第七章 鉄屑の記憶
一
年が明けた。大正十四年、一九二五年。
正月を因島で迎えることになるとは、半年前には想像もしていなかった。三好の家の離れで年を越し、タツが拵えてくれた雑煮を食べた。因島の雑煮は尾道と似ているが、餅が丸餅で、出汁に煮干しが利いていた。
千代から年賀の手紙が届いた。
——あけましておめでとうございます。こちらは皆元気にしております。文子が年賀の挨拶回りを手伝ってくれました。健太郎は正月早々から友達と凧揚げに行って、まだ帰ってきません。店は伊三郎が年末のまとめをしっかりやってくれました。掛け金の回収も順調です。あんたは風邪をひかんように気をつけなさい。
短い手紙であった。愚痴も泣き言も一言もない。千代はいつもそうだ。必要なことだけを書き、余計な感情は載せない。しかし寅之助には、その簡潔な文面の行間に千代の気持ちが見えた。文子が手伝ってくれた、と書いてあるのは、十七歳の娘が母の苦労を察して自分から動いたということだ。健太郎が凧揚げに行っているのは、子供の正月が平穏に回っているということだ。伊三郎がしっかりやっているのは、店が潰れていないということだ。
寅之助は返事を書いた。
——あけましておめでとう。因島の正月は穏やかです。三好さんの奥さんの雑煮を食べました。旨かったが、お前の雑煮の方が旨い。一月末までには片がつく見込みです。もう少しの辛抱じゃけえ、待っていてくれ。
正月の三が日が過ぎると、作業が再開された。
二
一月の因島は寒かった。
瀬戸内海は穏やかな海というのが世間の評判だが、冬は北西風が容赦なく吹きつける。因島の港も例外ではなく、朝は霜が降り、岸壁の鉄が冷えて手袋越しにも指が痛んだ。
しかし作業は確実に進んでいた。船殻の切断は終盤に入り、残るは船底部分のみとなっていた。船底は船体の中で最も鋼板が厚い部分であり、切断に時間がかかる。しかも船底の形状は曲面であるから、平らな甲板や舷側とは勝手が違った。
山根は毎朝、作業開始の前に船底の状態を確認し、その日の切断箇所と手順を指示した。寅之助はもはや現場の一員として認められており、鋼板の搬出や仕分けの段取りを自分で判断して動くようになっていた。
一月の中旬、山根が作業の合間に寅之助に言った。
「あと十日で終わる」
「十日か」
「船底の残りがあと四区画。一区画に二日から三日かかる。天気が崩れんければ、月末に間に合う」
「間に合うか」
「間に合わせる」
山根がそう断言したのは、寅之助の知る限り初めてのことであった。普段の山根は「やってみにゃ分からん」としか言わない男である。それが「間に合わせる」と言った。その一言が、寅之助には何より心強かった。
一月も後半に入ると、水雷艇の姿はもはや船とは呼べないものになっていた。上部構造物は全て撤去され、甲板はなく、舷側も大部分が切り取られ、残っているのは船底の湾曲した鋼板だけであった。岸壁に横たわるそれは、巨大な鉄の揺り籠のように見えた。
その傍らに、三ヶ月かけて切り出された鉄の山が積まれていた。鋼板、形鋼、鋲、管材。種類ごとに仕分けされた鉄屑の山は、寅之助の几帳面な記録とともに、水雷艇が「船」から「材料」へと姿を変えた過程の証であった。
別の場所に、銅と真鍮の山があった。こちらは量は少ないが、値打ちは鉄の何倍もある。緑青に覆われた銅管、黄金色の真鍮の弁、赤銅色の電線。寅之助はこの山を見るたびに、鉄屑の中に宝が眠っていたのだという感慨を新たにした。
三
大正十四年一月二十五日。
その日は朝から晴れていた。風もなく、冬にしては穏やかな日であった。瀬戸内海の水面が朝日を受けて銀色に光り、因島の向こうに生口島の山並みが青く霞んでいた。
船底の最後の区画——第四区画の切断に、山根が取りかかった。
残っていたのは、船底の中央部分、竜骨に近い最も厚い鋼板であった。厚みは十ミリを超える。酸素切断機の炎を当てると、鋼板は赤く灼けて溶け、細い火の線が鉄の面を這っていった。火花が飛び散り、切断面から溶けた鉄の滴が落ちて、地面の砂にじゅっと音を立てた。
