表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
14/21

2.奇跡の日々(7)

 お話が終わると、子供たちは、それぞれ好きなところに散って行き、気の向くままに、子供同士でおしゃべりをしたり、男の人が器用に作ってくれたおもちゃや遊戯盤で遊んだりしはじめましたが、そういう時、たいてい、何人かは、そのまま男の人に纏わり付いて、おしゃべりしたり、背中にもたれかかったり腕につかまってみたりとべたべたして甘え続けるのが常でした。


 チェナは、実を言うと、それがちょっと羨ましかったのですが、もう小さな子供ではない自分がそんなことをするわけにはいかないと思っていたので、お話を聞く時も、いつも男の人から少し離れて行儀よく座っていたし、その後の遊びや語らいの時も、たいてい、ひとりで壁際に座って、子供たちと戯れる男の人を、ひっそりと眺めているのでした。


 けれど、この日、暖炉の前の椅子に座って子供たちの相手をしてやっていた男の人が、そんなチェナに目を留めて、いつものように笑いかけてくれた後、何の気紛れか、

「そんなところにいないで、君もこっちへおいで」と、楽しげに手招きしてくれました。

 チェナが、嬉しさと戸惑いに頬を染めておずおずと壁際を離れ、男の人の椅子の足もとに座ると、男の人はチェナの頭を膝の上に引き寄せ、大きな手で髪をなでてくれました。


 男の人は、チェナの髪をきれいだとほめてくれました。

 うすのろのチェナの髪なんか、本当にきれいなのであろうとなかろうと、これまで誰もほめてなどくれなかったし、チェナは、自分に少しでもきれいなところがあるなんて、これまで思ってみたこともありませんでした。

 それなのに、男の人は、チェナの、やたらと量が多くて、艶はあるけれど針金のように硬くて扱いにくい頑固な髪を、美しいあかがね色だ、と言ってくれたのです。

 

 『あかがね色の髪』!

 なんてきれいな、なんて特別な感じのする言い方でしょう。まるで詩の一節のようです。

 彼にそんなふうに言ってもらうと、まるで、自分が物語の中の美姫にでもなったような気がしました。


 そう、彼の口を通して語られたことは、すべて物語になるのです。彼の声でその名を呼んでもらったものは、みな、物語の登場人物になれるのです。

 なぜなら、彼は、物語そのものだから。彼自身が、そのまま、光り輝く七色の物語だから――。


 とりとめもなくそんなことを思ってうっとりしているチェナの髪を、男の人は、その、きれいな長い指にすくい取って、

「ほら、こんなふうに暖炉の火に照り映えていると、まるで本当のあかがねでできているようだよ」などと言いながら、指の間から、さらさらとこぼしてみせました。

 すると、子供たちもおもしろがってまねをして、チェナの髪をひっぱって遊び始めました。

「やめてよ」と振り払うと、なおさらおもしろがって騒ぎ出し、そのまま、今度は自分たちどうしで髪の毛をひっぱりあって、じゃれあいはじめました。

 はしゃぎまわる子供たちの真ん中に、チェナと男の人だけが、台風の目のように静かに取り残されました。


 チェナはそれまで、毎日この小屋に来て、この人と子供たちと一緒に過ごして、この人が子供たちとおしゃべりしているのを一言も漏らさないように聞いていたけれど、自分では、この人と直接口をきいたことが、ほとんどありませんでした。

 しゃべるのはいつも他の子供で、チェナは黙って聞いていたり、少し離れて立っているだけでした。

 けれど、今、チェナと男の人は、まるでふたりきりでいるみたいでした。そして男の人は、『何か話があったら、言ってごらん。何でも聞いてあげるよ』と言わんばかりの、励ますような微笑みを浮かべて、チェナをやさしく見下ろしていました。

 その暖かい微笑みに勇気を得たチェナは、思いきって、話し出しました。


「あの……、あたし、さっきのは魔法だと思う。魔法は、本当にあるって」

「どうしてそう思うんだい?」

「だって……。あなたはきっと魔法使いだと思うから。あなたがここにいることが、魔法みたいだと思うから。……初めて見た時、あなたは物語の中の人かと思った。物語に出てくる人が目の前に現れたのかと思った」

 チェナが憧れを込めて男の人を見上げると、男の人は小さく笑いました。


「私にとっては、君たちのほうこそ、物語に出てくる人々だ。私はただの、通りすがりの観客。物語の世界を、ただ通り過ぎるだけの旅人。例えば本棚の本の一冊を抜き取ってその一ページを開いて見るように、君たちの人生の長く豊かな物語のほんの一片を垣間見る――私に出来るのはそれだけで、君たちが織りなす物語の中に入り込み、その中に住むことは許されない。

 私は、どの本でも開けてみることができるが、そこに留まり、その世界を織りなす無数の糸の一本となって、他のあまたの人生の糸と絡み合って模様を織りなしていくことは、決して許されないんだ。

 私は、どこにも留まることはできない。どの物語の中にも属せない。語り部は、常に物語の外にいるものだ。私にできるのは、ただ、永遠に旅をしながら、垣間見た物語を語り続けることだけ。だから、私にとっては、君たちこそ物語そのものなんだよ」


  男の人の言うことは、いつもながらまるでわけがわかりませんでしたが、ただ、チェナは、この人はとても孤独なんだということだけを、なんとなく理解しました。

 でも、それについて何を言っていいか、わかりませんでした。

 それは自分が子供だからだと思い、そんな自分を、もどかしく思いました。


 言葉を終えた男の人は珍しく笑顔を消して静かに口を結びました。

 そうすると、この人は、まるで突然何百歳も歳を取って、少し疲れたように見えました。

 けれどそれは一瞬で、男の人はすぐに、まるで遠いところから戻ってきたような様子でチェナを見て、ふっと笑いました。

 そんなふうに間近に微笑みかけられると、チェナは、なぜだか、ずきんと胸が痛みました。


 男の人は、チェナのそばかすを、「自分とおそろいだ」と笑ってくれました。

 大嫌いだったそばかすも、この美しい人と同じだと思うと、誇らしく、嬉しく思えました。


 チェナは幸せでした。

 暖炉は暖かく燃え、子供たちの笑い声は翳りなく、男の人は胸が苦しくなるほど美しくて、話しかけてくれるその声は、ただ普通にしゃべっているだけでも音楽のように快く、髪を撫でる大きな手の感触は、自分がまだ小さな女の子で大好きな父が生きていたころを思い出させました。


 あのころチェナは、ここにいるマイカやリュリュたちのように、ただ幼い子供であるというだけで何もできなくても許され、愛され、認められ、それが特権であることに気づいてもいませんでした。何もできなくても、何の取りえもなくても、ただそのままのチェナであるというだけで、あたりまえのように両親の愛情を独占していました。

 あの頃は、自分に何ができるかなんて考えもせず、ただ可愛いがられていればよかったのに、どうやら自分にはいろんなことが他の子よりうまくできないらしいということに気づいてしまったのは――、そして、それではもう愛してもらえないらしいと分かってしまったのは、いつの頃だったでしょうか。


 けれど、こうして、大好きな人にやさしく髪を撫でてもらっていると、外の世界の悲しいことは全部消え失せてしまったような気がしました。

 世界はただ、暖かな幸せだけでいっぱいなような気がしました。

 いつまでも、いつまでも、このまま楽しく過ごせるような気がしました。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