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夜鷹の夢  作者: 首藤環
一章
9/47

8 歓迎の作法

《暁の夜鷹》結成の昼、正午を回った頃。


ギルド会館を後にした二人は腹拵えに、オリガが勧めた広場の屋台で木串に刺して焼かれた肉を買い、片隅のベンチに腰かけていた。


帯びた剣を下ろしてリラックスするオリガは包みの紙から串を取り出す。


肉に塗られて火で炙られたタレが香ばしい香りを漂わせ、オリガの食欲を刺激する。


「食べるか? あ。あ〜、食べますか?」


呼び捨てを許可され、これから教えを請う人にうっかり敬語を忘れてしまった。


「俺も敬語なんて止めてくれた方が楽だ。好きにしてくれ」


冒険者というハッキリ言って荒っぽい職業で懇切丁寧な物言いを続けるのは難しい。


価値は有るが時が経てば擦れた口調になっていくのは致し方無い。


元より敬語を使われるような身分でもない。


ハザウェイにだけ敬語を使うオリガを責める気はジンは毛頭無い。



ただ彼女は義父を心底敬愛して止まない、慕わずには居られないのだろう。


それだけはジンにもよく分かる。


突き出された肉とオリガの顔とを交互に見つめるジンに先駆けて、オリガがもう一本の串に齧りついた。


「む…やっぱり秘密のタレが美味いな…どうした? 食べないのか」


「いや…食う」


催促するようにオリガが出した串を数回鼻をひくつかせて受け取り、一塊齧り取る。


「どうだ?」


「タレの材料にスパイスが何種類かがごく少量の割合で混合している。それが肉にバランス良い風味を付けている」


「あー……つまり?」






遠くを眺めながらの要領を得ない答えにオリガが続きを求めるが、ジンにはその感覚を言葉を以ては表現できず、眉間に皺を寄せる。


そこで旧友に教わった言葉をジンは使う。


「美味い…な。多分だが」


腹に収まりそうで毒が無ければ木の根もみなご馳走。


まさかそれが今に生きるとは予想だにしていなかった。


「多分とは? ジンはこの串の味に不満な点でも有るのか?」


「いやその逆だ」

大体、美味い不味いを言い合えるほど食にも富んだ場所じゃあなかった。


「俺は味覚は有るが、良し悪しが判別出来ない」


基準となる感覚の好みが無ければ批評のしようも無い。


「む……そうか…」


オリガも思うところが有るのかむっつりと黙り込んでしまい串を口に運ぶ。


ジンはそれに合わせて一口で二つ有った残りの肉を纏めて飲み込んだ。


「だが俺は今、少し報われた」

串を手にしたままおもむろに立ち上がり、コートの裾を叩いて清々しく吸気する。


晴れ晴れとは行かずとも、曇り空に一筋の陽光が差した程度には、不景気だったジンの顔が明るくなった。


「報われた、とはどういう意味だ?」

「さあな、大したことじゃない」


同じく食べ終えて立ち上がったオリガがジンに言葉の意味を聞くがそれをはぐらかし、人差し指と中指で串を挟んだ手を広場の外周に向けて振り払う。


「何を…?」


何気無い小さなモーションでありながらスナップの利いた投擲をされた串は無回転を維持し、10メートルの距離を優に飛んだ。


「なッ!?」


その上で広場を緑を彩る木の幹に、スコッっという音を立てて深々と刺さった。


「さて…行くか。ギルドで依頼を探す」


当然木串は強度的にも構造的にもまず木に刺せるような物ではない。


オリガは串が突き立てられた木に駆け寄って自分も、

と串で突っつき試すがどうしても刺さりそうにない。


再びギルドに向かうジンに追い付き首を傾げる。


「一体どうやったんだ?」


「十年の努力が9割と1割の種だ。お前もその内出来るようになるかもな」


