聖女のための精進料理
ベッドから降りて、部屋に備え付けの洗面台で顔を洗っていると。
コンコン
ノックの音が高く響いた。
顔をタオルで拭いてから、「はい」と答えてドアを開ける。
「ボルダン、おはよう」
「おはようございます、ジャック先輩」
どうされたんですか? と尋ねれば、ジャックは少し興奮した様子で答えた。
「聖女様が来られたんだって。見に行かないか?」
聖女。
それは神に選ばれし者。治癒や祈りの力で人を癒し、救済することの出来る唯一の存在だ。
普段は王都の教会にて祈りを捧げているのだが、時折その場を離れ、地方の都市や村を訪れ、祈りや祝福を捧げたり、孤児院の慰問や炊き出しを自ら行ったりなどの奉仕活動をこなしたりもする。
「それは貴重ですが、いいんですか? そんな見世物みたいに」
「んー、まあ、こういうのはご利益みたいなものだよ」
確かにご利益はありそうだな、とボルダンは思った。
「そうですね。行きましょう」
そう答えると、ジャックは嬉しそうに笑って頷いてくれた。
神殿前の広場には、聖女の姿を一目見ようと多くの人が詰め掛けていた。
ここが穴場なんだ、とジャックから教えられたのは、少し離れているが高い場所のため、神殿の出入り口は充分に確認できるところだった。
「前の聖女様は引退したばかりだったな」
「ええ、それは聞いています。最後まで聖女としての責任を果たした慈悲深いお方ですよね」
まだ貴族だった頃、一度だけお見掛けしたことがある。
全身から放たれる柔らかで穏やかな雰囲気。しわの刻まれた顔は優しさが滲み、その瞳はどこまでも澄んでいた。背は曲がることなく真っすぐに伸び、老年ながらも凛とした佇まいは思わず見惚れてしまう程だったのを思い出す。
「新しい聖女様はまだお若いんですよね」
「ああ、俺たちと同じくらいみたいだな。平民だったんだけど、聖女としての力を受け継ぐにふさわしい『器』を持っていたんだよな」
聖女になるためには、先代の聖女からその力を受け継ぐ必要がある。魔力とは違うその聖なる力を受け継ぐには、それを受け止めるだけの『器』がなければならない。
『器』を持つ者を見つけ出すには、聖女のみが受け取ることの出来る神託によって……という説明はさておき、見つけ出されたのが、今の聖女という訳だ。
「どんな方なんだろ? 可愛い子だといいな」
「不謹慎ですよ」
そんなことを言い合っていると、ざわり、と人々がどよめいたのが聞こえた。
神殿から白い衣を纏った少女が現れる。
陽光に煌めくストロベリーブロンドの髪に、くりっとした若草色の大きな瞳。小さな唇に浮かぶ慈愛に満ちた可憐な微笑みは、見た者に感嘆の溜息を零させる程だ。
「わあ……可愛いなあ」
「陽だまりのような方ですね」
ジャックは少し頬を赤く染め、ボルダンは目を細めてそう言った。
たちまちに沸く歓声に、聖女は微笑みを絶やさないまま、群衆に向かって手を振っている。
「はあ……やっぱりオーラが違うよな。神々しいっていうかさ」
「そうですね。聖女に相応しい輝きですね」
ボルダンはそう答え、さらに言葉を続けた。
「でも大変ですよね。聖女様は月に一週間の『七夜の白餐』がありますから」
『七夜の白餐』は七つの夜に渡り、血肉を一切絶ち、穀物や野菜等、植物性の食事のみを口にする、身体の浄化を目的とした儀式期間。そうすることにより、その身に宿る聖力の強化にも繋がるという。
「植物性のものでもタンパク質を取ることは出来ますが、味気ない食事になりそうですね」
「ああ、豆でもタンパク質は採れるけど、やっぱり肉とか魚に比べたらな」
「彩りも、つまらない塗り絵みたいになりそうですね」
ボルダンのその発言に、ジャックは「ぶふっ」と噴き出した。
