7話② 越境
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俺は甲板に立つと、揺れに合わせて膝を曲げながら上を見上げた。
「乗り心地はどうだ、アーノルド」
「上々だ」
隣でサイードが浮き浮きと言った。
俺が慌てるとでも思ったか? 船酔いなんかしないからな。
俺たちは、フィニークの公式快速帆船に乗り込んでいた。外洋航海向きの船に乗るのは初めてだ。少しでも鋭く波を切るための細長い船体と、少しでも多く風を受けるための大量の帆、そして帆を操作するため上が見えなくなりそうなほど所狭しと垂れ下がったロープが、この船の特徴だ。
一番高いマストと船尾には、目的地でもあるフィニーク連邦を表す六枚花弁の花の旗が掲げられ、隣のマストにはガレンドールの緑の地色に白い木の旗が翻っていた。どちらも夏空によく映える。
俺は、ついに今日この船でガレンドールを離れる。表向きは王の親書をフィニーク総督に渡すためだ。
内容は、身も蓋もなく言えば「うちの不肖の息子を預けるのでよろしく。この機に親同士仲良くしよう。迷惑料は払う」という意味だが、丁寧に丁寧を尽くして五倍の文量で書いてある。
「迷惑料」は、船倉に詰め込んだ高級品や関税なしの貿易品だ。さすがに王室ではなく国が費用を持ってくれたので助かった。
同行するのはサイードとフィニーク大使館員、それから大使館が付けた護衛二人だ。シェヘラザードも秘密裏に付いてくる手はずだが、今は姿が見えない。ウィスカーは置いてきたので、この船にガレンドール人は俺一人だ。
ウィスカーはこの旅についてくるかどうか迷っていたが、給料が出ないと言うとあっさり諦めた。
成年の儀のすぐ後のことだ。
『断る理由ができて何よりです。これから子どもが生まれるのに海外単身赴任なんて、殿下はどれだけ鬼畜かと思ってました』
『子ども!? お前結婚してたのか?』
『子どもができたから結婚するんです』
『…何か無茶をしたんじゃないだろうな? 俺の従者であることはわきまえてくれよ』
『勘ぐりはよしてください。腐れ縁なので、なるようになっただけです』
『そういうものなのか? 市民は自由だな。とにかく、そんな仲の女性がいたとは知らなかったな』
『言えるわけないでしょう。従者が二人とも殿下より先に片付いてしまうなんて』
『だから、わきまえろと言ったろう! 鬼畜と言われたことは見逃そうと思ったが、俺こそやっとお前を首にできてざまあ清々だ!!』
『あ、聞こえてたんですね』
『貴様…』
『…目付の役も楽じゃないんですよ。あなたを奮起させるには別の手が必要ってことは私にもわかってます。どうぞ後腐れなくお発ちください』
『ウィスカー…』
あの時、突然表情を消したウィスカーに気圧されて掴んでいた胸倉を離すと、奴は一礼して去っていった。
また子どもぶりを晒してしまったな。
次に会うときは、もう奴を呆れさせるような俺ではなくなっていたい。
* * *
サイードに案内されて船室に入ると、そこにはすでにシェヘラザードがいた。
いつもの占い師の衣装ではなく、フィニークの標準服を纏っているのが新鮮だ。襟や袖口に凝った縁取りがなされたゆったりした長衣を着て、頭から首までをスカーフで覆っている。髪は一切見えないが、金のネットの縁やそれを額に留めるバンドが見えるので、中で着けているのだろう。
長い睫毛と真っ直ぐな鼻筋が引き立ち、柔らかさの中に凛とした印象を醸し出している。
「やあ、姉上も無事に乗れたな」
「ええ、世話になるわサイード」
身内が相手だからだろうか、心なしか表情も言葉遣いも柔らかい。ちょっと入れない気がするなと思っていると、彼女は俺に目を向けた。
「殿下もお疲れ様です。これからよろしくお願いいたします」
船が揺れた。どうやら出港したらしい。岸を離れれば、この船の中はフィニークの領土も同然だ。
「シェヘラザード、今から俺は君たちの客人になる。もう俺の国ではないのだから、殿下と呼ぶ必要はない。…その、サイード同様、友人として接してくれるとありがたい」
「わかったわ、アーノルド」
切り替えが早いな!