職人たちは手を止め、山根の仕事を見守っていた。三好嘉平も事務所から出てきて、腕を組んで立っていた。寅之助は鋼板の山の脇に立ち、帳簿を胸に抱えていた。
山根のトーチが鋼板の端から端へ、ゆっくりと、しかし淀みなく進んでいった。火の線が半分を過ぎ、三分の二を過ぎ、終点に近づいた。
最後の数センチを切る時、山根は一瞬だけ手を止めた。それから、静かにトーチを進め、鋼板を切り離した。
鉄が鳴った。最後の鋼板が切り離された瞬間、残りの骨格から解放された鉄が、がらんと乾いた音を立てて傾いた。職人の一人がバールで押すと、鋼板はゆっくりと倒れ、地面に落ちた。
重い音が土生港に響いた。
そこにはもう、船はなかった。竜骨の断片と、岸壁に打ち込まれた係船柱の跡と、地面に散らばった鉄の破片だけが残っていた。百五十二トンの水雷艇は、三ヶ月近い作業を経て、完全に解体された。
職人たちの間から、誰からともなく拍手が起こった。見習いの若い衆が「終わったぞ」と声を上げ、鍛冶工の一人が笑った。山根は遮光眼鏡を額に上げ、トーチの火を消し、地面に落ちた最後の鋼板を見下ろした。
三好が寅之助の方を見た。
「終わったのう」
寅之助は口を開いたが、言葉が出なかった。声が喉の奥でつかえていた。帳簿を抱えた腕が震えていた。笑おうとしたのか泣こうとしたのか、自分でもよく分からなかった。ただ、足元にあった百五十二トンの鉄が消えたということが、途方もない現実として身体に染みてきた。
山根が近づいてきて、切断した鋼板の一端を蹴った。からん、と軽い音がした。
「梶原さん。——終わったぞ」
「……おう」
「泣くなよ。泣いたら片付けが残っとるのを忘れそうになる」
寅之助は笑った。涙が頬を伝ったが、笑っていた。周りの職人たちも笑っていた。寒い冬の朝の、因島の小さな造船所で、十数人の男たちが笑いながら立っていた。
四
解体完了の届出は、三好の名前で海軍省に提出された。
添付書類として、解体作業の記録(寅之助がつけ続けた帳簿の写し)、回収物の目録、兵器部品の返納確認書、そして三好が地元の写真屋に頼んで撮影させた作業の記録写真が添えられた。写真は六枚あり、解体前の水雷艇、解体途中の船体、切り出された鋼板の山、そして解体が完了して何もなくなった岸壁が写っていた。
届出を郵送した翌日から、寅之助は後始末に追われた。
まず、回収した屑鉄と非鉄金属の売却である。三好の紹介で呉の金属問屋に連絡を取り、辰次郎が仲介役を務めた。鋼板と形鋼は約百二十トンが回収されたが、二十年間海水に晒された船体は腐食が激しく、屑鉄として値のつく状態のものは半分にも満たなかった。売れた分がトン当たり十二圓で約六百圓。銅と真鍮は約二トン半、こちらは腐食に強くほぼ全量が売却でき、トン当たり九十圓で二百二十五圓。雑品が若干。合わせて約八百五十圓の売却収入となった。
三好への解体費用千五百圓は、手持ちの現金と借入金から支払い済みである。三好への売却手数料一割を差し引くと、寅之助の手元に戻る金は約七百六十圓。三好からの前渡し二百圓を精算すると、実質の戻りは五百六十圓ほどであった。
千代が送ってきた手紙に、最終的な収支の清算が書いてあった。千代は尾道で、寅之助が送る数字をもとに帳簿を並行してつけ続けていたのである。
支出
繋留料(四月〜十月、約二百日) 二百四十圓
曳航費(佐世保→下関) 六十圓
曳航費(金比羅丸燃料代) 二十圓
関門海峡補助曳船・水先料 五十五圓
解体費用(三好造船所) 千五百圓
兵器返納関連 四十圓
旅費・宿泊費・通信費(約六ヶ月分)百八十圓
漁師見舞金 十五圓
弁護士相談料 二十圓
雑費 五十圓
計 二千百八十圓
収入
屑鉄・非鉄金属売却代金(手数料控除後) 七百六十圓
差引持出額 千四百二十圓
千四百二十圓。当初の見込みの千三百三十圓よりやや多い。銅の回収が多かったおかげで、最悪の想定よりは救われたが、それでも梶原商店の年間純利益の一年半分に相当する額が消えた計算であった。
