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3.〈夢見乙女〉の伝説(1)

 次の日、子供たちが森へ行くと、男の人はもう、小屋の前に立って、子供たちが来るのを待っていました。

 子供たちが小屋に入ろうとすると、それを身体でさえぎり、

「今日は暖かいから、外でお話をしよう」と言って、子供たちをそのまま小屋の前の空き地に座らせました。

 これまでも、暖かい日はそうやって、空き地に運び込んだ倒木に座って、外でお話を聞いていたのです。

 けれど、この日は、ちょっと違いました。男の人は、どこかいつもと違う、有無を言わさぬ口調で、いきなり、こんなふうに切り出しました。

「私のお話は、今日が最後だよ」


 その言葉に、いっせいに騒ぎ出そうとする子供たちを、男の人は、手振りひとつで素早く抑えました。他の誰にも出来ないけれど、この人にだけは、それが出来るのです。

「最後だから、君たちに、とっておきの、世界の秘密を話してあげよう。お父さんもお母さんも学校の先生も、どんなに偉い王様も、どんな物知りな博士でも、誰も知らない、世界が生まれる場所の神秘、この世界の生成の秘密の核心を……」


 そして、子供たちが驚いて顔を見合わせているうちに、歌うように語り出しました。

「昔々のその昔、この私、エルドローイは、一人の乙女に恋をした。夜のような黒髪、桜色の指先……」


 子供たちは、戸惑って、不審そうな顔をしました。

 これは、何の話なのでしょう。

 この人は、いったい、何を話し始めるのでしょう。

 男の人は、今まで、数知れぬほどのお話をしてくれたけれど、自分のことなんかを語ったことは、一度もありませんでした。

 お話をするような口調だけれど、これは、物語ではないのでしょうか。この人の思い出話なのでしょうか。世界の秘密というのは、この人の昔の恋の打ち明け話だったのでしょうか。チェナにとっては、それはそれで、たしかに全世界と同じくらい重要な、ぜひ聞いてみたい話のような気もしたけれど、でも、そんなものがなぜ、世界の秘密の核心なのでしょう。


 普段なら、子供たちは、この人のお話に、問いかけられた時以外にむやみに口を挟んで腰を折ったりはしませんでした。男の人がそうするなと言ったわけではないけれど、そんなことはしないほうが得だということを、経験から、もう学んでいたのです。

 けれど、この時は、子供たちはこれが『お話』なのかどうか確信が持てなかったので、違和感のままに思わず口を挟みました。

「ねえ、それって、本当のこと? それともお話なの?」


 男の人は、静かな声で、おだやかに言いました。

「ヤーシェ、黙ってお聞き。これは、お話だよ。そして、お話というのは、どれも本当のことなんだ」


 そしてまた、中断したことなどなかったように、歌うような声音で言葉を続けました。


「白樺の若木のようにほっそりとした、まだあどけない少女だった。白磁のごとき肌の、頬はうっすらと血の色を透かし、まぶたは仄蒼い翳りを帯びて、その唇は、森の葉陰で人知れずひっそりと熟れて小鳥を誘う小さな野いちごのよう。触れれば砕け散りそうな儚く薄い耳たぶは、薄桃色に透き通る薔薇水晶を妖精族の名工が精緻に刻み込んだかのよう。

 世にまたとなき清らかなその乙女のやわらかな漆黒の睫毛は、けれど、目元に濃い影を落としてそっと伏せられたまま、白いまぶたは瞳の奥に眠る秘密の夢を閉じ込めて、永遠に開くことがない……。

 乙女は、決して覚めることのない永い眠りを眠り続けていたのだ。氷のように透き通る、水晶の棺の中で。彼女は、永遠に眠りながら世界を夢見る、〈夢見乙女〉のひとりだったのだよ……」


 こうして、世にも不思議な物語が始まりました――。




 誰も知らない、この世の外のどこかで、人知れず、永遠に眠りながら夢を見続ける乙女がいる。

 その、〈夢見乙女〉が見ている夢が、この世界なのだ。

 夢見乙女は、永遠に歳をとらずに、いつまでも少女のままで眠り続ける。

 夢見乙女の夢が、世界を生み出す。

 夢見乙女は何人もいて、だから、世界は、いくつもある。

 滅多にないことではあるが、一人の乙女が何かの事故で死ぬと――あるいは、さらに稀な、ほとんど考えられないような過ちではあるが、何かの拍子に乙女が目覚めると――、その時、ひとつの世界が消える。