「いやいやいや……」


どう考えても常人には不可能な予測に手首と頭をブンブンと振り否定する。


「いつか教えるさ、その1割をな」


ぶらぶらと歩いてギルドとベンチの中間に位置していた焼き串屋の屋台に近付き、店主の肩を叩く。


「あん? どうしたニイチャン?」


今しがたジンとオリガに商品を提供した男性―――エプロンに筋肉質な体を押し込んだスキンヘッドのコワモテ――が振り返る。

「タレの事なんだが…」


「レシピならやらねぇぞ?」


「いや、レシピは要らないが――――――――、だな?」


「!? どこでそれを聞いた!?」



先を行くジンが何を耳打ちしているのかはオリガには聞き取れなかったが、二三言の発言に店主が度肝を抜かれたのは見てとれる。


「こ、今後ともご贔屓に……」


信じられないという目で瞠目する店主から離れたジンにオリガが早足で追い付いた。


「何を言ってたんだ?」


「一種の癖だ、気にするな」


「?」

今更言うのもなんだが、いや今だから言えるが、嫌な癖も付いたもんだな…。



昔には必要だったが今や無用の長物な技能が暴発してしまい、自分の臆病さに思わず嘆息するジンであった。


  ◆


「ジン、どんな依頼を探しているんだ?」


ギルドに戻ったジンとオリガは依頼をボードの端から見ていた。


「冒険者全体の水準が短期で計れるランクの依頼だ」


「となるとBからCがお決まりだが、どうだろうな…」


ジンは現在、Bランクの依頼をチェックしていたが、どれも歯応えの今一そうなな物ばかりだった。


「水準を調べると言っても容易過ぎるのもな……。こっちを見よう、ジン」


「やはり、そうなるか…」


「Α下位向けなら程よいのが有りそうじゃないか?」


「だと良いが…」


オリガに着いてロフトのように一階を見下ろせる二階へ上がる。


基本的な造りは一階と変わず、少しサイズダウンしたクエストボードが奥に掛けられ、20弱の依頼が貼られている。


一階のクエストボードの依頼は膨大に有ったが、流石に一流以上の腕を必要とする依頼はそう無数には無いらしい。


「フム…」


その中の一つがジンの目に留まる。


南東の帝国領の森の奥地に廃墟として残る砦を根城にする24人で構成された盗賊団の討伐。


首魁の名はアスベル。


推奨ランクはA1。


「アスベル……アスベル…か…」


「早速見付けたか?」


「ああ……これにしよう」


「賊の討伐か。達成条件が殲滅と有るが二人で大丈夫か?」


「お前が後詰めしてくれるならいける。一人でないなら文句無しの大歓迎だ」


依頼を剥がしたその足で階段を降り、朝と微塵も変わらぬ笑顔でシリアが待ち受けるカウンターへ歩く。


「背中を任せて貰えるとは光栄だな」


「俺は仲間を全面的に信頼するのが信条だ。そしてさっき見たお前の剣技なら任せるに値する」


先に対応していた冒険者の処理を終えて顔を上げたシリアと目が合い、手を挙げてシリアの会釈に応える。


「あ、ジン様。ということは記念すべき《暁の夜鷹》の初陣ですか?」


「そうなるな」

ぶら下げた依頼の紙をカウンターにふわりと載せてシリアへと滑らせる


「シリア、俺達はこの依頼を受ける」


「初めては皆さん採取などの慣らしですけど、お二人はどんな……」


シリアは期待の新人が差し出した紙を掬って目を向け


「ファッ!?」


新人がだした破格の依頼に面食らった看板娘は、美少女に有るまじき奇声を上げてしまった。

聞いた事のない言葉にギルド中から―――仲の良いオリガも初めて見る彼女に驚き、口が閉まらなくなっている―――視線が集まり、気まずいシリアは身動ぎして居住まいを正す。


