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2.奇跡の日々(3)

 この、村の大人たちなら決して子供には聞かせないような少々異様な物語に、子供たちは、目を丸くして聞き入りました。

 男の人はお話の前半の、どこにでもいるような子供たちのどこにでもあるような仲間割れを、実に生々しく本当らしく描き出したので、それにつられて、その後の、死んだ妹の肉を食うというラドジールの異常な行動や妖精の女王の出現という不思議な出来事も、まるで本当のことのように思えて、子供たちは、すっかり幻惑されてしまったのでした。


 話が終わると、子供たちは深いため息をつき、シーリンがおずおずと尋ねました。

「ねえ、それは本当にあったことなの? あたしたちが今まで聞いていたラドジールのお話はみんな嘘で、これが本当のお話なの?」

 男の人は静かに答えました。

「いいや、シーリン。そうではないよ。人にいろんな顔があるように、物語には、いろんな姿があるんだ。どれが本当かというんじゃない。どれも本当だ」

 子供たちが不思議そうな顔をしていると、男の人は笑って説明を加えました。

「君たちだって、家で親と一緒にいる時と、こうして友達同士でいる時と、学校に行くようになれば学校にいる時とで、自分にそのつもりはなくても、きっと、少しずつ違う顔をしているだろう。そして、たいていは、そのどれかひとつだけが本当の君で他は違うなんてわけじゃなく、そのどれもが、その時その時の、君たちの本当の姿だ。

 物語も、それと同じなんだよ。物話には、現実に近い話や、神話やおとぎ話などの現実から遠い話といった、いろんな段階があって、それぞれ違う姿をしている。実際にあったことがもとになっている話には、実際の出来事に近い話と遠い話とがあることは確かだが、けれど、いつもいつも、実際にあったことが一番本当なのではなく、現実から離れたおとぎ話の方に、むしろ真実があることもある。現実にあったことがどんどん抜け落ちていって、かえって本質に近づく話もあれば、後からついた尾ひれの中にこそ、隠されていた真実が、やむにやまれず顔を出してしまう場合もあるものだ。

 どんな服を着ていても君たちが君たちであるように、どんな形をとっていても、物語は、どれも本当なんだよ」


 そんなことを、さも簡単なことを言うような気安い口調で説明されても、子供たちにはますますわからないばかりでしたが、それでも子供たちは、この人に『その話は本当か』と聞いても無駄だということだけは理解して、それからは、誰も、そう尋ねなくなりました。

 なんといっても、そんな質問をして煙に巻かれて時間を無駄にするより、その分、もっと新しいお話をねだった方が、ずっと得なのですから。


 その後も、男の人は、ラドジールにまつわる物語をいくつか語ってくれましたが、その物語の中のラドジールたちは、必ずしも全部がこの時の物語の少年の成長した姿とは思われず、また、必ずしもこの時のようにいきいきとした感情を持った人間として描写されるとも限らず、むしろ、チェナたちが知っている伝説の中の狂王に程近かったり、あるいは、はっきりと、血に飢えた魔物であったりしました。子供たちはもう、そのどれが本物のラドジールなのか、などとは尋ねませんでした。


 男の人は、本当にたくさんのお話を知っていました。そしてそれは、ほとんどが、子供たちが知らないお話でした。

 全然聞いたことがない物語のこともあるし、聞いたことのある別の物語と、ちょっと似ていて、ちょっと違うこともありました。

 たとえば、聞いたことのあるような物語が、見知らぬ異国を舞台に、聞き慣れない名前の英雄を主人公に語られたり、逆に、チェナたちにおなじみの主人公が聞いたこともないような冒険をしたり。

 また、同じ名前の主人公でも、神様のはずが人間だったり、英雄のはずが悪党だったりして全然違う人としか思えなかったり、お話の中身も、知っている二つのお話が混ざっていたり、知っているお話の一部が抜けて逆に余分な場面がつけ加わっていたりすることもありました。

 それは、まるで、いくつもの物語の内容や舞台や主人公の名前や特徴をそれぞれ別々の紙に書いて、その紙をまぜこぜにしてから組み合わせ直したかのようでした。


 男の人は、〈イルベッザの羊飼い王アルファード〉という、聞いたことのない英雄が活躍する物語を、いくつも語ってくれました。

 群雄割拠の乱世に貧しい羊飼いから一国の王に成り上がったというこの英雄は、戦乱を収めて後は長く善政を布いて、仁慈厚く公明正大な名君として後世に至るまで民に慕われ続けたというのですが、チェナは、イルベッザに限らず、いつの時代かのどこかの国にそんな名前の有名な王様がいたなどとは、史実としても伝説としても聞いたことがありませんでした。


 けれど、〈アルファード〉という名前自体は、チェナにも馴染み深いものでした。

 チェナの知っているアルファードは、〈ドラゴン退治のアルファード〉と呼ばれる神話の英雄で、いくつもの勇壮な冒険物語の主人公として炉辺の昔語りに語り継がれ、歌に歌われ、絵入り本に繰り返し描かれ、幾多の詩歌や絵画やお芝居の題材にもなって古くから民衆に愛され続けてきた、怪力無双の若き勇者です。

 この、昔話の中の心正しい豪毅な偉丈夫は、元をただせば実在の歴史上の人物であるラドジールとは違って、いつの時代のどこの人とも知れない単なるおとぎ話の英雄のはずで、別にイルベッザの王様などではなかったはずですが、男の人の語る〈イルベッザの羊飼い王アルファード〉は、チェナたちの知っている〈ドラゴン退治のアルファード〉と、とてもよく似ていました。


 そして、よけいややこしいことには、彼の語る〈羊飼い王アルファード〉の物語のいくつかは、チェナたちが、若き日のラドジールやその他の英雄の物語として知っているものとそっくりだったり、逆に、チェナたちがアルファードの冒険譚だと思っていた話が、ラドジールの冒険として語られたりするのです。


 無邪気で単純明快なおとぎ話の中の、強く明るく男らしい、一点の曇りもない太陽のような英雄アルファード。

 そして、彼と同じく人間離れして強いけれど、戦場での常軌を逸して嗜虐的な振る舞いは史実としても悪評高く、妻殺しや人肉嗜食、狂気や神がかりや両性具有といった数々の妖しい伝説に彩られて闇の匂いのつきまとう、血に飢えた小暗い英雄ラドジール。

 そんな、正反対の二人が、同じ一枚のコインの裏と表であるかのようで、チェナは、聞いているうちに、なんだか落ち着かない、奇妙な心持ちになったこともありました。


 一度、そういう、主人公が入れ替わったような話の後で、子供たちの一人が、

「おもしろかったけど、それはラドジールの話じゃないの?」と、不平を言ってみましたが、男の人は、

「別の世界では、アルファード王の武勲なのさ」と、わけのわからないことを言って、涼しい顔をしているばかりでした。

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