「つ、つまらない塗り絵って……」
「白いものばかりですからそう思ったんですけど……」
「あははは……!」
堪えきれずに笑い出したジャックに、ボルダンは少しだけ眉を寄せてみせた。
遠くから見るだけの存在。
その時はそう思っていたのだが。
「わあ、聖女様が鬼だー!」
「逃げろー!!」
「よーし、捕まえるわよ!」
子どもの足音と歓声に混じって、聞こえるその声の主は聖女のものだ。神殿の広場でお見掛けした時はおしとやかな雰囲気だったが、随分と活発なようだ。恐らくこちらが素なのだろうな、とボルダンは思う。
(まさか孤児院の慰問と重なるなんて)
そんなことを考えつつ、真っ二つにした西洋瓜の果肉をスプーンでくり抜いて、ボウルに移していった。
本来の収穫期は夏だが、品種改良によって少々早い今の季節にも流通するようになった緑と黒の縞模様が特徴のこの果実は、充分に瑞々しい。漂う爽やかで甘い香りに、思わず目が細められた。
そう時間も経たない内に全てくり抜いたそれの渕を、大きくきざきざに切っていけば少々お洒落な器の完成だ。それにあらかじめ一口サイズに切っておいたバナーヌ、星形に切ったキーウイ、レッドパープルにレッドベリー、ルナベリー、そして丸くくり抜いた西洋瓜の果肉を入れれば、準備万端。
シスターに手伝って貰って、集まっていた子どもたちの机の上に置けば、わあっ、と歓声が響いた。
「じゃ、サイダー入れるね」
蓋を開けて、西洋瓜の器の中にとくとくと注ぎ入れれば、しゅわしゅわと炭酸が弾けた。同時に清涼感のある香りが、果物の香りと混じりあい、ふわりと溶け合う。
「はい、出来上がり。器に掬って仲良く食べてね」
そう言うと、「はーい!」と元気な声が返ってくるのに、自然と目が細められた。「いただきまーす!」の挨拶と共に、子どもたちは器に掬った果実を口へと運ぶ。
まず感じるのはサイダーの炭酸による刺激。ぱちぱちと小さく弾けたかと思うと、果物の優しい甘さがじゅわりと口腔内を見満たしていく。
サイダーと一緒に掬う度に口の中で小さな泡と刺激が生まれ、果物が弾ける甘さに変わっていった。そして程よい冷たさも、先程まで遊んで熱を持った身体を優しく冷やしてくれる。
「しゅわしゅわしておいしい!」
「サイダーの方が好きかも!」
炭酸が苦手な子がいなかったことに、ボルダンは安堵した。そしてその無邪気さに目を自然と細めながら一旦厨房に戻り、トレイを持って来る。
「聖女様とシスターの方々はこちらをどうぞ」
それはガラスの器に盛られたフルーツポンチだった。だが、注がれているのはサイダーではなく琥珀色の液体。
「ティーパンチです。入っているのは炭酸水と紅茶となっております」
そう言いながらそれぞれの前に置いていけば、「ありがとうございます」と礼を言われる。聖女の前に置く時は少しだけ緊張したが、同じように「ありがとうございます」と微笑みながら礼を言われて、何となく安堵した。
先日見た白い礼服ではなく動きやすい服装をしているせいか、こうして改めて見ると普通の少女のようだ、とボルダンはそんな感想を抱いた。
「いただきます」
こちらは静かに手を合わせ、スプーンを手に取って口へと運んだ。
まず感じたのは紅茶の落ち着いた香りと渋み、そしてほのかな苦み。それを心地よく思いながら果実へと歯をたてれば、じゅわり、と果汁が弾け、紅茶の味と混じりあい溶けていく。滑らかな口当たりに、蜜と果汁の甘みが口腔内を満たして、丸みのある優しい味わいに思わず目が細められた。
からん、と氷が触れ合う音が鼓膜に響く。その冷たさが甘さをほどけさせて、味わいが軽くなった。最初の印象とは別の飲み物のようなそれは、不思議と物足りなさを感じない。むしろ静かに満たされていた。