「あのですね…。ジン様のランクは今…」


「D5だな」


「ウウッ…」


言いにくそうにしているのに代わってジンがしれっと言ってやれば尚更シリアは肩を落とす。


「ですからパーティーとしては平均値のC1扱いなんです…。それだと私が受け取りましても依頼を管理している上司が嫌がりまして…」


集約、統括する組織であり、こういった場合、受理する責任者は判子を捺すのを大概渋る。


「そうなるか…」


無理して挑まれても失敗するのが大半なので、そう何遍も失敗されてはギルドの信用問題にもなる。


つまり、低ランカーに出来るわきゃねぇだろボケという話で、一応は冒険者の死亡率も考えての判断でもある。


「だが、俺が取り下げる理由にはならないな」


後で上司に嫌味を言われるのだろうシリアには悪いとは思う。


これが他の依頼ならば考えないでも無い。


しかし、俺にはそれよりも通す条理が有るのもまた事実。


だが、この依頼は譲らない、譲れない。


「済まん」


今は(こうべ)を垂れ、未来のシリアに詫びるしかない。


「えぇっ? 何をしてらっしゃるんですか…?」


直立不動を貫いていたジンのいきなりのカウンターに手を附けた低頭がよっぽど予想外だったのか目を丸くする。


「何って…人にモノを頼む態度だ」


「いやまあそうだがな…。…ップ、ククク」


「…何がおかしい」


ジンがゆらりとオリガを見ると眠る猫のように眼を細め、目尻に涙を滲ませている。


黒を基調とした装備と褐色の肌に映える白い歯を噛み締めてクツクツと笑っていた。


「なあシリア、何かおかしいか?」


成る丈優しく大人しい声色を使ってシリアに訪ねる。


「い、いえ、頑張って受理に漕ぎ着けるますっ」


「オイ待て、なぜ涙目になっている」


「それはな、お前が怖い顔してるからだ。そして何が、の答えは冒険者は普通、ギルド職員に下手に出ないからな。頭を下げる奴なんて、クク、見た事無い」


「俺が何時怖い顔をした」


「そう睨まないでくれよ」


「言ってろ、この面は生まれつきだ」

「生まれつき…って…無愛想な男だとは思っていたがここまでとはな……」


「あ、あの〜」


シリアが控えめに挙手して発言権を求めた。


「どうかしたか」


「ジン様が頭をお下げにならなくても受理いたしますが……」


言い切る前にジンが手を翳して遮った。


「通るのは分かってる」


もしこれが通らなければ、冒険者が依頼を自由に選択出来る意味は無いのだから。


責任者には判子を捺す義務は有れど、通常は拒否する権利は持ち得ない。


責任者が渋るというのもせいぜいが、職員に警告することを促すぐらいだろう。


「だから謝った。女は大切にしろと師匠に教えられたがそれを蔑ろにする結果になった…」


「そ、そんな事は…」


「それはまた、フェミニストだったんだな」


オリガが大げさに肩を竦めてウインクをシリアに飛ばす。