収支の紙を見つめながら、寅之助はしばらく黙っていた。三好の事務所の小上がりで、冬の午後の光が畳に差していた。
千四百二十圓。大きな金である。しかし、店は残った。家族は無事である。借金はあるが、返済の目処は立つ。質屋の丸屋には月々の利息を払い、元金は一年かけて返す。千代の実家と辰次郎には、売却代金から優先して返す。
寅之助は紙を畳み、懐にしまった。
五
大正十四年二月十二日、佐世保鎮守府から一通の公文書が届いた。
宛先は三好造船所気付、梶原寅之助殿。
——旧水雷艇第七十二号ノ解体完了ヲ確認ス。本件ニ係ル一切ノ義務ハ完了セルモノト認ム。
短い文面であった。しかし、その一文が意味するものの重さを、寅之助は骨の髄まで知っていた。
七月の書留から七ヶ月。佐世保、門司、呉、尾道、因島。行ったり来たりした道のりの全てが、この一枚の紙に集約されている。
「終わったのう」
三好が言った。二度目の「終わったのう」であった。
「終わりました。——三好さん、本当にお世話になりました」
「仕事じゃ。礼には及ばん」
「仕事じゃけど、三好さんがおらんかったら、わしは潰れとった。それは間違いない」
三好は何も言わず、茶を啜った。タツが奥から顔を出し、「梶原さん、お昼はどうしんさる」と聞いた。
「タツさん、今日で因島ともお別れです。明日、尾道に帰ります」
「あら、そうかいの。寂しくなるね」
「タツさんの飯を食えんようになるのが一番寂しいですわい」
「嘘おっしゃい。奥さんの飯の方がええに決まっとる」
寅之助は笑った。三好も口の端だけで笑った。
その日の夕方、寅之助は三好造船所の岸壁に一人で立っていた。
水雷艇があった場所には、もう何もなかった。岸壁のコンクリートに係船柱の跡が残り、地面に油の染みがあるだけで、百五十二トンの船がここにいたことを示すものは何もない。鉄屑は呉に送られ、銅と真鍮も売却され、船底の最後の破片まで片付けられた。
寅之助は岸壁の端に立ち、夕暮れの土生港を眺めた。因島の山が夕陽に染まり、港の水面が橙色に光っている。対岸の生口島の稜線が紫色に沈んでいく。
三ヶ月前、水雷艇がこの岸壁に着いた時のことを思い出した。赤錆の船体に夕陽が当たり、鉄が橙色に燃えていた。あの色は、もうどこにもない。
懐から、一本の銅管を取り出した。長さ三十センチほどの、復水器の冷却管の一本。解体の時に山根に頼んで、一本だけ手元に残しておいてもらったものである。緑青に覆われた表面を指で擦ると、赤銅色の地金が覗いた。
これが、水雷艇第七十二号の最後の欠片であった。
六
翌朝、寅之助は因島を発った。
土生港から渡船で向島に渡り、向島の北岸から渡船を乗り継いで尾道に向かった。二時間ほどの行程だが、来た時とは風景が違って見えた。同じ瀬戸内海、同じ島々、同じ渡船なのに、自分の目が変わったのだと寅之助は思った。七ヶ月前の自分は、海軍も軍艦も鉄屑も知らない雑貨屋であった。今もまだ雑貨屋だが、鉄を切る火花の色を知り、銅管の手触りを知り、潮の流れの読み方を少しだけ知っている。
向島の渡船に乗って尾道水道を渡る時、対岸の尾道の町並みが見えた。千光寺山の斜面に寺院と民家がひしめき合い、海岸通りに沿って商家の甍が続いている。その中の一つが梶原商店であった。ここから見ても、どれがどれだか分からない。しかし、あの家並みの中に自分の店があり、千代がいて、伊三郎が帳場に座っているのだと思うと、胸の奥で何かが温かくなった。
渡船が尾道の桟橋に着いた。板を渡って陸に上がると、尾道の匂いがした。醤油と潮と木材の匂い。因島の鉄と油の匂いとは違う、商いの町の匂いであった。
海岸通りを歩いた。二月の風は冷たかったが、日差しには春の気配がわずかにあった。通りの向こうに、梶原商店の看板が見えた。
格子戸を開けると、番頭の伊三郎が帳場にいた。
「大将」
伊三郎は目を丸くし、それから満面の笑みを浮かべた。
「お帰りなさい」
「おう。帰ったぞ」
