王の視線
呼び出しは、予告なく来た。
封蝋の色で、分かる。
王城内でも、さらに奥。
(……ついに、か)
リリアは、静かに文を閉じた。
王の執務区画。
普段、王妃候補が足を踏み入れることはない場所。
案内された扉の前で、足を止める。
ノック。
「入りなさい」
低く、よく通る声。
中にいたのは、三人だった。
老女官。
見慣れた高位文官。
そして。
王。
玉座ではない。
執務机の向こうで、書類に目を落としている。
「……リリアか」
顔を上げたその瞬間、
空気が変わった。
(見られている)
値踏みではない。
測定に近い視線。
「近くへ」
促され、一定の距離まで進む。
膝をつくべきか、一瞬迷い、
しかしそのまま立った。
王は、わずかに目を細めた。
「補佐官、だったな」
「はい」
「奇妙な役割だ」
否定でも、肯定でもない声音。
「その通りです」
リリアは、迷わず答えた。
王は、ふっと息を吐いた。
「自覚はあるか」
「あります」
「ならば、話は早い」
机の上の書類を、軽く叩く。
「お前の存在について、
賛否が割れている」
「承知しています」
「一部は評価し、
一部は危険視している」
当然だった。
「お前は、何をしている」
単純で、重い問い。
リリアは、少しだけ考えてから答えた。
「選考が、壊れないようにしています」
「壊れる?」
「はい」
言葉を続ける。
「過度な競争は、
候補者を削る前に、制度を削ります」
王は、黙って聞いている。
「ですが、競争をなくせば、
選ぶ意味がなくなる」
「その間を、取っていると?」
「はい」
短く、はっきりと。
沈黙が落ちる。
重くはない。
測られている時間。
「王妃になる気は?」
「ありません」
即答だった。
文官の一人が、わずかに動いた。
王は、興味深そうに言う。
「なぜだ」
「向いていないからです」
「ほう」
「そして」
リリアは、一瞬だけ視線を上げた。
「なりたいと思っていないからです」
飾らない言葉。
王は、数秒だけ黙り、
やがて小さく笑った。
「正直だな」
「よく言われます」
老女官が、わずかに咳払いをする。
場を戻すように。
「では、聞こう」
王の声が、少し低くなる。
「補佐官は、必要か?」
核心だった。
リリアは、迷わなかった。
「現状では、必要です」
「いずれは?」
「不要になるべきです」
文官たちの視線が動く。
王だけが、静かに続きを待った。
「補佐官は、欠陥の補助です」
リリアは言う。
「制度が未熟だから、必要になる」
「完成すれば?」
「いりません」
静まり返る室内。
その言葉は、
自分の立場を否定するものでもある。
王は、ゆっくり頷いた。
「面白い」
評価とも、警戒とも取れる声。
「自分の席を、いずれ消すと言うか」
「はい」
「それでも、今は必要だと」
「はい」
王は、しばらく考え込んだ。
そして。
「残せ」
短く、言った。
「は?」
思わず、聞き返しそうになるのを堪える。
「補佐官は、残す」
明確な意思。
「ただし」
視線が、鋭くなる。
「お前がいる限りだ」
空気が、一段重くなる。
「お前が不適と判断されれば、
役割ごと消す」
「承知しています」
「ならいい」
王は、再び書類に目を落とした。
「下がれ」
それで、終わりだった。
廊下に出た瞬間、
張り詰めていたものが一気にほどける。
(……最悪ではない)
むしろ、良い。
制度は、王の言葉で残った。
だが同時に。
(私が外れたら、終わる)
補佐官は、まだ個人に依存している。
完全な制度ではない。
イーサが、静かに言った。
「随分と、気に入られましたね」
「どうでしょう」
リリアは、息を整えながら答える。
「便利だと思われただけかもしれません」
「それで十分です」
彼は、少しだけ笑った。
「王にとっての“便利”は、
最も価値が高い」
リリアは、何も言わなかった。
王妃になる気は、ない。
けれど。
王に認識された以上、
もう“ただの候補者”ではいられない。
十三番目の婚約者は、
ついに、王の視線の内側に入った。
第5章は、さらに深くなる。
次に揺れるのは、
候補者でも、文官でもない。
王妃そのものの意味だ。