「では…依頼は受諾いたします。ええと…こちらがその子細な資料となります」


「ありがとう」


バインダーから取り出した数枚組の紙をシリアから受け取り、丸めて腰に複数付いた中でも大きいポーチに仕舞う。


「これからもよろしく頼む」


「またなシリア」


「はい」


シリアは優美な会釈でジンとオリガの別れに返事をする。


「次はブリーフィングだ。俺の宿でしよ「―――ジンじゃない!」」


ギルドを訪れた少女の声が次なる目的地を告げようとしていたジンに重なった。


「昨日ぶりでござるな」


ジンの傍らのオリガを認めると、ギルドの戸口に現れた五人組《西風の息吹》は次々に驚嘆の声を漏らす。


「え、なんでジンがオリガさんと居るんだ…?」


「どういう事なんですかねぇ?」


「今朝パーティー登録したからな。今から討伐に行く」


別に驚く話でも無いハズだが。


あのお人だから敢えてそんな指導方針なんだろうが、単独で挑むメリットは少ないからな。


「ふぅ〜ん。…オリガさんて強い魔物の討伐でもソロを貫く事で有名だったから意外です」


「いいや、私からお願いしたいくらいの(つわもの)だよジンは。私じゃあ、とてもじゃないが相手にもならなかった」


眼を閉じれば今朝の光景を思い出す。


こちらは不意討ちまでしたのにジンは得物すら抜かなかった…。


本気の片鱗すら覗けなかったオリガは何気にへこんでいるのだった。


「げぇ、マジかよ…。確かに俺もワンパンだったしな……」


遥か雲の上の人であるA2のオリガがお手上げするジンに、昨日殴りかかったクウリはガックリと肩を落とす。


「お前達は若い。これから伸びていけば、五人ともいずれ今のオリガの強さまではいけると思ったがな」


「私は強くならないんじゃないですかね?」


大混戦とならない限り、回復役として後衛で職務を果たすリマイトとしては冗談半分に考えているらしい。


「逆だ。弱点を強化しなくてどうする。お前が死んじまったら戦場に残された仲間はどうなる」


「……そう……死なれたらみんなが困る…」


「そうですかねぇ」


それまで沈黙を守ってきたイリスが初めて口を開いた。


さしもの生臭坊主もマジなトーンに頬を掻く。


「俺が知る回復魔術師に……己を常時治癒しつつ敵中に殴り込む変態がいてな」


「それはまたトンデモな撲殺神父ですね…」


一般論として魔術の行使は尋常でない集中力を必要とする。


走りながら可能にするだけでも途轍もない慣熟を要し、戦闘の只中でなど言わば論外である。


その無茶を可能とするのに必要な技能の高さを、本能的に理解する術者の二人は眼を見開いて唖然としている。


「嘘って言いたいけど……ジンみたいなのがいるんだからいてもおかしくないのが怖いわね……」


「奴は魔力の続く限り、矢が刺さろうが魔術で焼かれようが立ち上がる不死身の野郎……まさしく変態だった……今のお前にそこまで鍛えろとは言わんが、小一時間逃げ回れる程度には体を作れ」