「お待ちしておりました。——奥さん、大将がお帰りです」
帳場の奥から千代が出てきた。小柄な痩せ型の姿が、帳場の薄暗がりの中に立っている。千代は寅之助の顔を見て、少しの間、何も言わなかった。それから、静かに言った。
「お帰りなさい」
「ただいま」
それだけであった。千代はそれ以上何も言わず、寅之助も何も言わなかった。七ヶ月分の言葉は、この三文字に全部入っていた。
寅之助は店の中を見回した。金物が並び、荒物がぶら下がり、帳場にそろばんが置いてある。何も変わっていなかった。千代と伊三郎が守り続けた日常が、そのまま残っていた。
寅之助は帳場の脇の小上がりに腰を下ろし、深く息を吐いた。畳の感触が懐かしかった。自分の店の畳は、因島の三好の離れの畳とは違う匂いがした。醤油と煙草と、千代の匂いがかすかに染みついている。
「千代」
「何ね」
「終わったぞ。全部終わった」
「そうかいね。——お茶、淹れようかね」
「おう。頼む」
千代が奥に行き、火鉢に鉄瓶をかけた。寅之助は懐から銅管を取り出し、小上がりの棚に置いた。赤銅色の管が、帳場の薄暗がりの中で鈍く光った。
伊三郎が帳場から首を伸ばし、銅管を見て「何ですか、それは」と聞いた。
「わしの軍艦の形見じゃ」
「形見。——軍艦の」
「そうじゃ。水雷艇第七十二号の復水器の冷却管じゃ。これだけ残しておいた」
伊三郎は感心したような、呆れたような顔をした。千代が茶を持ってきて、銅管をちらりと見た。
「それ、どこに置くつもりね」
「神棚の脇にでも飾ろうかと思うとるんじゃが」
「汚いものを神棚の近くに置きんさんな」
「汚うない。磨いたらぴかぴかになる。銅じゃけえ」
「……まあ、好きにしんさい」
千代はそう言って、自分の茶碗を持って帳場に戻った。
七
それから、日常が戻ってきた。
梶原商店は七ヶ月の間、千代と伊三郎の二人で守り続けられていた。売上はやや落ちていたが、致命的な減少ではなかった。千代が仕入れを絞り、伊三郎が得意先を丁寧に回った成果であった。
寅之助は店に復帰し、以前にも増して働いた。借金がある。質屋の丸屋に五百圓、千代の実家に三百圓、辰次郎に二百圓。合わせて千圓。これを一日でも早く返すために、寅之助は朝から晩まで店に立ち、島への配達も自分で行き、新しい取引先の開拓にも動いた。
三月に入って、因島の三好嘉平から手紙が届いた。
——先日、漁船一隻の建造を請け負い候。金物部品の納入につき、貴殿に御依頼致したく候。船釘、蝶番、滑車金具等、目録を添付いたし候間、御見積りの程願い上げ候。
寅之助は目録を見て、すぐに見積書を作成した。梶原商店の取り扱い品目の中で、船に使う金物部品はそれまであまり力を入れていなかった分野であったが、因島での三ヶ月間で船の構造をいくらか知った寅之助には、何が必要で何が不要か、見当がついた。
見積書を送ると、三好からすぐに発注が来た。金額は大きくはなかったが、これが最初の一歩であった。三好造船所が漁船を建造するたびに、金物部品の注文が梶原商店に入るようになった。年に四、五隻の建造があるとすれば、安定した収入源となる。
寅之助はこの縁を大切にした。三好が求める品質の金物を、適正な価格で、確実に納期通りに届ける。それは寅之助が備後屋で丁稚の頃から叩き込まれてきた商売の基本であったが、因島での経験がその基本に新しい奥行きを与えていた。
もう一つ、変化があった。
解体作業を通じて金属の目利きを身につけた寅之助は、雑貨商の傍ら、少しずつ金属の仲買いにも手を出し始めた。因島や向島の造船所から出る端材や廃材を安く買い取り、呉の金属問屋に卸す。辰次郎が呉での取引先を紹介してくれた。利幅は薄いが、確実な商売であった。
皮肉なことであった。播磨源三郎が生業としていた金属の仲買いを、播磨の死がきっかけで寅之助が部分的に引き継ぐことになるとは。播磨が生きていたら何と言うだろうか。「お前がわしの後を継いでくれるとは思わなんだわい」と笑うだろうか。それとも「形だけのことじゃけえ」と、また軽いことを言うだろうか。
