証明
僕は鍵を手に入れた。
恐る恐る机を開ける。
そこにあったのは、大量の卵なんかではなく、びっくりするくらい普通のものだった。
― 沙耶の日記 ―
未だに信じられないの。
どうして私は卵なんか産んだの……?
怖い、怖いよ……だれか教えて
陽君は本当に優しいんだ♪
病院行こうとも、何とも言わない。
温めよっかとだけ言ってくれた。
私、病院にだけは行きたくなかった。
すっごくすっごく怖かったから。
私の気持ちを汲んでくれたんだね。その無言の優しさが大好きだよ、陽君。おやすみなさい。
あれから一年が経った。
ゴミ捨てとかに行くとね、近所のママさん達が、「あの子、旦那と上手く行ってないそうよ」「あー、だからまだ子供いないんだぁー」なんて言葉を小耳に挟むの。
悔しい。
子供が欲しいよ。
早く生まれてこないかな……
ある日パートから帰ると、大鍋がシンクに置きっぱなしになっていた。
おかしい…… だって私、ちゃんと片づけて行ったもん。陽君は料理なんかしない。でも使ったのは陽君だ。
何か作ったのって聞くと、目を合わせず、卵を見たまま答えた。
陽君、私達…何年一緒にいると思ってるの……?
分かりやすすぎるよ…
ショックだった。
私は卵が孵るのを、子供が出来るのを楽しみにしてたのに。
陽君は、この子を殺そうとしてたんだ。
卵、死んじゃったかな……
どうしよう…涙が止まらないよ……
ある日、陽君が卵とずっと一緒に居てみる? と提案してきた。
そんなんで孵る訳ない。
おちょくってるの?
私がそんなにバカに見える?
私は陽君をテストした。
陽君がこの子を望まないなら、きっとどこかで卵を割ってくる。
私が陽君に与えたのは、
「不慮の事故になりうる可能性」
家の中ではありえなかった、「他人のせい」にしてこの子を殺せる機会を、陽君は見逃すかな。
もし、この子を割って帰ったら……私、陽君とは別れよう。
私は離婚届けに名前を書いて、机に閉まった。
ごめんね陽君……私の思い違いだったみたい。
不慮の事故は、いつまでたっても起こらなかった。
ごめんなさいだけど、嬉しい。
そしたらね、もっと嬉しいことが起こったの。
卵がね、すこし大きくなったんだ!
この子はちゃんと生きてたの。しかもね、嬉しいなって思った瞬間に大きくなったの。この子には愛情が必要なのかな?
この子を陽君に託して良かった。
卵も生きてた。
陽君もこの子をちゃんと思ってくれていた。
それが再確認出来たんだもん。
もっともっと、大きくなぁれ。
最近、陽君の様子がおかしいの。
お弁当箱を開くとね、おかずのカップまで無くなってるの。
お箸を見るとね、お米の糊一つついてないの…
もしかして、捨ててるの……?
そんな訳……ないよね。
私……料理下手になったのかな。
晩御飯も食べてくれないの。
それに最近、陽君が……私を化物でも見る目でこっちを見るの。
ねぇ、どうしてそんな顔するの…?
苦しい…苦しいよ……
ある日、陽君が3万円もする買い物を無断でした。
流石に怒った。
怒ろうとした。
どうして何も相談してくれないのって。
だけど、あんなに怖い陽君初めてで……
私……そんなつもりで言ったわけじゃないのに…
今日もだ、今日も陽君、帰ってこない。
お酒をいっぱい飲んで、帰ったらすぐに寝ちゃって。
もしかして、女の人と遊んでるのかな。
そうだよね……たまごを産む女なんて…気持ち悪いよね…
yahoo!の知恵袋でね、夫がお弁当を捨てる心理について検索してたの。
そしたら、「不味い」んじゃなくて「食べられない」とかっていうのがあるんだって。この奥さんは、職場でも温かいご飯が食べれるように、レンジ対応OKなお弁当箱に代えたり、魔法瓶にお味噌汁入れたりして仲直りしたんだって。
今は冬だし……職場で温かいものが飲めるっていいよね。
お味噌より、お澄ましのほうが体に優しいかな。
それなら卵も入れて滋養強壮にいいかな?
陽君、喜んでくれるかな。
……どうしてそんなこと言うの?
ひどいっ、ひどいよ……陽君なんて大嫌い!
私は陽君が酔いつぶれて眠った隙を見て、卵と通帳を持って家を出た。
走った。
走った。
行くあてもなくひたすら走った。
そしたら、とても美形な若い男の子に声をかけられた。
風俗系のお店の、勧誘だった。
私は手を叩く。そんなものには興味ありませんって、はっきり言った。そしたら強引に私を掴んできて、誰もいない深夜の道路に押し倒される。
私は必死になって逃げる。
その時、さっき押し倒された時に、道路に卵を置いたままにしてしまっていて。
私を追いかけるその男の人が。
卵を、踏んだ。
卵が砕ける。
ナニカが出る。
溶かして、溶かして、……元に戻った。
卵は、一回り大きくなっていた。
そんなっ…そんな………
私は… わたしは。
……こんなの…信じられないよ。
どうしたらいいかっ…わからないよ……
それでも、どうしても確かめなくちゃいけないことが、一つだけ分かった。
私は家に帰り、鍋にお湯を張り、沸騰を待ち、そして卵を茹でた。
普通なら固ゆで卵になってる時間からさらに30分多く茹でて。
引き上げると、中の水が動く感じがした。
あははっ、笑いが止まらない。
……そっか。
陽君がやってたのは…これだったんだ……
陽君は、こんな化物の私と、ずっと一緒に居てくれたんだね…… ごめんね、気持ち悪がってしかたないよね…それでも陽くんは、家出せずに私と一緒に居てくれたんだね…… ごめんね、ごめんね…
陽君は家を出て行く。
私はへそくりを使って、鍋とコンロを用意した。
私は、茹ればどうなるのかな。
やっぱり卵みたいに死なないのかな。
……死にたいな。
だって、私は人間だよ?
卵なんか産んじゃうけど、人間だよ?
本当は自分でもどうか分からない。
だから私は確かめるの。
お願い、お願い信じて――… 陽君
パタリと、閉じる。
日記を閉じる。
目の前に浮かぶのは絶望で。
それでも頭の大半を占めるのは、理性。
……ああ、僕はこんな時にまで、なんでこんなことを考えているんだろう。
僕は卵を取り出す。
浴槽に投げつける。
卵の潰れる音と同時に、中身が姿を現した。
僕は実験にならって3m以上距離をとり、妻の死体を一つ残らず食べきるのを確認する。
証拠は、完全に消し去った。
卵は卵に戻り、一回り大きくなる。
そして真っ黒に染まりきった卵は……
――ピシッ
ついに、孵化を始めた。