・103・冷静さ≒鈍感さ?
「……いえ、美味しい物を食べれば、誰だって気分が高揚するものです」
しゅんと眉を下げたミーをフォローするように、ウォーが言う。
「しかし……そういえば、藍塚さん、貴女には、まだ誘拐の件のお話は伺っていませんでしたね」
すっかり冷め切っているだろうコーヒーを飲み干し、いくぶんか冷静さを取り戻したウォーがそう続けた。
あ、確かに、とミーもふと気づく。
以前ウォーと会った時は、キムが人間瞳時は『人間』と全く同じ匂いがする、というミーの特異体質?を隠すため、何も知らない事にしていたのだ。
ミーの日常を非日常に変えたあの事件について、ミーが話すために脳内で整理し始めた時、
「……ミーは、昨日怖い目に…あったばかり、なんだ…」
キムがそう口火を切った。
思わず横に目をやれば、キムは笑みを消し真剣な表情をしている。
「……今日は、もう終わりに…してくれ。……また、別の日に……その話、をすればいい」
それを聞いて、ミーは今更ながら、自分が尋常でない経験をした事を思い出した。
友達、ではないにしても、知り合いの女の子に食べられるかけ、殺されかけ、それをさらに切り返したのだ。
それもつい昨日、昨晩の出来事で。
さらにその後、キムとも色々あったせいですごく前のような気がしていたが、そうだ、自分は昨日、とんでもない目にあったんだった、とミーはあらためて実感した。
それなのに、今こうやって平然とプリンを食べているのは、たぶん、いや普通におかしい。
ヘキサアイズの時は、なぜか異常に冷静で、頭が覚めているのだが、もしかしたら、それはヘキサアイズである異常を受け入れられなくて、精神の自己防衛反応なのかもしれないな、とミーは不意に思いついた。
そうでもなければ、腕を切られ、血を飲まれて、向けられた事のない敵意ーーあれはもはや殺意だったがーーを受けて、逆転に相手を行動不能に陥らせる事は不可能だったはずだ。
「……わたしとしては、今、お話を伺いたい所なんですがね。今日はお時間はあるんですよね?」
ウォーの惜しむような問いに、
「……必要なら、オレが話す。……ミーは、バイトもある…んだ。……休ませてあげたい」
キムがきっぱりと告げる。
ウォーは数秒黙った後、「分かりました」と頷いた。
そして、ミーに目を向けると、小さく頭を下げる。
「済みません、少々思慮に欠けていました。証言はなるべく日が経つ前に伺わないと、詳細が曖昧になりやすいんです。無理をさせてしまったなら、申し訳ありません」
それに慌てて、いえっ、そんな、大丈夫ですっ、とミーも礼を返した。
ウォーは立ち上がると、伝票を手に取る。
「支払いはわたしが持ちます。笹キムさん、藍塚ミーさん、本日はお時間頂き誠に有難うございました。貴方方のご協力に感謝します。」
きっちり90°の礼をして、灰原ウォーは去っていった。