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3.〈夢見乙女〉の伝説(3)

 語り終えた男の人――エルドローイは、いったん口をつぐみ、子供たちを静かに見渡しました。まだ話は終わりではないと分かっていたから、誰も口を開きませんでした。

 この突拍子もない物語を、子供たちの何人がどこまで理解したのか、チェナには分かりませんでした。けれど、少なくともチェナは、彼の物語の多くが自分たちの知らないものだったり、知っているものと少しづつ違っていたりした訳を理解しました。それらは、別の世界の物語だったのです。そしておそらく、そのいくつかは、すでに滅びたある世界――彼が滅ぼした彼の故郷――に伝わっていた物語だったのでしょう。


 エルドローイは、再び、口を開きました。


「わかったかい? 私は、夢見乙女の卵にふさわしい子供を探して幾つもの世界を渡り歩く定めを負った永遠の旅人、〈夢見乙女の狩人〉だ。言っただろう、私が狩るのは人間の子供だと。――そして私は、ここでまた、夢見乙女の卵となるにふさわしい子供――見えないものを見る力と夢見る魂を持つ子供を一人、見つけ出したのだよ」


 しんとなって聞いていた子供たちが、ちょっと怖そうに首をすくめ、かすかにざわめきました。

 チェナは不思議に思いました。なぜ、みんな、あんなふうに、不安そうに、怖そうにしているんだろう。何も恐れることはない、すばらしいことじゃないの。彼に選ばれた、その人がうらやましい。どうせ、あたしなんかじゃないにきまってるけど――。


「それ、誰?」


 みんなを代表してリドがおそるおそる尋ねると、エルドローイは、きっぱりと言いました。


「チェナ。それは、チェナだ」


 チェナは茫然としました。

 何のとりえもない自分が、この特別な人に選ばれるなんて。そんな不思議な運命に、選ばれるなんて――。


「チェナ。一緒に来るかい?」


 美しい狩人が、まっすぐにチェナを見ました。チェナに、チェナだけに、やわらかく微笑みかけました。返事を待ってチェナを見つめるその人の、笑みを含んだまなざしは、うっとりするように暖かく、チェナはもう、夢を見ているような気がしました。


 ――ああ、何をためらうことがあるだろう! あたしは、ずっと、自分が何をしたいのか、何になりたいのかわからずにいた。きっと、大人になんかなりたくなかったから、学校を出ても、こうして、子守を口実に子供の日々を引き伸ばしていた。大人になったっておもしろいことなんか何もありやしないのは分かりきっていたし、大人がしなければならないようないろんなことを、自分が何ひとつしたくないのも、何ひとつ上手くやれるわけないのも分かっていた。

 だけど、いつまでも子供ではいられないから――ここにいたら、どんどん時間が過ぎて、いつかは大人にならなくちゃいけないから――、だから、あたしはここで、子供と大人の間の隙間に、ひっそりと身を隠していた。そうしていれば時間が自分を見逃して自分の上を素通りしてくれるかもしれないと密かに期待して、なるべく首を縮めていた。

 そうやって時間を稼ぎながら、本当はここで、自分をこの世界から――この、流れ続ける時間の中から連れ出してくれる何かを、誰かを、ずっと待っていた。

 そう、あたしはきっと、ずっと、この人を待っていたんだ――。

 そして、この人は、やって来た。物語の中から。


 ……物語。

 美しい語り部であるこの人に出会って初めてはっきり気づいたけれど、あたしがずっと本当に好きだったのは、ただ、ここでないどこかの物語を夢みることだった。自分でも気づかないうちに、窓の外に、空の向こうに、いつも、知らない国の物語を見ていた。それが、一番幸せな時間だった。

 けれど、大人になったら、それはもう、できなくなると思ってた。いつまでもぼんやりと、役に立たない物語など思い描いていてはいけないのだと思い込んでいた。だから大人になりたくなかった。いつまでも、夢の中に、物語の中に、いたかった。


 この人は、その、物語の中からやって来て、あたしを、終わることのない永遠の物語の中へ連れ去ってくれる。あたしは、この美しい人と、幾多の見知らぬ世界を、どこまでもさすらう。幾多の物語の中を旅する。そして時満ちたなら、ただひとり、美しい水晶の棺に横たわり、永遠に夢を見続けるものになる――。

 こんなあたしだって、その時は、美しくなれるだろう。そんな気がする。だって、あたしは、伝説になるのだから。この人も時々、会いに来てくれるだろう――。


 チェナは、幸せで息が詰まりそうになりました。

 何もなかったチェナの行く手に、突然、思いもよらなかった新しい扉が開けようとしていました。目の前の不思議な旅人の後ろに、見知らぬ広い世界が見える気がしました。

 子供たちの怯えたようなざわめきも、チェナの耳には、もう聞こえませんでした。


 チェナは、静かに立ち上がり、エルドローイに向かって、はっきりと頷きました。


「はい」

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