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2.奇跡の日々(4)

 そんなふうに歌やお話を聞かせてくれた後には、男の人は、いつも、子供たちと一緒に遊んでくれました。

 天気が良ければ、小屋の外で、追いかけっこや隠れんぼ、木登りをして遊びました。

 小屋の前に張り出した大きな樫の木の枝には、男の人がブランコをかけてくれました。

 男の人は、痩せているのに、とても力持ちで疲れを知らず、小さな子供たちを腕にぶら下がらせたり、抱き上げてぐるぐる振り回したり、逆さ吊りにして揺らしたりという、子供たちの大好きな乱暴な遊びも存分に楽しませてくれました。

 寒い日は、小屋の中で、いろいろなゲームを教えてくれたり、木切れでおもちゃを作ってくれたり、ちょっとした奇術を見せてくれたりすることもありました。


 また、幾度かは、とうてい奇術などとは思えない、もっと不思議な奇跡を披露してくれました。

 たとえば、ある時、チェナたちは、信じられないことですが、小屋に備えつけられた何の変哲もない粗末な木の寝台に乗って、みんなで空を飛んだのです。


 最初は、何が起こるのか、誰も知りませんでした。

 ただ、男の人がそうしてごらんと言ったから、みんなで狭い寝台の上に、ぎゅうぎゅうづめに乗り込んでみたのです。

 きゃあきゃあ騒ぎながら押し合いへしあいし、真っ先に真ん中に座った男の人にしがみついたりよじ登ったり、年かさの子が幼い子を膝に抱いたり、身体の大きい子が小柄な子を肩車したりといろいろ工夫して、立ったり座ったり折り重なったり引っ張りあったり、失敗して寝台から落っこちてみたり……、それだけでも思い掛けないほど楽しくて、おもしろくて、みんな、もう、汗をかいて大笑いして、やっとのことで全員が寝台の上に収まったころには、笑い過ぎて息が切れていました。

 この男の人がいるだけで、こんな、ただのありきたりの寝台ひとつが、こんなおもしろい遊びの道具に変わってしまうなんて、なんて不思議な、なんてすごいことだろうとチェナは思ったけれど、ほんとうにすごいことは、その後、起こったのでした。


「さあ、空を飛ぶよ! 落ちないように気をつけろ!」

 男の人が突然そう叫ぶと、寝台が、ふわりと床から浮き上がり、と思うと、いきなり小屋の天井も壁も消えて、小さな寝台は、森の上に、ぽっかりと浮かんでいたのです。

 そしてそのままぐんぐん上昇したかと思うと、今度は、最初はゆるゆると、やがてすごい勢いで、空をすべるように動き出しました。


 びっくりして声も出ない子供たちを乗せて、猟師小屋の寝台は、世界をめぐる旅に出ました。


 寝台の上から、子供たちは、自分たちの暮らす小さな村を見ました。

 森の中に落ちた小さな鏡のようなイニド湖を、湖と湖畔の村々を囲んでうっそうと広がる森を、そして子供たちの何人かは行ったことのある一番近くの町を見ました。その町を、子供たちはすごく大きいと思っていたけれど、こうして空から見ると、それは思いがけないほど小さな町なのでした。


 それから、ふいに寝台は速度を増して、あんまり風が強くて思わず目を閉じた子供たちが次に目を開けると、そこは、全然知らない土地の上空でした。

 眼下には、森や牧草地と、良く整備された肥沃そうな畑地やおもちゃのように愛らしいこぢんまりした村々が美しいモザイク模様を描き出し、正面には、雪を頂くたおやかな峰が幻のように浮かび上がり、右手には、険しく切り立った山々が、世界を取り巻く壁のように、どこまでも連なっていました。


「美しいだろう。ここが、詩人たちに『実り豊かな緑の理想郷』と讚えられた南の聖地、エレオドラだ。ごらん、あの山が、女神の座すエレオドラ山、あっちの壁みたいな山は、『世界の果て』のイルシエル山脈だよ」と、男の人がいいました。


 それから寝台は、チェナが教科書や語り部の物語の中でしか知らなかった世界のあちこちを飛び回りました。

 森に抱かれた小さな真珠のような古都プルメール、滅び去った妖精族の遺跡が眠るというシルドーリンの古き緑の丘、整然とした放射状の街路を持つ北の大都会カザベル、石造りの塔が雑然と聳え立つ南の都イルベッザ、……そして、海。


 初めて海を見た子供たちは、わっと歓声を上げて寝台から身を乗り出し、何人かが、あやうく落ちそうになりました。

 落ちそうになった子がなんとかみな引き上げられ、全員が無事に寝台の上に収まり直すと、寝台は、そのまま、海の上に飛び出しました。


 寝台は、時々、ふいに、白い波頭をかすめるほどに高度を下げて、波しぶきを浴びた子供たちに楽しい悲鳴を上げさせ、かと思うと、すぐにまた舞い上がりました。大きな白い海鳥が、なんだろう、と言うように、すぐそばまでやってきて、子供たちが手を振ると、応えるように翼を振って、しばらく並んで飛んだ後、やがて、陸の方へと引き返していきました。


 けれど寝台は、そのまま、どんどん沖へ、沖へ、水平線へと、まっすぐに……。


 チェナはどきどきしてきました。

 小さな寝台は、どこまで行くのでしょう。

 海の向こうは、世界の果てのはずでした。

 世界の果てを、チェナは見るのでしょうか?

 まだ見えてはこないけれど、どこかに、イルシエル山脈のような、世界の壁が聳えているのでしょうか?


 けれど、どこまでいっても海は海のままで、寝台は、あたりが滲んで見えるほどぐんぐん速度を上げ、子供たちはまた強い風のせいで目を開けていられなくなり、次に目を開いた時には、前の方に、陸地が見えていました。


 最初は、いつのまにか向きを変えてもとに戻ってきたのかと思ったけれど、近づくにつれて、そうでないことがわかりました。

 そこは、見知らぬ土地でした。

 見たことのない不思議な植物が岸壁ぎりぎりまでいっぱいに生い茂っていて、土の色も、空の色さえ、どこか違うのでした。

 しかも、チェナたちの村では今はもう秋も終わりだったはずなのに、そこは、今まで真夏のさなかでさえ味わったことがないほど、まるで湯気がこもった湯屋の中のように暑くて、湿った空気は息が出来ないかと思うほど重たくて濃いのです。


 寝台は、不思議な植物が生い茂る密林のぽっかり開けた場所に、静かに降りて行きました。

 地面に手が届きそうなほど低いところに浮かんだ寝台の上で、子供たちはおどおどとあたりを見回しました。


 こんな不思議な森を、子供たちは、見たことも想像したこともありませんでした。息が詰まるほど濃密な大気は大輪の花の香りと熟れすぎた果実の饐えた甘い匂いを含んで重たく湿り、ひしめきあう巨木と垂れ下がる蔓草に閉ざされて、あたりはまるで緑の檻のよう。見慣れぬ植物たちの間を縫って飛び回る巨大な蝶、奇妙な木の葉の間に見え隠れする派手な飾り毛を持つ色鮮やかな鳥たち。淀んだ熱気をつんざいて時折響きわたる、鳥とも虫とも獣ともつかない何かの鳴き声。


 チェナは、なぜだか、涙が溢れてきました。

 ああ、なんということでしょう。

 世界に、果ては、なかったのです。

 あるいは、世界の果てのその向こうは無ではなく、そこにはこうして、チェナの知らない別の世界があったのです!

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