「ジンの言う通り、Aランクで戦うにはそれぐらいは走れる脚が無いと魔物の餌になるのがオチだ」

ジンの言葉をオリガが首肯する。


見える冷涼な美貌を和らげるような穏やかな微笑みを見て、ジンは理解する。


彼女は本質的に群れるのを好まない。


その笑顔とて他人に向けられた物ではない。


後進に物を教える、かつて義父も務めた仕事と同種の行動を自分がしている喜びが滲み出しているのだ。


「大した事はしてやれないか……」


「む…何か言ったでござるか?」

「いや、いつまでも出入口を塞ぐのは不味い…座れ」


リマイトと伊織の肩を掴んで手近な椅子に横並びに座らせる。


二人の頭の間でギリギリ聞こえるまで落とした声で囁く。


「進展はあったか?」


「尻尾を掴めそうなんですが…」

「そろそろ危険ござる…」


「そうか…」

身元が割れないなら現行犯を捕縛するのが望ましいが警戒心が強いか…。



しかしこのパーティーにも生活があり、その費用を捻出する仕事は毎回は定時に終われない。


「手を貸してくれるでござるか?」


「悪いがそれは“出来ない”んだ。分かってくれ」


「ぬ…残念でござる」


「…仕方ありませんね」


台詞とは裏腹に、伊織は片目を僅かに開いて息を吐き出し、リマイトは唇に手を当て微笑む。

傍目には何を話しているかも分かるまい。


この二人を選んで正解だった。


昨今減っている、腹芸を出来る若者に出会った幸運に感謝するジンであった。

そして頑張れと肩を叩き、オリガを置いてもう一度とシリアと話に行く。




幸い、他の冒険者の用も済んで手透きになっている。


「シリア」


「はい、なんでしょう」


「一度だけ言う。これを受け取ってくれ」


腰のポーチから青白い無地の小さな袋を出し、口を締める紐を畳んでシリアの手に握らせる。


「え…と…薄くて四角い何かが入ってますが…? これはなんでしょうか?」


「あいつらに君に退っ引きならない危険が迫っていると聞いた」


目だけを動かし、後方の五人を指す。


「っ……そうですか」


「余計なお世話だろうが、お守りだ」


「いえ、ありがとうございます。ただ…意外で驚きました。こういうモノを信じられるタイプなんですね」


「よく言われる。中身を見ても良いが、くれぐれも肌身離さず持っていてくれ」


「はい。分かりました」


「じゃあな」


「はい」


この飲み込みの速さにギルドの受付嬢という大役をこなす秘訣があるのだろうか、などと考えつつ、十数秒の会話を切り上げて仲間の下に戻る。


「何話してたんだ?」


「心配するな、依頼の事だ」


「べ、別に心配してねぇし……」


うっかり掘った墓穴を弄らたクウリはたじたじとなり、そっぽを向く。


途端に不機嫌になったクレアにイリスがなにやら吹き込めば、クウリが泡を食って止めにかかる。

「クッククク」


「フフフフフ」

《西風の息吹》の年長組からしたら、クウリの純真さが微笑ましいらしい。


クウリ、クレア、イリスの三人のじゃれあいを見物しては、二人して下を向いて時折肩を震わせている。


「三角関係は観てて面白……ゴホン。若いってのは……特権でござるな…」


「羨ましいですねぇ」


「だな……っと、俺達はもう行く」


隣のオリガに目配せすれば小さく頷いて黒い髪がたゆたう。


「ジンの選んだ依頼にはそれなりの支度が必要そうだからな」


「お、初依頼か! 頑張れよ!  …つってもジンとオリガさんが一緒に失敗する未来が見えねぇ」


「行ってらっしゃい」


「………」


イリスもクウリを杖で突くのを止め、手首から上をローブから出して無言で振る。


そんな仲の良い五人に見送られて広場に出た。


「具体的にはこれからどうするんだ? 私はこの装備で構わないが」


「俺もだ」


オリガは両刃の直剣と鉈のように大振りのナイフを叩き、ジンは腰に手を当て、昼下がりの陽気を降り注ぐ太陽を見上げる。

「そうだな……」


そして士気の安定に関連する重大な要素を思い出した。


「移動中の食料は美味い方が良いか?」


「藪から棒にだな…。そりゃあ、不味いのは嬉しくないが……」


「ならば買い物だな。得物は有る。食料品だけ買いに行く」


普通の味覚の持ち主にあの缶詰を食わせては危険だろうからな。


気がついて良かった。


「店に案内しよう。場所は帝国領の北端、となると一週間か……何を買うか…」


お気に入りらしい食料品店に歩きだし、携行していく糧食の内訳を思案するオリガを制止する。


「いや、そんなに要らない」


「荷物を減らすのか? それなら何日で行けると踏んでる?」


「依頼の遂行含めて往復三日だ」


「聞き間違えか? 私の記憶が正しければ今、帰りも込みで三日だと…」


「ああ。その通り、三日だ」


