2.奇跡の日々(2)
男の人の物語の中のラドジールは魔物でも英雄でもなく、ただの人間でした。
それも、チェナと同じように笑ったり怒ったり、時には怯えたりもする、チェナと同じ十四歳の男の子なのです。
ただ、チェナと違うのは、彼は裕福な家の子で、容姿、頭脳、力などのすべてに恵まれ、強気で自信に溢れ、いつも自分がみんなの中心でなければ気が済まない性格だったということだけです。
そんな彼は、いつも子供たちの王様で、将来自分はきっと本物の王様になるのだと思っていました。
ある時、シルドーリンの丘の下の滅び去った妖精族の遺跡に、持ち主に王位をもたらす伝説の秘宝が埋もれているという噂を耳にした彼は、肝だめしの冒険を思い立ち、取り巻き連中を引き連れて、大人たちに内緒で町を抜け出し、シルドーリンの坑道跡に、こっそり入り込みました。
けれど古い坑道はあちこち崩壊しており、子供たちは当然のごとく道に迷い、地下の迷宮をどうどうめぐりしはじめます。
そんな極限状態の中で、どっちに進むかという口論から仲間割れが起こり、仲間に背かれ主導権を奪われたラドジールは、意地になってみんなと反対の方角へ歩き出します。
彼に従ったのは、彼の義妹ただ一人でした――。
男の人は、子供たちの一人一人を、それはいきいきと語ったので、チェナは、自分がその子供たちの一人になったような気がしました。そして、自分がこの中の誰かなら、きっとラドジールの妹だろうと思いました。それほど、男の人が描き出すラドジールの妹は、聞けば聞くほどチェナにそっくりに思えたのです。
ラドジールには、事情あって家に引き取られてきた遠い親戚の娘である義妹がいて、彼女は、すべての資質に恵まれたラドジールとは対照的に何から何まで冴えない、のろまでうすぼんやりとした女の子なのでした。
そんな彼女に、ときに他の人に見えないものを見てしまうという何の役にたつでもない奇妙な力があったというので、チェナはよけい、彼女を自分と似ていると思いました。
そんな義妹を、ラドジールは、家に連れてこられて以来一度も妹とは認めず、冷たくあしらってきたけれど、妹のほうは、輝かしい兄を無邪気に崇拝し、慕っていました。
この秘密の探険行にも、ラドジールは妹を連れていくつもりはなかったのに、彼女は敬愛する兄に勝手についてきていて、兄が、それまで取り巻きだった子供たちのすべてに背かれた時、ただ一人、彼に従ったのです。
他の子供たちと別れて歩き出した二人は、やがて、妖精族の遺跡らしい、礼拝所を思わせる小さな石室を発見しました。
そこには、おそらくは占いに使われたと思われる古い水盤が残っていて、その底には、今もなお、鏡をはめ込んだように、澄んだ水が溜まっていました。
ふたりが石室の中を調べようとした時、落盤が起こって、ふたりは、そこに閉じ込められました。
妹は、大怪我をした上に、岩に足を挟まれて動けなくなり、ラドジールの救出の努力もむなしく、やがてそのまま衰弱して死にました。
けれど、彼女は、死ぬ前にラドジールに言ったのでした。
私の肉を食べて生き抜いてくれ、と。
ラドジールは、この、二つばかり年下の妹を、妹としてではなく、ほのかに好きだったのだと、チェナは思いました。だから、彼女をずっと妹として認めなかったのだし、町中の少女たちの憧れの的である自分が愚鈍な義妹などに惹かれてしまうのがおもしろくなくて、そんな自分が許せなくて、それで、ついいらいらして、彼女につらくあたってしまっていたのだと。
語り手である男の人は、それをはっきりと言葉にはしなかったので、小さい子供たちには全然わからなかったでしょうが、少し大人のチェナには、ちゃんとわかりました。
ラドジールは、妹の最後の言葉に従ってその肉を食べることで妹の魂の一部を自分の中に取り込めるような気がして、遺体から切り取った肉片を、一口だけ食べました。
食べながら、泣きました。
この時、ラドジールは、妹の魂の一部と一緒に、人に見えないものを見るという彼女の不思議な力の一片を、自分の中に取り入れたのでした。
やがて灯火も尽き、夢ともうつつともつかぬ闇の中にただひとり取り残されて水盤の水でかろうじて命を繋ぎながら、もはや救いを希う気力もなく放心していたラドジールの前に、夢か幻か、光り輝く妖精の女王、永遠なるキャテルニーカが現れて、彼に宝玉を手渡し、帰りの道を示します。
女王の指さす方向に見える微かな光に向かって、夢中で這い進み、ラドジールは、ついに地上に生還します。
地上は、夜でした。
ラドジールを導いた光は、満天の星明かりだったのです。
すべては地底の闇が見せた幻覚だったのかと思ったけれど、宝玉は、たしかに彼の手の中にありました。
彼は宝玉を握り締め、丘の上から広い世界を見渡して、いつの日か、この地上のすべてを支配する王となることを、自分の体内の妹の魂に誓いました。
自分を裏切り、妹を殺したこの世界に、復讐するために。
そしてそのまま、町へは帰らず、伝説の丘の上からあてもない旅に出ました――。