記憶の中の
寝床に横になり、弥素次はぼんやりと天井を眺めていた。窓から射す月の明かりが、部屋を洸に照らしている。この家が建って何十年と年月が建っているのだろう、眺めている天板の染みが何ともいえない独特の模様を作っていた。
結局、薬屋に戻ってから床に着くまで、惣一と亜己は何も言わなかった。出て行ったことも、挙げ句に連れ戻されたこともだ。話が盗賊退治になってしまった為でもあるが、惣一と亜己が気を遣ってくれていたのだろう。ここに来てから、連も含めた三人に迷惑をかけてばかりだ。我ながら情けないと小さく呟いて、溜息を吐く。嘘をつき続けた代償を、払っているような気分だ。
小さな手が、腕の上に放られた。隣には賢治の気持ち良さそうな寝息が聞こえ、無邪気な寝顔を見せている。くすりと笑って、自分にもこんな時期があったと思いながら布団を掛け直す。この位の歳の頃は母親がいた頃で、いつも兄と庭で遊んでいた。五つの時に母親が亡くなって、暫くは柳の親戚に預けられて。
賢治の頭を撫でながら、亡くなったことを知らずに母親を恋しがって泣き続けていた自分を思い出し、同時に困りながらもあやそうとしていた伯父の表情を思い出す。今だからこそ笑えるものの、あの時の伯父は、どうして良いか分からないらしく困り果てていたようだった。
突然、賢治が起き出した。何事かと思う。
「賢治、どうしました?」
連が帰った後に賢治は目を覚ましたが、一度も泣かないままだ。泣く処か、弥素次や惣一の後をちょこちょこと付いて来ては、好奇心を一杯に浮かべた顔で何でも聞いてくる始末。連がどんな育て方をしているのか知らないが、母親を恋しがらないのは不思議で仕方なかった。
「もう食べられないでしゅ」
寝ぼけているのかと思いながら、寝床から落ちないように腕を賢治の体にまわす。
「そうですか、もう食べ終わって良いですよ」
賢治の言葉に合わせて答えると、こくりと頷いて何故かこちらへ向いて正座をすると、そのまま弥素次の腹を敷布団代わりにするように、上半身を曲げてうつ伏せになり、再び眠ってしまった。
「その寝方は、辛いでしょうに」
時に子供は、大人の想像を超えた行動を取る。寝ぼけているとはいえ、どうして態々人の方に向いた上に、上半身を曲げてうつ伏せになるような寝方をしてしまうのか不思議に思えてしまう。賢治を寝床に寝かせ直そうと、自分の体を少し起こそうとして止めた。
そういえば、困り果てた伯父は知り合いの女性を呼んだような気がする。顔は覚えていない。だが、母親が亡くなったことを理解させた上で、抱き寄せて好きなだけ泣かせてくれた。あの人は、誰だろうか。どこか、母親と似た感覚があった。覚えているのは、母親に似た感覚と着ていた白い服、風に揺られていた長い金髪。
賢治が寝辛そうな表情になっているのに気付いて、我に返る。寝床に寝かせ直すと布団を掛け、頭を撫でながら寝顔を見ていた。暫くして、明日のこともあるので自分も寝ることにする。
目を閉じて賢治の寝息を聞いていたが、やがて誘われるように弥素次は眠りに落ちていた。
「鳥しゃん、おはようごじゃいましゅ」
鳥の囀る声と賢治の甲高い声に、目が覚めた。無邪気な笑顔からして、賢治の寝起きの機嫌は良いらしい。
「賢治、早いですね」
まだ眠気はあるが、起きようと思う。目を閉じたままだとしても、賢治が腹の上に勢い良く乗り、無理やり起こすだろう。
「やしょじ、おはようごじゃいましゅ」
笑顔に加え、今度は勢い良く頭も下げる。
「おはようございます」
挨拶を交わすと、ベッドから出て賢治の服を着替えさせ、手早く弥素次も着替える。それから、二人で一階へ降りる。惣一と亜己は既に起きており、食事の用意も準備されていた。
手拭いを持って井戸へ行き、水を汲み桶に入れて賢治に顔を洗わせる。賢治が手拭いで拭いた後、水を換えて弥素次も顔を洗う。軽く息を吐いて拭くと、賢治と共に惣一達のいる食堂へ行った。
「おはようございます、連はまだ来ていないようですね」
挨拶をしながら賢治を椅子に座らせると、弥素次も席に着いた。
「おはよう、まだだよ。でも、朝くらいはゆっくり食べないとな。朝から来られたんじゃ堪んないって」
既に席に着いている惣一が、何時もと変わらぬ笑顔で挨拶をした後、すぐに苦笑いを浮かべた。
「そうですね、私も朝食くらいはゆっくり摂りたいです」
そう言いながら、汁物に手を伸ばす。元々悠長な性格をしているせいか、急がされると焦ってしまう。自分の調子が狂ってしまい、失敗してしまいそうで好きではないのだ。どちらかと言うと連は急がせる方だと思うので、朝食中はゆっくりさせてもらいたい。
「何なら、今日一日店を休みにして、ゆっくりしといても良いかもな」
苦笑いのまま、惣一は麺麭を千切って口の中へ放り込む。亜己は不器用に食べている賢治を見ながら、ゆっくりと汁物を口に運んでいる。
「連には、きっと何か考えがあるのですよ。だから、惣一さんにも手伝って頂きたいのでしょう。でも、惣一さんに手伝ってほしいのは、盗賊の情報を聞くことですから、そんなに嫌そうになされなくても大丈夫だと思いますよ」
惣一があまりに嫌そうだったので、笑いを抑えつつ言う。
「そりゃそうだよ。盗賊を倒せなんて言われたら、俺は一目散に逃げるよ」
目玉焼きに手をのばして、惣一は肩を竦めて見せた。
「そうして下さい」
答えるように、笑みを零してしまう。
「あ、笑ったな」
「すみません、つい」
「良いよ。ま、笑えるんなら大丈夫そうだな。昨日は随分沈んだ顔してたし、正直心配していたんだ」
惣一の言葉に、昨日のことを謝罪すらしていないと気付く。結局、何一つ惣一に話していない。この場で全て話して、惣一と亜己は受け入れてくれるだろうか。
「惣一さんと亜己さんに、まだ言っていませんね。昨日はご心配をお掛けしてすみませんでした。もし、お二人が良いのであれば、暫くここにいさせて頂けないでしょうか。本当を言いますと、ここはい心地が良すぎて、あまり出ようと言う気にはなれないのです」
惣一と亜己が顔を見合わせた。そして、二人同時に吹き出していた。賢治が不器用に食べた後を口の周りに残しつつ、不思議そうな表情をしている。
「弥素次、今更そんなこと言うなよ。俺が追い出す理由なんてないだろ。店の手伝いもしてくれんのに」
惣一の言葉に、嬉しそうな笑みを見せた。自分がここに、居たいと思う一番の理由だ。惣一の人柄と亜己の雰囲気をいつの間にか、居心地良く感じている。今なら、話せるかもしれない。否、弥素次自身が話したいのだ。この機会を逃せば、一生話せないだろう。
「あの、聞いてほしいことがあります」
表情を引き締めると、惣一達を見た。