でも彼女に名前を直接呼ばれたのは初めてか。俺は無意識に自分の首筋を撫でながら、友人のように答えた。
「ああ、ありがとう。よろしく頼むよ」
そう言うと、シェヘラザードは愛想よく微笑んだ。何だか別人みたいで面食らう。
「それで、フィニークに着いたら君はどうするんだ?」
「ごめんなさい、アーノルド。私たちはフィニークには行かないの」
「何だって!?」
話し方にはむずむずするが、それより内容が問題だ。サイードを振り返ると奴は軽く肩をすくめ、顎でシェヘラザードの話を促した。
「語弊があったわね。フィニークにはちゃんと行くつもりよ。でもその前に寄り道をしてもらうわ」
何なんだこの姉弟は!? いい加減にしろ。
「アーノルド、陛下の次の課題は、『見知らぬ土地を冒険し、揉まれて男を上げてこい』でしょう?」
「それはフィニークのことじゃなかったのか?」
「今のフィニークでは不十分なの」
「……」
意味を測りかねていると、サイードが口を挟んだ。
「おれも知らない土地へ行けるのか。わくわくするな」
む、こいつのアドバンテージなしなら、行く甲斐はあるかもしれない。
いや何考えてるんだ、現実的な問題があるだろう。
「…しかし、船が航路を外れたら問題じゃないか?」
「船は予定通り。離れるのは私たちだけ」
「もっと問題だろ! 親書はどうするんだ」
「大使館員に預けておけよ。悪いようにはならない」
「陛下の耳に入ったとしても、この展開を彼は驚かないわ」
「総督は土産だけもらって丸儲けだな」
二人に交互に言われて、俺は観念した。
こんな無軌道なことがあってもいいのか。いや、これが冒険か。もう始まってるってことか。肚を決めよう。
俺だってもっと素直にわくわくしたいんだ。
「わかった。もうどこへでも連れてけ」
「では、今夜二人とも甲板へ来てちょうだい」
俺が両手を挙げて呆れながら言うと、シェヘラザードは何も企んでいないかのような顔でにっこりと笑った。
* * *
「おい」
船室を出たところで、俺はサイードの肩をつかまえた。
「最初から大使館員に後を託すつもりで、連れてきたな?」
「気づいたか」
奴は振り返り、ニヤリとした。
「至れり尽くせりで感動したか?」
「こいつ…!」
軽く手を出すと、サイードは難なく避けた。
別に喧嘩をしたかったわけじゃなかった。俺は腰に手を当てて胸の息を吐き出し、改めて奴を見据えた。
「シェヘラザードは、どこへ連れてくつもりだと思う?」
「多分、あそこだろうな。こないだ様子見でちょっと行かされたことがある。未開の地ってわけじゃないが…まあ面白いところだよ。色んな意味でこことは全然違う」
「へえ」
「せっかくフィニーク語を覚えてもらったのに、フイになったな」
「どうせ付け焼き刃だ。まだ字もちゃんと読めないし、あっちでまごまごしてるよりいいさ」
話すうちに気分が上がってきた。サイードも同じらしく、親指で上甲板への上げ戸を指し示した。
「肩慣らしだ、表でちょっと遊ぼうぜ」
上甲板へ出ると、とっくに帆が存分に張られてばたばたとすごい音を立てていた。港はまだ遠くに見えており、内海を出るにはもうしばらくかかるようだった。
忙しく立ち働く船員の邪魔になりながらサイードが柔軟を始めたので、俺もそれに倣った。風はよく吹き、船は時々波頭を砕いてがくんと揺れた。
サイードは立ち上がると、両舷に張られているロープの梯子の一方に駆け寄り、勢いをつけて跳びついた。両腕でぶら下がり、前後に体を揺すると一回転しながら飛び降りる。続いて俺も同じように梯子に取りつき、目測を付けると無事に回転着地した。
俺だって身は軽い方なんだ。空間に的確に体を入れるセンスと素早さがないと、杖で剣と渡り合えない。
小手調べは済んだようだ。サイードがとんとんとつま先で床を叩きながら、次の手を考えている。
「やるじゃないか」
「英才教育の賜物だ」
「マストを寝ぐらに育ったおれに、ついて来れるかな?」
言うと奴は走り出した。貯水用に並んだ樽を蹴って高く跳ね上がると、ひと息で船尾デッキへと着地した。後を追った俺がデッキに立つ頃には、再び下に降りて船首を目指していた。俺もすかさず追う。ロープをかいくぐり、揺れををバネにして一気に加速し、あちこちのマストに登っては梯子を数段飛ばしで掴んで降りる。
そんな追いかけっこをしながら、俺たちはしばらくの間暇をつぶした。
* * *
夜更けになり、俺とサイードは荷物をまとめ上の甲板に出た。乗船した時と同様の旅装とマント、護身用の短剣が今の俺の装備だ。念のため、荷物にはキャンプの足しになりそうな布や保存食、多少の道具を詰めている。
そもそも文化国家に行くつもりだったから、キャンプ道具なんか持参していない。船内を探し回っていただいてきた。だがサイードは、抜け目なく自分の糧食は用意していた。乗る前に言っておけよ。
星明かりに目を慣らしながら舳先へ進むと、シェヘラザードのシルエットが見えてきた。スカーフを取り、豊かな髪がかろうじて背景と区別できる。
風と波と軋む船材の音が、ゆっくりとしたリズムを作っている。
見張り台に人がいるはずだが、不自然なほど気づかれない。
「来たわね、アーノルド」
「ああ」
俺たちが近づいても、シェヘラザードは立ったまま特に動かなかった。彼女は手ぶらで、ボートを出そうという風でもなかった。
「ではこれから、あなたたちには『越境』してもらうわ」
彼女がそう言うと、急に星空が迫ってきた気がした。
船が舳先から飲み込まれ、足元の床も消え、俺たちは一瞬闇に包まれた。
ざまあ清々=ざまあみやがれ、清々したぜ
たぶん学園男子が使う俗語かと。
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2023/1/7 サブタイトル変更
2023/1/10 サブタイトル再修正
2024/7/6 修正




