・109・キムの苦悩
しばらく、部屋には、ミーのすすり泣く声だけが響いていた。
キムは何も言わない。
時間が経つにつれて、自分がヘキサに変化していた事や、キムがポツポツと話していた言葉が思い出されて、ミーは一人取り乱してしまった事が恥ずかしくなる。
羞恥に嫌な汗が出てくるのを感じると共に、考えずにはいられないのは、やはり、キムの不可解な行動の事だ。
今までも確かに、何度となく至近距離でのスキンシップはあった。
そもそも会った当初から手を繋いでいたし、頭を撫でられるのはもはや当たり前で、なんの疑問も持たなくなっていた。
しかし、ミーを慰めるために抱きしめる事はあっても、今回のような……ミーが認めたくない熱のこもった接触はなかったではないか。
ましてや、……キス、するなんて、とミーは思わず身震いする。
気持ちが悪い訳ではない、しかし、ミーにとって、それは受け入れられる事ではないのだ。
否、受け入れてはいけない、だろうか。
そこにあるのは、ミーに対する食欲であり、その先には命の危機が待っている。
最も、そんな事をキムがする訳がないが、そう信じていたが故に、あまりにも衝撃的だった。
グズグズと鼻を鳴らしながら、おそるおそるミーは指の隙間から、キムを窺う。
と、いつの間にか顔を上げていたのか、真っ直ぐにミーを見つめる紫の瞳とかち合った。
思わずビクリとしてしまうミーを、キムは食い入るように見てくる。
跪いた姿勢のままーーそういえば、なんで跪いてんだろう、とミーは思ったがーー目を泳がせるミーに、キムはス、と目を眇める。
「……ミーを、食べたいと思う……のは、嘘じゃない…」
ゆっくりと口を開いたキムに、ミーはハッとして耳を澄ませる。
「……でも、それは作られた欲求…だよ。……ミーの、甘い香りは…餌、なんだ」
言い聞かせるように、怯える小動物を宥めるように、キムは穏やかに話す。
突然始まったよく分からない内容に、ミーは両手を下げて、知らず首を傾げた。
「……ずっと、苦しかった…。ミーを守り…たいのに、どうしようもなく……おいしいそう、で」
そこで悩ましげに顔を歪めるキム。
「……だから触れ、たくても…触れたら、止まらなく…なりそうで。……ミーを、傷つけてしまう…かも、って思ってた」
その言葉に、ミーは耳を塞ぎたくなった。
やはり、キムの行動の裏にあったのは、食欲だった。
ともすれば勘違いしてしまいそうな言い方だが、ミーの心にもたらしたのは悲しみだ。
……やっぱり、食べたいんだ、と震える呟きがこぼれた。
気づけば止まっていた涙が、思い出したようにまた流れ出す。
今度は拭う事もできず、呆然と泣くミーにキムは目を丸くして、一瞬手を伸ばそうとして、躊躇うように止めた。
それからそっとミーに近寄り、指の背で目元を拭う。
何も見えていないように瞳を揺らすミーを見下ろして、キムはもどかしそうに言葉を続ける。
「……違うよ、ミー。……それは餌、なの…。……むしろ、食べられるの、は…オレの方」
……だから、泣かないで、と額を合わせてきたキムから逃げるように目を閉じて、ミーは数秒考える。
そして、………………え?と瞼を開いた。
『……むしろ、食べられるの、は…オレの方』?
意味不明な言葉を聞いた気がして、ミーの涙腺は停止した。