 乙女たちが眠っているのは、本当は、この世の外の、どこか知らない荒涼の惑星の上で、そこには空気も水もなく、生きているものは何もなく、ただ透明な棺だけが延々と並んでいるのだけれど、乙女たちの棺は、同時に、それぞれの夢の中の世界にも存在している。

 そこでは、棺は、それぞれの世界に相応しい神秘の場所にある。

 あるいは天に聳える高山の頂の壮麗な神殿に、あるいは清浄なる森の奥の簡素な小祠に、あるいは人跡未踏の密林に眠る半ば崩れた古代遺跡の最奥のおくつきに、あるいは遥かな氷原を越えて辿り着く幻の国の氷の宮殿に、あるいは訪なうものもなく忘れられた古い塔のてっぺんの秘密の小部屋で厚い埃に覆われて、また、あるいは、いつでも虹が架かっている壮大な瀑布の裏の謎めいた洞窟で、万華鏡のように色を変える不思議な鉱石の薄明かりに照らされて――、夢見乙女の棺は、ひっそりと置かれている。

 それがどこであっても、そここそが、その世界の、中心だ。

 そして、それぞれの世界と、乙女たちが眠る夢見乙女の星とは、乙女の棺が占めるその空間においてだけ、二重に重なって繋がっている。ちょうど、一本のピンで二枚の紙を刺し貫いた時、違う二枚の紙に同じピンが同時に刺さっているのと同じように、同じ棺が、その一点において、二つの世界に跨がって存在しているのだ。


 夢見乙女の存在は、世界の秘密。秘密の核心。

 けれど、時々、命を賭けて世界の真実を求める賢者や、この世の最高の至宝を求める勇者たちが、あるいは長年の修業や学究の末に、あるいは波瀾万丈の冒険の末に、夢見乙女の伝説という、この世の源泉の秘密にたまたま辿り着き、やむにやまれぬ狂おしい探索を経て、世界の中心の乙女の許にまでやって来ることがある。

 彼らの中には、ふたつの世界が接するその場所から、何かの加減で、そこに重なって存在する夢見乙女の惑星のほうに紛れ込み、棺を取り巻く虚無に呑まれて瞬時に命を落とすものもある。

 だが、そうならなかったものが、それほど幸運なわけでもない。彼らは、長く苦しい探索の末に、求める乙女をやっと見いだしても、なすすべがないのだ。


 賢者たちは、乙女を起こして世界の秘密を聞き出したい、自らの命に代えてももっといろいろのことを知りたいと渇望し、勇者たちの中には、乙女に激しい恋をするものもいる。

 けれど、乙女を起こすと、世界が消える。

 乙女の夢の中の存在である彼らには、乙女を起こすことは、出来ないのだ。

 ただ、その半生を、あるいは一生を賭けて求め続けた伝説の乙女を前に、焦がれ、嘆き、恨み、諦め、やがて、何も得ることなく空しく立ち去るほかはない。


 しかし、彼らの中には、乙女を起こせなくとも、その場を離れられないものもいる。

 特に、乙女に恋をして魂を奪われてしまったものの多くは、手を触れることの決して叶わぬ永遠の乙女をひがないちにち見つめて暮らし、応えがないことを知りながら、やむにやまれずたぎる想いを訴え続け、どこへも行けずに棺に取り縋ったまま、やがて衰弱して、死んでゆく。

 だから、時々、乙女の棺の傍らに、何体もの古びた白骨が散らばっていることもある。

 そして、そうした白骨たちの、すべてが不幸だったわけでもない。

 棺の上に身を投げ出して眠りに落ち、目覚めることなく死んでいった男たちの幾人かは、恋を知らない少女のままで眠りに就いた夢見乙女が夢の中で見る二重の夢に取り込まれて、その夢の中で乙女と愛し合い、共に生きたのだから。

 そんな時、物も食べずに眠り続けて憔悴しきった彼らの死に顔には、必ず満ち足りた笑みが刻まれている。

 乙女と眠りを分かち合った彼らは、微笑みながら骨になるのだ。


 けれど、彼、エルドローイには、その、夢の中の永遠の幸せは訪れなかった。

 彼は、決して目覚めないはずの、目覚めさせてはならないはずの夢見乙女を、起こしてしまったのだ。

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