孵化
ピシッ…ピシッピシッ…
内側から、卵が少しずつ割れていく。
僕はその場に尻餅をつきながら、必死に必死に、後ろへのけ反った。
もう…だめだ……普通の人間が産まれてくる気がしない。
例えば、赤ちゃんの、あの柔らかい手で卵の内側を叩いたとして、果たしてその殻を砕く事が出来るだろうか。
明らかに先端の尖った、固くて鋭利な物が当たる響き。想像上の化物を彷彿とさせる、不気味な音が近づいてくる。
カチッ…
コツ、コツ…
コツ、コツ、コツ…… パキッ
卵の殻が割れる。
それはまるで、帽子のように中身の頭に被さりながら、垂直に、ゆっくり、持ち上がった。
人間の顔だ。
沙耶譲りの、光に当たってもその黒さを失わない、漆塗りの陶器のような髪をしている。
だけど。
背中には濡れたように艶のあるカラスの翼。
目を開けると吸い込まれそうな蒼色で。
三角の小さなふさふさの耳を両側に付け、鋭く鈍色に光る鉤爪で手を振りながら。
異常に尖った八重歯を剥き出しにして、笑った。
成人した人間を3人。
カラスを4匹。
猫を一匹。
まるでそれらを合成したかのような生い立ちに、僕は吐き気に襲われた。
彼女は、卵の時に人間ばかりを食べたから、あんなに完璧に人間だったんだろうか。
その姿を見ているだけで思い出すんだ。
人間が、生物が生きたまま溶かされていく…… あの、常軌を逸した、光景を。
僕は、産まれてきた子供を、コインロッカーに捨てた。
あれから3年後、僕は再婚した。
沙耶とは、離婚して、逃げられたことにした。
証拠も無く、机の中に入っていたサイン済みの離婚届を使い、それは難なく行われる。
再婚相手はバツイチ子持ちの女性。
自分もバツイチということで意気投合した。
幸い彼女の娘さんにも、僕は大変好かれている。
「ねぇ陽司さん、私…できたみたいなの……」
「本当? あはは、嬉しいなぁーっ」
「わーい、じゃあっ、あやはおねいさんー?」
可愛らしいツインテールがぴょこぴょこ動く。
ぷにぷにのほっぺに、柔らかい手。
鉤爪も牙もついていない、普通の普通の女の子。
可愛い。
僕は、その子の頭を優しく撫でる。
「そうだね、絢はお姉さんだ! 」
「ちゃんとお姉さんらしくならないとね! 」
「「あははははははっ! 」」
もう……あの日の悪夢は忘れよう。
僕は、目の前に広がる幸せに全身を委ねた。
そう思った、たった次の日の事だった。
妻が、突然の腹痛に倒れたのは。
それは…… 6か月も早い陣痛だった。
一目には太っている為か、妊娠している為か分からない程度の腹の膨らみ。子供が出来たことは、まだ誰にも何も言っていない最中の出来事。
三人暮らしの静かなアパートに、鳥を絞めたように窮屈な叫びが糸を引く。
僕は、救急車は呼ばない。
なんで…なんで……?
なんでなんでなんでなんでなんでっ…?!
バツイチで。
子持ちの、僕の妻が。
既に出産を経験した、僕の妻が。
“――私は人間だよ…信じて……陽君”
「あはっ、あはは…あははははっ…… 」
僕の妻が、卵を産んだ。
【僕の妻が卵を産んだ、終】
最後までお付き合い頂き、本当にありがとうございました。
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