「美味しい……」
「ええ、汗がすっと引くようね」
シスター達は静かにそう感想を言い合った。
「美味しいです」
聖女もまた静かにそう言って、微笑んでいる。
良かった、とボルダンは内心で思いながら、新しい皿をそれぞれの前に置いた。
「紅茶のシフォンケーキです」
ふんわりと焼き上げられた紅茶色のシフォンケーキ。生クリームがかけられたそれは、何とも美味しそうだ。
しかし。
「……申し訳ありません。『七夜の白餐』のため、卵や乳製品を使ったものは口に出来なくて」
折角作っていただいたのに、と顔を曇らせる聖女。
だがボルダンは安心させるかのように微笑んでみせた。
「大丈夫です。卵や動物性の乳製品は一切使っておりません」
「え?」
聖女の目が大きく見開かれる。
「なので、安心してお召し上がりください」
「……ありがとうございます」
説明すれば聖女は安堵したように微笑んで、フォークを取った。
「いただきます」
挨拶をしてシフォンケーキを切りわけ、口へと運ぶ。瞬間、広がるのは柔らかな紅茶の香り。幾分強い上品な風味が、すうっ、と鼻に抜けていく。卵やバターを使っていないためコクは控えめだが、空気をたっぷりと含んだような軽やかさが際立ち、歯をたてればふんわりとほどけていくような食感が伝わった。しっとりとしているのに後味はさっぱり。舌の上に穏やかな甘みと紅茶の余韻を残し、柔らかく消えていった。
ティーパンチで少し冷えた口腔内を、優しく癒してくれるようなそれもまた心地良い。
「あまくてふわふわ~。生クリームおいしい!」
「しゅわっ、て消えちゃう。くもをたべてるみたい!」
子どもたちには甘さが足りないのではないか、という危惧は、生クリームを添えることで解決できたようだ。
生クリームを付けて口へと運べば、軽やかで滑らかな舌触り、増した甘さが優しく口腔内に広がって思わず頬が緩んでしまう。
「ボルダンおにいちゃん、ありがとう!」
「どういたしまして。あ、お皿まとめてくれてありがとう」
助かるよ、とボルダンに頭を撫でられたエレナは「えへへ」とくすぐったそうに笑ってくれた。
「ボルダンおにいちゃん、ぼくも!」
「おれだって!」
「うん、コップとスプーンもありがとう」
同じようにまとめて持ってきてくれたレオとセラフの頭も撫でれば、2人も嬉しそうにしてくれる。
「……」
その様子を見つめていた聖女は、淹れてくれたハーブティーを飲み干して立ち上がった。
「……で、精進料理の注文を受け付けたのか」
マルコがそうまとめてくれたのに、ボルダンは「そうなんです」と答えて少し眉を寄せた。
「申し訳ありません、勝手なことを」
「ううん、構わないよ。それで君のレパートリーが増えるのなら、こちらとしては有難いからね」
「ああ……聖女様もつまらない塗り絵みたいな食事じゃ味気ないだろうしな」
「ジャック先輩!」
けらけらと笑うジャックを、ボルダンは軽く睨んだ。マルコは「つまらない塗り絵?」と不思議そうな顔をしているが。
それはともかく。
「お出しするのは、聖女様お一人なのか?」
「はい。いつもお一人でお食事をされているそうなので」
「それならさ、フルコース仕立てにしたらどうだ?」
ジャックの提案に、ボルダンは「いいですね」と大きく頷いた。
「それなら特別なものになりそうです」
「だろ? それならまず前菜は……」
「今が旬の野菜中心がいいですよね。出汁は海藻と茸で取れば、独特のコクが出せますし」
「カロリーが少ない分、ボリュームを出しても良いかもしれないな」
話し合いはスムーズに進み、メモを取る手は止まることがなかった。
聖女……リゼルは月に一度の『七夜の白餐』が憂鬱で仕方が無かった。
