような模型がたくさん浮かび上がった。彼女はその中の一つを選んでこちらへ押し出し、ガレンドールの模型と交代させた。
「この箱庭なら、サイードに一度確認に行ってもらっているわ」
「そんなに気軽に行き来できるものなのか?」
「私にとって手っ取り早いのは、一度元の箱庭で体の組成を分解し、新しい箱庭で再構成する方法だけれど、あなたたちにとってはおそらく気軽ではないわね。死んで生まれ変わるようなものだから」
「お、おい」
いかにも天上の主だ、気軽ではない理由を気軽に言ってくれる。
「だからこの場所を用意したの。ここを経由して箱庭から箱庭へ越境したという意識を持てた方が、あなたたちの魂も納得するでしょう」
「ここは一体どういう場所なんだ?」
「ここは、箱庭未満の仮の場所。私が試作品を検証するときに使う、砂場のようなものよ」
「…天上の主の仕事は不可思議だな」
つい感心していると、サイードが焦れてきた。
「姉上、そろそろ行先の話をこいつに説明してくれよ」
「あらごめんなさい。箱庭にはそれぞれ個性があって、世界の法則や住人の姿も様々なの。今選んだこの箱庭では魔力の要素が優勢で、精霊魔法よりも強力な魔法や魔物が存在しているわ。一方で、文化程度や国家体制は、ガレンドールほどには発達していない。まとめると、剣と魔法がものを言う世界よ」
「魔法というと、聖女が使うあの力か?」
ガレンドールでは魔法はおとぎ話だ。トスギルではありふれているそうだが、実際にその魔法を見たのはトスギル事案の時にシリーンが使ってみせたものだけだ。
「あれよりも具体的で多彩よ」
「なかなか派手でいいよな? あれ、おれも覚えられるのかな?」
サイードはもう体験済みか。いつも俺の先を行ってる奴だ。
「魔力の源は共通だから、一応覚えることはできるわ。でも発動の法則が違うので、元の箱庭に帰っても使えないでしょう」
「何だ、残念だな」
「もう一つ。こちらの箱庭では、鍛錬によってめざましく成長することができる仕組みになっているの。でも、それもこの箱庭特有の法則でブーストしているだけだから、ガレンドールに戻ればその力はほとんど残らないわ」
「それじゃあ行った甲斐がないぜ。つまらないな」
「力は残らなくても経験と記憶は残るでしょう? 大切なのはそこよ」
シェヘラザードが微笑むと、サイードは黙った。
「さあ、そろそろこちらに降りる準備をさせてもらうわ」
彼女が宣言すると、目的の箱庭が俺たちの足元に下りてきた。
「あなたたちの能力を、こちらの箱庭の法則に合うよう変換するわ。サイードによれば、目眩がしたり、ないところに手が生えるような感覚がするそうよ」
「待て、何だか他人事のような言い方だな。まさかお前はついてこないのか?」
「私は邪魔になるから同行はしません。サイードがつく方が効果的です」
サイードを見ると、手をひらひらと振っている。
「手〜伝うぜ〜?」
「え、じゃあ帰りはどうするんだ」
「天上の主なんだからお祈りとかしたらわかるんじゃないか?」
「それだとタイムラグが大きくなるわね。…ではこれを使いましょう」
シェヘラザードはサイードに近寄り、腕の編み紐飾りを指し示した。
「その石をマーカーにしましょう」
「どうやって使うんだい?」
彼女は訝しむサイードの耳元に唇を寄せ、何ごとかを囁いた。それで納得したようだ。
「契約のコインを使うのはだめなのか?」
万が一はぐれたときの用心に、俺も聞いてみた。原契約の証なのだから、俺にとってはこっちの方が命綱だ。
「残念ながら、そのコインには今以上の機能は付けられないの」
「そうか…」
サイードがまだ耳をいじっているのを何となく眺めていると、足元のタイルが光り始めた。見知らぬ箱庭の大地が近づいてくるのと同時に、全身が何とも言えない奇妙な感覚に襲われた。
背筋を変なものが登ってくるような感触に耐えていると、突然景色が変わっていることに気づいた。
俺とサイードは、森というほどでもないまばらな木立の中に立っていた。植生はガレンドールに似ているように思えたが、ところどころに散らばる花や石は見慣れない色合いだった。
「さあ、来たぜ」
サイードが張り切って言った。
「冒険の始まりだ!」
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2023/1/7 サブタイトル変更
2023/1/10 サブタイトル再修正
2024/7/6 修正




