6話③ 星空
* * *
「…ここに、我が長子にして王太子アーノルド・レグルス・ガレンドールの成年を祝し、天上の主の深き恩寵のもと、彼と、緑なす大地ガレンドール、そしてこの地に等しく住まう民たちの末永き繁栄を祈り、杯を捧げよう!」
「アーノルド殿下のご健勝に!」
「ガレンドールの繁栄に!」
「天上の主の恩寵を!」
父上が杯を掲げると、いくつもの長大なテーブルに居並ぶ賓客達が応唱し、それぞれのグラスを重ね合わせた。場内にその音色が響く。
成年の儀を済ませ、晩餐会用の礼装に改めた俺も父上とグラスを交わした。父上に先立ち、俺自身のスピーチを何とかやり切ったところでもう気が抜けそうだった。王太子がソロンに言及しないスピーチなど前代未聞だろう。
俺は昨日、進路について父上に最終的な報告をした。案の定初めは渋られたが、父上が気に入りそうな理由を述べると態度が軟化した。
「この話を是非にと提案してくれた我が新たな友人サイード・ユーシェッドは、…あまりに生意気な奴なのでいっぺん親の顔を見たいと思いまして」
「ふふふん、そうきたか」
父上が俺の言い回しか、新しい友人そのものをかを非常に喜んでいることは伝わった。
だめ押しになったのがシェヘラザードの存在だ。彼女が言ったとおり、その名を出した途端驚いたことに父上は完全に了承してしまった。
「何だよ、シェヘラザードが言うんじゃあなあ。信じるしかあるまい」
おいおい、と自分の親に突っ込みそうになった。たかが占い師の一言で一国の統治者が動かされてしまっていいのか。だが続く告白にはもっと驚いた。
「オレが若い頃もシェヘラザードの世話になったもんだ。彼女の助言がなかったらオレは王になったかわからないし、オクタヴィアにも出会えていなかったかもな」
父上が面識があるだろうことは想定の範囲内だが、王位につく前の話だとは。彼女は年を取らないのか? 言われてみれば、確かに今も二年前とまったく変わりがないように見える。女性の年齢はわかりにくいとはよく聞くが、それにしても限度がある。
シェヘラザードはつくづく謎めいた女だ。高名と言うが名を知るものはわずかで、市井で噂を聞いたこともない。謎めいた風貌に謎めいた喋り方で、はったりだけはよく利いている。あの無表情や抑揚の足りない喋り方、取ってつけたような素性に加えて、また謎が増えた。
とにかく俺は、彼女の王をも動かす御威光のおかげで、晴れて無責任にも国を飛び出すボンクラ王子となったわけだ。
晩餐会の間、父上はシェヘラザードに与えられた試練について少し話してくれた。
父上の若い頃は、その前の時代の戦乱の空気がまだ残っており、そんな中で武者修行に出たらしい。この大陸中を駆け回り、北方の部族と渡り合い、高地の廃城で宝を探し、南国の後宮にまで潜り込んだとか。それらは小さい頃にも聞いた話で、適当に盛っていると思っていたが本当だったようだ。今なら歴史や地勢と突き合わせてより立体的に事情が分かる。
これだけの経験をしていれば、俺を頭でっかちと言うのももっともだ。
「さすがにオレも西方大陸までは足を伸ばせなかったな。アーノルド、お前も見知らぬ土地を冒険し、揉まれて男を上げてこい」
そう言って父上は俺の背中を叩いた。
そんな風に励ましを受けるのは数年ぶりで、俺は気恥ずかしさと有り難さで少し歪んだ顔をしてしまっていたと思う。
* * *
俺は今夜のパートナーであるアルクアの王女の手を取り、フロアの中央に進み出た。今夜の最後の義務、舞踏会の始まりのダンスだ。王女は来賓客の中で最も身分が高く、この場のパートナーとして最適だ。
曲が始まり、俺が滑るように足を踏み出すと彼女はふわりとついてきた。軽やかなワルツに乗ってフロアの中央を一周すると、父上と母上の組が参加する。もう一周すると、高位貴族や来賓を中心に皆が踊りだす。後はもう自由だ。
「お久しぶりでございますわ、アーノルド殿下」
最初の曲を終えて、俺たちはフロアの中央からはけた。王女が改めて俺に向き直り、軽く礼をする。
「その節は、兄が大変お見苦しいところをお見せしてしまいましたわ」
「なに、レオナールも臣籍になれて本望でしょう。趣味に精を出している今の方が、彼の性に合っていますよ」
王女はレオナールたちの妹で十五歳だ。昨年は学園生ではなかったのであの舞踏会にはいなかったが、アルクア宮廷の舞踏会では今日のようにエスコートを頼まれてしたこともある。持ちつ持たれつだ。
レオナールは、去年の騒ぎで最終的に王族の身分を離れた。もともと王位は望んでいなかったのでせいせいしただろう。今は趣味のレガッタに存分に打ち込んでいる。
「まあ、ありがたいお言葉ですわ」
そう言って可憐に笑うと、彼女は他の客に誘われて行った。俺もまた、これからしばらくの時間は目が合ったご令嬢たちを万遍なく誘わなければいけない。
本来ならば、今夜は王太子妃のお披露目を兼ねていたかもしれない。あるいは、王太子妃候補をそれとなく紹介する場だったかもしれない。だが多くの令嬢たちが夢見るような、候補を見初める場にはなり得ない。
俺が出る大抵の舞踏会では、序盤のパートナーは常に政治的に適切な相手が事前に選ばれ、根回しが済んでいる。その後の無礼講でいかに期待を込めて申し込まれようと、大して付き合いのない相手とちょっと踊ったくらいでは、個性も魅力も感じ取れるわけがない。
ダンスで恋に落ちれるなら誰も苦労はしない。先に恋に落ちてからなら盛り上がれるかもしれないが、俺にとってダンスはどこまでも社交なのだ。
会場には当然アナスタシアもいた。しかし、俺たちはダンスはおろか言葉を交わすこともしなかった。
目が合うことはあったが、ダンスを望む視線ではなかった。彼女は軽く会釈してふいと視線を反らし、それきりだった。
* * *
俺はバルコニーに出ると、手すりにもたれて一息ついた。初夏の夜空は、王宮の明かりで少しけぶっているようにも見えたが、眺めているうちにだんだん星が見えてきた。
父上の言葉を思い返す。
俺は、この国で誰よりも恵まれた立場ですくすくと――そしてぬくぬくと育ち、その目でしか世界を見れていない子どもだった。このまま国内を巡り歩いても、小さくまとまることしかできない気がする。いつの間にか俺を取り巻くしがらみの糸に絡め取られて、意思とは裏腹に踊らされてるかもしれない。
今でもそうだ。俺の世界は小さかった。意気がってるつもりでも、ただ予定調和の箱庭を右往左往しているようなものだった。
だから、行くべきなのだ。
「見知らぬ土地で冒険か…」
いいだろう。あの胡散臭い占い師の口車に乗ってやろうじゃないか。
お前は、俺をどこまで連れて行く?
遥か頭上の星空が、ラピスラズリのようにきらめいた。
第一部完。次回から新章突入です!
この後、第一部の登場人物まとめを出しておきます。
***
2023/1/7 サブタイトル変更
2024/7/4 修正