体内の浄化、そして聖力の強化に必要だと分かってはいても、出される料理は彩りは必要ないとばかりに、色の数が余りにも少なく、味もまた似たりよったりで淡泊なものばかり。
(こんなんじゃ体力持たないわよ。……お母さんの料理が恋しい)
聖女じゃない、ただのリゼルだった頃は決して楽な生活とはいえなかったけれど、母の作る料理はどれも暖かく、そして美味しかった。
中でも大好きだったのは……とそこまで考えていたところで、扉がノックされた。
「どうぞ」
そう応えると、静かにドアが開いて「失礼いたします」と神官が礼をする。
「お食事の用意が整いました」
それに僅かながら心が浮き立つのを感じた。
孤児院の慰問の時に出会った料理人、ボルダン。子どもたちに作っていたフルーツポンチは、その器も果物の切り方一つとっても、食べる人のことを想い、よく考えられたものだった。そして、自分とシスター達に作ってくれたティーパンチも。そして紅茶のシフォンケーキは、少し冷えた口の中と身体を暖めるためのもの。
見た目も味も、そして心遣いも全てが暖かく感じられたのは久しぶりのことだった。だから失礼を承知で頼んだ。
『精進料理を作っていただけませんか?』と。
彼は少し驚いたように目を見開いたが、すぐに穏やかな笑みで頷いて『承知いたしました』と言ってくれた。この場所に留まる日数はあと4日。あの日から2日後という無茶なスケジュールとなってしまったことに罪悪感を感じつつも、楽しみという気持ちもあって。
先を行く神官が扉を開けてくれたのに礼を言って、用意されていたテーブルの前へと座る。
「失礼いたします」
声をかけてきたのは、あの時の料理人ボルダンだった。
胸に手を当てて礼儀正しくお辞儀をした彼は、穏やかな笑みのまま口を開く。
「本日は、精進料理のフルコースです」
「ふ、フルコース、ですか?」
「ええ。ですが格式めいたものではありません。肩の力を抜いて召し上がってください」
その言葉に、リゼルは内心で安堵の息を零して身体の力を抜いた。
「始めさせていただいてもよろしいでしょうか?」
「はい、お願いします」
そう答えると、ボルダンはキッチンワゴンからトレイに乗せた皿を持ち上げ、リゼルの前へ置いた。クローシュが取られたそこにあったのは。
「前菜の『焼き野菜のマリネ』です。シロミソのドレッシングと一緒にお召し上がりください」
紫色のナズ、赤と黄色のパプリカ、緑色のズッキーニ、そして橙色のキャロネが、ほんのり芳ばしい焼き目をつけて、彩りも鮮やかにバランス良く盛り付けられていた。
「いただきます」
挨拶をしてカトラリーを手に取り、ドレッシングを付けて口へと運ぶ。
火が入ることで水分が抜け、野菜の甘みがぎゅっと濃縮されているのを感じた。パプリカはさらに甘くなり、ズッキーニはじゅわりとジューシーに水分と旨味を滴らせ、ナズはとろりと柔らかくなって油を程良く吸い込み、丸みのある甘さを舌先に乗せてくれる。
シロミソのドレッシングが、まろやかな甘みとクリーミーな舌触りで口腔内を楽しませ、優しいコクが焼き野菜の香ばしさをふわりと包み込んでくれた。
シンプルながら温かみがあり、さっぱりとした味わいに自然と目が細められる。
「スープです。出汁は海藻と魔茸で取りました」
湯気がたったスープは底まで見える程透き通った琥珀色。中には細切りにされた野菜が入っている。
まずはスープだけを口へ。口当たりは軽く、じわりと広がるコクがあった。野菜や海藻、魔茸のすっきりとした旨味が口腔内を満たす。後味がすっと抜けていくのが心地良い。
キャロネはほんのり甘く、セレリは爽やかな青い香りが鼻に抜けた後、ほのかな苦みを感じた。ダイコは瑞々しく穏やかな甘み、そしてほんの少しの辛みが舌を刺す。食感はシャキシャキと軽やかで、噛む度にスープの旨味がじわりと沁みだしてくるのが堪らない。
