第1話「盾」
春の朝。
神代透は全力で走っていた。
「やっべぇぇぇぇ!」
坂道を駆け上がりながら叫ぶ。
肩に掛けた鞄が暴れ、制服のネクタイが風になびく。
腕時計を見る。
入学試験開始まであと八分。
終わった。
いや、まだ終わってない。
終わりかけているだけだ。
「間に合え……!」
透は息を切らしながら走り続ける。
本来なら三十分前には到着している予定だった。
だが予定は予定だ。
病院へ寄ったのがまずかった。
今朝も妹の顔を見てから来たのだ。
病室のベッドの上。
少し痩せた身体。
それでも妹は笑っていた。
『お兄ちゃん、頑張ってね』
『絶対合格してよ?』
そう言われてしまったら頑張るしかない。
「だからって電車乗り過ごすなよ俺……!」
自分にツッコミを入れながら走る。
角を曲がった瞬間だった。
「うおっ!?」
「きゃっ!?」
誰かとぶつかった。
透は慌てて足を止める。
相手は同年代くらいの少女だった。
長い黒髪。
整った顔立ち。
制服姿。
受験生だろう。
「あっ、ごめん!」
「……いえ」
少女は一歩下がりながら服についた埃を払う。
怪我はなさそうだ。
透はホッと息を吐いた。
「本当にごめん。急いでて」
「試験ですか?」
「そう!」
「なら急いだ方がいいですよ」
少女は透の腕時計を見た。
透もつられて見る。
残り七分。
「あっ」
「あと七分ですね」
「うわぁぁぁぁ!?」
透は再び走り出した。
「ごめん! じゃあ!」
少女はそんな背中を見送り、小さく息を吐く。
「騒がしい人ですね……」
魔力特務育成校。
能力者育成機関として国内最高峰と呼ばれる学校だ。
能力者だけでなく非能力者も入学できる。
ただし試験は厳しい。
毎年何万人もの受験生が集まる。
卒業後は魔力庁や警察、自衛隊など様々な進路が約束されているからだ。
「神代透さんですね」
受付の女性が言う。
「は、はい!」
「開始一分前です」
「すみません!」
「ギリギリですね」
本当にその通りだった。
あと少し遅ければ受験すらできなかった。
実技試験会場。
広い訓練場に受験生たちが集められていた。
透は周囲を見回す。
やはりというべきか。
皆強そうだった。
指先で炎を揺らしている少年。
氷の刃を作る少女。
金属製の槍を具現化している男。
「すげぇ……」
思わず呟く。
どれも派手だ。
どれも強そうだ。
それに比べて自分は。
「お前も受験生か?」
突然声を掛けられた。
振り向く。
茶髪の少年が立っていた。
人懐っこそうな笑顔。
「そうだけど」
「能力何?」
「いきなりだな」
「いいじゃん」
少年は悪びれもなく笑った。
透は少し迷った後で答える。
「盾」
「盾?」
「盾」
「それだけ?」
「それだけ」
少年は数秒黙った。
そして。
「地味だな!」
「知ってる」
透は苦笑した。
今まで何度言われたか分からない。
炎。
氷。
雷。
そういう能力に比べれば盾は地味だ。
攻撃もできない。
派手さもない。
「でもまあ」
少年は肩をすくめる。
「能力なんて使う奴次第だろ」
透は少し驚いた。
馬鹿にされると思っていたからだ。
「俺は朝霧隼人」
少年は親指で自分を指した。
「よろしくな、盾」
「神代透だ」
「じゃあ透で」
「最初からそう呼べ」
隼人は大笑いした。
その時だった。
訓練場正面の大型モニターが点灯する。
ざわついていた受験生たちが静かになった。
画面に映ったのは一人の男。
黒いスーツ。
整った顔立ち。
穏やかな笑み。
「受験生の皆さん」
落ち着いた声が響く。
「本日は魔力特務育成校入学試験へようこそ」
透も自然と画面を見上げていた。
この男を知らない人間はいない。
「私は魔力庁長官、天城黎人です」
英雄。
能力社会の礎を築いた人物。
魔力庁の頂点。
「皆さんの未来に期待しています」
短い挨拶だった。
だがそれだけで十分だった。
会場の空気が引き締まる。
画面が消える。
そして。
「これより実技試験を開始する」
試験官の声が響いた。
透は拳を握る。
妹の顔が浮かぶ。
絶対に合格する。
妹を助けるためにも。
自分の未来のためにも。
そのためにここへ来たのだから。
まだこの時の透は知らない。
この入学試験が。
自分の人生を大きく変える最初の一歩になることを。
そして。
いずれ世界そのものを揺るがす戦いへ繋がっていくことを。