「言うタイプじゃないと思っていたが冗談だろう? 不可能だ、ここからどれだけ離れていると思っている。200キロはあるんだぞ? 馬車を使っても一週間はかかるぞ」


ジンが提示した突拍子もない日数を半信半疑に腕を組む。


「明日だ。明日に納得させる。だから今は従ってくれ」


「指示には従うが…」


後に続く無言が、信じるかは別だと、なによりも雄弁に物語っている。


オリガの先導で歩くのを再開し、15分ほどで着いた一軒の商店できっちり三日分(・・・)の水と食料を買い、ジンが寝泊まりする倉庫に来た。


「ここが俺の今の家だ」


「私に明かしてよかったのか? ここは……」


「少佐からそこまで聞いて俺と組んだなら、お前はウチの準構成員と言って差し支えない。それ以上の問題ならお偉いさんが解決する」

錠を開け、真っ昼間だというのに薄暗い倉庫の中に入る。


「ボロくて悪いが、そこのソファーに座ってろ。茶ぐらい出す」


後ろ手にドアを閉めたオリガはそれに従い、部分的にスプリングが壊れて凸凹な座り心地のソファーに腰をかけた。


座らせたジンは建物の済みに行き、今朝には置いてなかった二つの物体に触れる。


「頼んで二日か。輸送の奴らには礼を言わなくちゃならないな…」


一方は、全長は優に馬を超えるサイズで、防湿布を掛けられた縦長の物体。


一方は、一辺30センチの小型の段ボールの箱だった。


その箱の上には一通の手紙が添えられていた。


『あなたは無くてもいいでしょうが、女の子を招待するのに、お茶の用意も無いとは何事か。

という訳で日用品を入れました』


段ボールの封を破れば、成る程、インスタントではあるが、コーヒーや紅茶のティーバッグがいくらかのカップと一緒に入れてある。


「……」


別段、ジンは喜ばない。


あの女なら、それくらいのお節介をするだろうと考えていた。

そして段ボール箱の底の方に、もう一通手紙が、とあるゴム製品と共に有るのを発見した。


ゴム製品を手に取り、手紙を読む。


『追伸


避妊はしっかりね?』


ゴム製品を持ったジンの手が一瞬だけ目映く光り、件の避妊グッズはパッケージごと文字通り灰と化した。


「あのアマ…」


その光量に、何かの有事かと、ソファーからオリガが跳ね起きた。


「何でもない。大丈夫だ。だから、すぐに、剣を納めろ」


オリガの若さで、死線で明暗を分ける、危険を察知するセンサーがあるのは有利な事だ。


怒りはしない。


だが、殺しの道具の切っ先を向けられるのは、誰であっても気分が悪いものだ。


「す、すまない。つい…」


「いいから座ってろ」


昨日放り投げてある荷物の袋から、金属製のマグカップを取りだし、シャワーの脇に設えられた蛇口から水を汲む。


ポケットから抜いた細長いU字型の金属棒を水で軽く洗い、をマグカップに数秒突っ込む。


そのマグカップにインスタントコーヒーの顆粒を目分量で入れ、棒でかき混ぜる。


「出来たぞ」


丈の低いテーブルの、オリガの前にマグカップを置く。


「随分と早いな」


本来、茶を淹れるというのは、湯を沸かし、茶葉なり、豆なりを用意しと、思いの外手間がかかるものである。


インスタントコーヒーという物をオリガも知ってはいたが。


「火種が有ったにしても速すぎるぞ。どんな手品だ。まったく…」


目の前のマグカップは湯気を上げている。


竈も無い場所で、こんな短時間に水から湯を作れると知ったら、世の使用人がさぞ羨むだろう。


インスタントと言いながらも、そこまで損なわれていない香りを吸い込み、マグカップを傾ける。


「味は保証しかねる。俺は飲まないからな」


「十分に美味いさ」


オリガはほっと息を吐き、喉の熱を逃がす。


「さて。明日はどうするんだ?」


「具体的な計画を立てるのは、着いてからだ。今は俺が倒し、お前が周囲を警戒する。それだけ考えていればいい」


「24人を一人で、か?」


それは無茶じゃないかというニュアンスを、ふんだんに含んだ言だったが、ジンは意に介さない。


「24人と言っても、一度にじゃない。古城に散らばっている」


A1にカテゴライズされた盗賊達が、根城を巡回もしないとは考えづらい。


「今から、お前の動きを見させて貰う」


「構わないが…剣の腕は、今朝見たばかりだと思うが?」


そう言うと、コーヒーをぐいっと飲み干し、自分の直剣の鞘をを握り、ソファーから立ち上がる。


「………いいだろう」


数秒目を閉じたジンは、オリガの剣を持たない肩に片手を当て、残る手で壁際のコンクリート床の一角を示す。


「?」


「そこに立て」


オリガは示された場所へ歩き、振り替えって驚愕する。


「!? …何時の間に私の剣を…?」


ジンが提げる右手には、オリガがしっかり掴んでいたはずの鞘の中身(・・)が握られており、咄嗟に手を見れば、同じ程度の重さのコンクリート塊が、細い糸で鞘に括りつけられている。