「こちらメインです」
そう言って置かれた皿に、リゼルは目を見開いた。
「これ……ハンバーグですか?」
「はい、精進ハンバーグです」
ワンプレートで精進ハンバーグと炊き込みライスが盛り付けられている。炊き込みライスが山の形に綺麗に整えられているのが細やかな気遣いを感じた。
だけどそれ以上に。
「私、ハンバーグが大好きなんです」
頬が緩むままにそう言うと、ボルダンは「喜んでいただけて嬉しいです」と微笑んでくれた。
そして改めてカトラリーを取り、一口サイズに切り分ける。口へ運んだ瞬間、柔らかで軽い食感がふわりと広がった。トーフの柔らかさがベースになっているそれは、肉のような重さはないのに不思議と満足感がある。
そしてレンコンのシャキシャキとした歯応えと共にこりこりとした魔茸の旨味がじんわりと染み出て来て、出汁のような深みが口腔内を満たした。
油っぽいのが控えめかつほのかな甘さの優しい味わいに、なんだか懐かしいものを感じてしまう。
(お母さんの作ってくれたハンバーグは、タマニアが大き目に切ってあったっけ。少し焦げてたところもあったけど、それが香ばしくて美味しかったな)
そんなことを思い出す程に。
茶色が優しい炊き込みライスは、魔茸の深く甘い香りが立ち昇り、海藻出汁のやわらかな旨味が静かにそれをまとめあげていた
ライスの粒はしっとりとほどけ、噛む程に出汁の優しい塩気とほのかな甘みが広がっていく。海藻のまろやかなコクと魔茸の凝縮された旨味が重なり、じんわりとした余韻を感じさせた。
混ぜ込まれたアブラゲは出汁をたっぷりと吸っていて、じゅわりと旨味が染み出して舌を刺激する。魔茸の柔らかな弾力は、食感に変化をもたらして飽きがこない。
控えめで上品な味わいは、もう一口、と自然と求めてしまう程だった。
付け合わせはカライモのグリル。ナイフを入れると、カリッとした音を耳が拾う。
口へ運ぶとカライモの優しい甘さが広がり、外はカリカリと香ばしく、中はほくほくと柔らかかった。焼き目の香ばしさが鼻を擽るのも心地良い。
ここまでくれば相当にお腹がいっぱいになった。リゼルは余韻に浸りつつ、少し大きくなったお腹を摩る。
すると。
「こちら最後のデザートです。豆乳のミルクプリンです」
透明な器に入った白く滑らかなそれを見た途端、お腹に空きができたような気がした。我ながらゲンキンだな、とリゼルは内心で苦笑した。
スプーンで掬い取れば、ぷるん、と揺れる。それを楽しみながら口へと運べば、つるん、と滑らかな舌触りが楽しくて思わず目が細められた。そして豆乳特有の香ばしさがふわりと広がり、上品な甘さが豆乳の自然な甘さをより引き立てている。付け合わせの小さく切られたレッドベリーと一緒に食べると、瑞々しい甘酸っぱさが先に広がり、豆乳のコクと柔らかな甘みがそれを包み込むような味わいがした。プリンの滑らかな食感と、レッドべりのぷちぷちとした食感の対比もまた楽しい。
最後に小さなビスケットが添えられたハーブティーを口にし、ほう、と息をつく。ビスケットは小麦粉の香ばしさと砂糖の味わいが強く感じられるシンプルなもので、このハーブティーにもよく合う。
「ごちそうさまでした。とてもおいし……いえ、美味でした。ありがとうございます」
お礼を言うと、ボルダンは「光栄です」と帽子を取って礼をしてくれた。
「本日のメニューと他の精進料理のメニューのレシピを、神殿の料理担当の方にお渡ししておきました。余計なお節介かもしれませんが、聖女様のお食事の事情が少しでも明るくなれば、と思いましたので……」
「お節介などとんでもありません!」