借金は二年で完済した。質屋の丸屋への返済が最も重く、利息を含めて六百二十圓を月々の分割で払い続けた。千代の実家には一年目の暮れに全額を返し、辰次郎にも同じ頃に返済を終えた。辰次郎は金を受け取ると、「もう判を押すなよ」とだけ言った。
千代の実家の父・三宅甚助には、返済の折に寅之助が直接出向いて頭を下げた。甚助は金を受け取り、「今度やったら許さんぞ」と言ったが、その目は笑っていた。
千代は、あの海軍省からの通達の写しを茶箪笥の引き出しにしまっていた。
寅之助が誰かの保証人を頼まれるたびに——消防団の関係者であったり、取引先の主人であったり——千代は無言で茶箪笥の方に目をやった。寅之助はその視線を受けて、「いや、今回はやめとく」と断る。相手は怪訝な顔をするが、寅之助は笑って誤魔化す。理由を聞かれたら、「うちの嫁が怖いけえ」と答える。本当のことであった。
銅管は、結局、神棚の脇に飾られた。千代は最後まで渋い顔をしていたが、寅之助が緑青を磨き落として赤銅色に輝かせると、「まあ、綺麗ではあるね」と認めた。
来客があるたびに、寅之助はこの銅管を指差して言う。
「わしはの、昔、軍艦を持っとったんじゃ」
大抵の客は笑う。冗談だと思うからである。しかし寅之助が「ほんまじゃ、水雷艇いう船での」と話し始めると、客は目を丸くする。佐世保の話、関門海峡の話、因島の話。寅之助の語りは止まらない。
八
ある春の午後のことである。
寅之助は店先に腰掛けを出して、煙管を吹かしていた。海岸通りには春の陽射しが溢れ、尾道水道を渡る風が花びらを運んできた。向島の山桜がうっすらと咲いているのが、水道の向こうに見えた。
近所の子供たちが五、六人、店先に集まっていた。寅之助の話を聞くのが好きな子供たちで、学校帰りに時々寄ってくる。
「おっちゃん、軍艦の話してえや」
「軍艦か。ほうじゃのう、話してやろうかいの」
寅之助は煙管の灰を叩き、話し始めた。
「わしの軍艦はの、佐世保いう遠い町におったんじゃ。赤錆だらけの、ぼろっちい船での。ほいじゃが、日露戦争に出たいう立派な船でな。旅順いう港で戦をしたんじゃ」
子供たちは目を輝かせた。軍艦。戦争。旅順。男の子にとっては心躍る言葉ばかりである。
「それでの、その軍艦をわしが佐世保から引っ張ってきたんじゃ。曳船いう船で綱をつけての、関門海峡いう潮の速い難所を越えて、瀬戸内海を三日かけて因島まで曳いてきた」
「おっちゃん、すげえ」
「すごかないわい。怖かったんじゃ。関門海峡では船が横を向きそうになっての、わしは手摺りにしがみついて——」
「それで、それで」
「それでの、因島の造船所で船を切り刻んで、鉄屑にしたんじゃ。酸素切断機いうての、青い火で鉄を切るんじゃが、火花がばーっと散っての——」
子供たちはわいわいと騒いでいた。しかし、話が佳境を過ぎて、寅之助が帳簿の話を始めると、空気が変わった。
「繋留料いうてな、船を停めとくだけで一日一圓二十銭取られるんじゃ。それが半年で二百四十圓。解体費用が千五百圓で、曳航費がなんぼで、水先案内人がなんぼで——」
「おっちゃん、それ面白うない」
「面白うないか。ここからが大事なんじゃが」
「もうええわ」
子供たちは飽きた顔をして散っていった。寅之助は「おい、まだ話は終わっとらんぞ」と声をかけたが、子供たちは聞いていない。仕方なく、寅之助は残った子供の一人に飴玉を握らせ、「ほれ、行っておいで」と送り出した。
店先に一人残った寅之助の背後から、千代の声がした。
「あんた、その話はもう何遍目かいね」
振り返ると、千代が帳場の奥から薄い笑みを浮かべてこちらを見ていた。
寅之助は煙管をくわえ直し、笑った。
「百遍でも二百遍でも話すわい。千四百二十圓の話じゃけえのう」
千代は何も言わず、帳場に戻った。
尾道水道を渡船が行く。向島の山桜が風に揺れている。海岸通りの午後の光の中で、梶原商店は今日も店を開けていた。
店の神棚の脇で、赤銅色の管が鈍く光っていた。
(了)




