12.父の本
例の女子会突撃事件の後、俺は気配の消し方の練習を始めた。肝心な時に役に立たない力は実力とは言えないからだ。
しかし、練習する時間は中々取れなかった。理由は単純で、目前に控えた王宮での教育の際に恥をかかないよう、作法や基礎的な知識の詰め込みが行われていたからである。
前提として、気配を消そうと思ったら相手が自分を意識していない状況から始めなければ無理だ。常に誰かに見張られている状況から、相手から隠れたりすることは素人の俺には到底不可能だ。
「姉上も勉強が忙しそうだしなぁ」
姉は前よりも真面目に勉強をしている。家庭教師たちに出される課題は勿論、自分で料理や薬草の本を読んだりしている為、自由時間も図書室にこもっている。
何故か、とは言及しないがやる気が出て何よりである。やっぱり人間、目的があるとないでは集中力に大きな差がある。
「アサヒも全然会えないし」
隣の領地、ホーソーン伯爵家は、現在冬に向けて保存用食料などの製作に忙しいようである。毎年寒さの最盛期前後に食料を奪いに来る賊なども多いので大変らしい。
旭は伯爵家の長女として、炊き出しをするための料理の知識や護身のための武術などが詰め込まれていると手紙に書かれていた。
『そちらに賊を行かせないよう、強くなります』
と書いてあったが、あんまり強くなりすぎないでほしい。辺境伯爵領での変化の少ない規則正しい生活は快適らしい。俺は変化が少なすぎるとすぐ飽きるのですごいと思う。
旭とは一週間に一回手紙の交換をしているが、最初は続かないと思っていたが暇すぎて手紙は楽しみになっている。いや、そもそも旭からの手紙は嬉しいけど、余計に。
「そろそろ部屋の本にも飽きたな」
そう、部屋の本は飽きた。旭から次の手紙が来るのは早くて三日後、自分の返事も既に出している。今日の勉強は一応終わらせているし、夕食の時間まではそれなりにある。
「どうしようか」
姉は勉強、父は仕事で外出中、母も父に伴っていった。家庭教師は授業を終えてもう帰っている。つまり、部屋からでても乳母のケイトに見つからなければ怒られない。流石に外に出るほど体力が有り余っている訳でもないし、外が好きなわけでもない。
と、なれば、目的地は一つである。
「父上の書斎に行ってみよう」
新たな本を探し求めて、いざ。
「意外とあっさり入れた」
鍵が掛かっていると思い、父が使いそうな数字のパターン表を持ってきておいたのだが、鍵はなく普通に入室できた。
現在姉が使っているであろう図書室よりも、高価そうな装丁の本が多い。試しに書見台の近くの一冊を取り出してみる。
「何の模様だろう?」
本の表紙にはよくわからない幾何学模様が描かれていた。よく見ようと表紙の模様を指でなぞり、本棚から完全に取り出してみると模様部分が発光していた。
「光ってる…」
蛍光塗料でも使ってあるのだろうか。蛍のように淡く光っている。にしても、若干黒に近い光なので微妙である。黒い金属に光が反射してる感じだ。
「読めるかな?」
そっと表紙をめくり、最初のページを見る。
そこに書かれていたのは、
「なにこれ?」
見たことのない字であった。少なくとも普段使っている字じゃない。普段は英語に近い字を使っているが、これは、何だろう。基本文字から違うので全く分からない。
「専門書か何かなのかな」
専門書は外国語のままであることは、結構よくあることだ。訳すと労力がかかり意味の違いが生じる可能性があるのと、見られては困る内容を読み解ける人が減るからだ。
どうにかして、どんな内容かだけでもわからないだろうか。ペラペラと頁をめくり続けていると、父の走り書きがあった。
「くりゅぷ、てゅす、とろ、めりぃ?」
恐らく単語の読み方を書いてあるのだろうが、発音記号が英語とは若干違うので読めない。発音を考えつつ小声で繰り返し唱えていると、廊下から足音が響き始めた。
「坊ちゃん?どちらにいらっしゃるんですか?」
ケイトの声だ。段々近づいている。部屋にいない事に気付かれたのだろうか。普段立ち入り禁止されているこの部屋にいることがばれると面倒だ。
本を棚に戻すと、何故か先ほどの黒っぽい光が部屋全体に飛び散った。それは部屋の外にも見えたらしい。ケイトが慌てた様子で部屋に入ってきた。
「旦那様?お戻りになられたのですか?」
段々と奥の方に近付いてくる。隠れた書見台の影までもう何歩もない。
『仕方ない、俺は壁、作戦だ。俺は壁、俺は壁…』
鰯の頭も信心から、信じる者は救われるのだ。必死で壁と一体化しているうちに、ケイトは光り続ける本を見て、それを手に取った。
「この本ですか」
ケイトが本を手に取ると、光は急速に収縮していった。
「全く、旦那様はいくつになっても片づけが苦手なんですから」
子供の悪戯を仕方ないという風に、やれやれとケイトは肩をすくめた。驚いて咄嗟に小さく声が出たけれど、ケイトは俺に気が付かなかった。
部屋に先回りすると、ケイトがドアをノックした。
「坊ちゃん、いらっしゃいますか?」
「どうしたの?」
「先ほどはお返事がございませんでしたので」
「少し寝てたんだ」
「左様ですか」
ケイトはあっさりと納得した。俺があの本を光らせたとは思ってもいないようだ。そもそも、あの本は光るものなのだろうか。ケイトが触ったら光が収まったのは何故なのだろう。そして、俺に気付かなかったのは何故だろう。
夕食後、父と母が帰ってきた。俺は何も言われなかった。多分、本が光っていたことは報告されていない。叱られることを回避できた代わりに、詳しく聞く機会を失ったのだ。
気配を消すことはできた、多分、壁になる心が大事。だが、新たな謎が生まれた日だった。
次回更新は6月17日17時予定です。