「もし、お前が死にたくなければ。目を開け」


「な、何をする気だ!?」


唐突な宣告に狼狽えるオリガを無視し、ジンは剣をゆっくりと上げ、やがて、剣を両腕で大上段に構えた。


「動くな」


その警告に、その先から逃れようと、反射的に動き出したオリガの脚が凍り付く。


「一歩でも動けば。必ず、殺す」


氷のように冷たく、揺らがず、感情の無いジンの眼を見て、オリガは直感する。


『ジンがどういうつもりかは知らないが、本気の義父の組み手の比ではない。殺される。少なくとも、ジンには私を殺す覚悟が完成され、私はそれに抗えない』

と。


「や、止め…」


「……」


一歩、二歩と、じりじりと確実に迫り来るジンに気圧され、オリガの膝が震えて壁に寄りかかる。



オリガも、賞金の付いた盗賊の依頼などで、人殺しの経験は何度もある。


殺しは好きではない。


温かい返り血が顔を濡らした時を思い出すと、震えるあまり、今でも手が言うことを聞かなくなる。


だが、ジンの表情には何一つ変化が無い。


どうして。


どうして、私への殺気を漲らせているのに。


そうも落ち着いていられるんだ。


底の見えない伽藍堂の灰色をした、機械のように濁り無き殺意に染まった目が、オリガには恐ろしかった。


オリガの前まで、じっくり歩いたジンの脚が、前後に開いたスタンスで止まる。


剣の射程に、オリガの首が入ったのだ。


「ッッ――」



誰よりもそれを熟知するオリガは、あまりの畏怖から、声にならない声として、口から息が漏れた。


心臓は壊れそうに早鐘を打ち、鼓動がズキズキと頭に響く。



「スゥゥッッ―――」


ジンは、頭上に掲げる剣がピタリと止めると共に、吸う息を止める。


「………」


死が来る。


直感が告げた胸中の粟立ちに逆らえず、オリガは来るであろう死の痛みに目を瞑った。


「じぇああぁぁぁッッッ!!!」



死は、ジンの烈迫の気迫を載せて振られ。


「ッッッ!!??」


…。


……。


………。


…………。


何時までも痛みは来ない。


もしかすると、自分は、もう死んだのかも知れない。

そう思い始めた頃に、不意に声が掛かった。


「目を開けろ」


「わっ…、私は…生きて…?」


腰を抜かして、地面に座り込んだオリガは、妙に温かい感触を下半身に感じながら我に返った。


そして、ジンを見上げて、事の真実を見た。


「――嘘だ……」


ジンの直剣は、頭を断ち割るどころか、オリガの頭上に迫り出した、鉄骨の梁によって、…正確には、梁のスレスレで寸止めされていた。


「今、確かっ…」


生きている安堵に、オリガは涙が溢れる。


「大切なのは、そこじゃない」


「だがっ…!」


「今、お前は。俺に夢中になるあまり、この梁を見逃していた」


ジンが構えを解き、曲げた指の関節で梁を叩く。


「落ち着いて、俺の構えとお前の立ち位置、周りを見れば危険は無いと分かっていたはずだ。そんなザマでここより狭い空間で長物を使えるのか?」


「ッ――!」


今のように、事前にも周囲を観察する余裕があって不可能ならば、命をかけた遣り取りという極限状態でなど、夢のまた夢の未熟者だと、試され、痛烈な評価をされたのだ。


「だが…」


「……?」

「それぐらい臆病で良いのかもしれない…。お前はまだ若い。命は、惜しめ…」



水溜まり(・・・・)に座るオリガに、目に感情の色が戻ったジンが手を差し伸べる。


ジンのそれは、懐古する眼差しだったような気がしたが、オリガが瞬きした次に見た時には残っていなかった。


「そうだ喜べ! 今、本当の意味で、お前は俺の仲間になった」


「………は?」


オリガは呆気にとられたまま、ジンに腰を支えられて立たされる。


「やはり、見込みがあるのは間違いない。ダメな奴は泡吹いて倒れたりしたからな」


「………えっ?」


ジンは満足げに頷き、今のは一種の適性検査であると伝える。


「いやはや、流石は少佐。こんな若いのがチビるだけとは、新兵の育て方が上手い。ん? なぜプルプル震えているんだ?」


「………ば」


「ば?」


「馬鹿ヤローぉぉぉっっ!」


オリガは肩を借りていない方の手で殴りかかるが、予想以上に締まったジンの体には、半ば担がれて手打ちなパンチではダメージ入らない。


「やり過ぎたのは認めるから殴られるが、早くシャワーを浴びないと脚が小便でかぶれるぞ?」


「うるさいっ!」


「適度な黄色か。健康的でなによりだ。特に病気の兆候も見られない


「見るなっ! 嗅ぐなっ!!」

首を傾けて床に広がる染みに、鼻を動かすジンのうなじを一打。


「幸い、そこにシャワーがある。乾いた服も貸してやる」


そう言ってジンは、革鎧を装着しているオリガの脇腹のベルトに手をかけた。


「おい、待てっ!? 何をする気だ!?」


「何って…腰を抜かした奴が、一人でまともにシャワー浴びられるか?」


「ふざけるなっ! って、オイコラ、勝手に脱がすなっ!!」


ジンは鼻歌混じりに、手際良くオリガの革鎧を脱がし、上下共々、肌着を露にする。


「おお。鎧のせいで良く分からなかったが、意外に大きいじゃないか」


薄い褐色の丘に優しく手をあてがい、歓声を上げる。


「あぁんんっっ! くっ…や、やっぱり、そういうコトが目的か!?」


「いや、そういうのは要らない」


色っぽい声を上げて、頬を紅潮させながらも抵抗するオリガから、有無を言わさず残りの衣服とブーツを剥ぎ取り、ジンもあっという間にコートと服を脱ぎ捨てる。


「お前も脱ぐのかっ!?」


「当たり前だ。俺が服を濡らしてどうする」


ジンがシャワーの蛇口を捻り、冷たい水が二人の頭に降り注いだ。


「わぷっ……」


「…さて。脚を流してやるか」


「キャッ……」


鍛え上げられた体躯に担がれては、力の入らない体は、されるがままになるしかない。


うつ伏せに肩に乗せられたオリガは、可愛げある悲鳴を上げてシャワーに洗われる。


「そこは尻だぁぁあっ!!」


  ◆


「酷い目に遭った…」

「俺は何もしなかっただろう」


厚手のタオルで、ワサワサと体を拭かれ、やたらと糊の利いた、グレーと緑の斑の服と下着(嬉しくもなぜか両方女物)を着せられ、ソファーに座るオリガは、俯いていた。


革鎧は水拭きし、肌着はジンが手洗いした後、目下陰干し中である。


「どこがだ…」


オリガはジンが新しく淹れた、熱いコーヒーを啜っている。


「俺は、ナニすらおっ立てなかったろうが」


「ブフォッ!?」


コーヒーが気管に入り、噎せる。


「男とシャワー浴びておいて、ヤられてないのは、十二分に幸運だと思うがな」


「ゲホッ、ゲホッ…。そんなに私は魅力がないか?」


ジンを英雄だとして聞かされていたが、その前に男だということを分かり、それを踏まえても手を出されなかった自分落ち込む。


オリガが少しいじけたようにジンに問い、頭を掻きながらジンはそれに答える。


「魅力のあるなしは欲情するかは別だ。俺にとってセックスは目的じゃない。手段だ」


「セッ…!?」


シャワーで冷まされたオリガの頬に再び熱が入る。


「フム、処女か。だがまさか、快楽が悪だ、なんて言わないよな? だとしたら…お前の親父さんなんて、間違いなく地獄に三度は堕ちて―ウップ…思い出すだけで――」


込み上げる何かを堪える真似を、顔に半笑いを貼りつけたジンがする。


「止めろぉぉッッ!?!? 人の親をそんな風に言うな!」


飛びかかったオリガの拳は、難なく受け流された。


「乾いたな」


乾拭きしておいた革鎧と薄手の生地の肌着は、真昼の陽気で早くも乾いている。


適当な柱に引っ掻けて干してい革鎧の上下と下着をオリガに手渡す。


「出立は明日明け方。集合はここの前だ。荷は、俺が纏めておく」


「分かった」


オリガは乾いた黒い革鎧のベルトを順に締めて身に纏い、唇の端を挑戦的に持ち上げる。


「三日の根拠をしっかり、見せてもらうからな?」


「ああ。驚いて腰を抜かしてくれるなよ?」


つい今し方の惨状を、仄めかすように、濡れていた床を後ろ手に指してジンが冷やかす。


「うるさいっ!」


「それだけ元気になら、歩けるな」


立ち上がりざまに頭目掛け、鞘に納まった剣を振る。


だがジンは、これを半歩離れると同時に、首を曲げて余裕で回避した。


「素手で来い」


缶詰の詰まった段ボールの山の前に余った、6メートル四方程のスペースに歩いたジンは、手招きしてオリガを(いざな)う。


関節のストレッチをするオリガと、一メートル強の間隔までジンが近づく。


「格闘はどれだけ教わった?」


「立ち技から寝技まで一通りは一応…」


「上等だ」


命を粗末にするのは嫌いなジンでした。


ジンが欲求より理性を重んじるタイプで良かったねオリガちゃん!



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