大声を出してしまったことにリゼルは顔を真っ赤にして、慌てて両手で口を押えた。
「す、すみません……お、お気遣いに感謝いたします」
震える声でそう言えば、ボルダンは気にした風もなく「こちらこそ感謝いたします」と礼をする。
少しの沈黙が落ちた。
リゼルは香り高いままのハーブティーを一口飲み、カップを静かに置いた。
「よく、言われてしまうんです。聖女らしくないって」
きゅ、と膝の上で拳を作る。
「先代の聖女様……ノエリア様には凄く良くしてもらって、色々教えてもらったんです。だけど」
声が震えた。
「比べられるのが、その、ちょっと辛いなって思うことがあって」
そこまで話して、リゼルはハッと我に返る。
「す、すみません、こんなお話してしまって」
目を伏せた彼女に、ボルダンは口を開いた。
「いえ、そういうことは口に出さないと発散できない時がありますよね。私もそういう時はありますから」
それに、とさらに言葉を続ける。
「ノエリア様は『聖女とはこうあるべきだ』ということは仰られましたか?」
リゼルは少しだけ目を見開いて、そして首を横に振った。
「いえ、そのようなことは一言も仰いませんでした。ただ、『この力を大切に、そして正しく使いなさい』と。それは繰り返し仰っていました」
ボルダンは大きく頷いて微笑む。
「それなら答えはもう出ています。その教えを忘れず、それを実行している時点で、あなたはもう立派な聖女と呼ぶにふさわしい方ですよ」
ひゅ、と息を呑む音が響いた。
「わ、私、ずっと自信がなくて、ノエリア様のようにならないといけないと思っていて」
「ノエリア様は確かに立派なお方です。ですが、貴方は貴方でしょう? 他人と比べて自分を貶めることは、やってはいけないことだと私は思います。少なくとも」
ボルダンはリゼルを真っすぐに見つめた。
「孤児院で子どもたちと遊んでいた貴方の姿は、私にはとても眩しく感じられました」
そして子どもたちに囲まれている姿も、と付け加えれば、若草色の瞳は大きく見開かれた。そして細められ、その唇も柔らかく綻ぶ。
「ありがとうございます。ボルダン様」
「いえ……。それから、『様』付けは少しくすぐったく思うので」
「分かりました。では、私のことも、『リゼル』と呼んでください」
以前神殿の時に見た余所行きのものではない、心からの笑顔だと分かるそれに、ボルダンもまた頬を緩ませた。
「『七夜の白餐』は、この地に滞在する間は続きますか?」
「いえ、最終日の前日に終わります」
リゼルの答えに、ボルダンはこう提案する。
「もしお時間がありましたら、ギルド食堂にお越しください。とっておきのメニューをご用意いたしますね」
リゼルの顔が、ぱあっと明るくなった。
「ありがとうございます! 楽しみにしていますね」
これは来てくれそうだな、と思いつつ、ボルダンはそのメニューのレシピを思い起こしていた。
そして。
「いらっしゃいませ! 3名様ですね、こちらのお席へどうぞ!」
店員が案内した3人は、フードで顔を隠していた。明らかに怪しいが、この冒険者ギルドではもっと奇抜な格好をしている者もいるので、目立つことはない。
(ここが冒険者ギルドの食堂……)
その中の一人、リゼルはそっと辺りを伺った。がやがやと騒がしいが、決して不快ではない。それに、この地の平和が守られているのは、冒険者たちの活躍が一旦を担っているといっても過言ではない。それをリゼルはよく分かっていた。
(皆さん、あんなに笑顔で……それにとても良い匂いがする)
鳴りそうになるお腹を手で押さえて、席へと座る。隣と真向いに座っている2人は護衛だ。フードを被ったままのため、その表情はリゼルの位置からは確認できない。
「今日のオススメはハンバーガーと、カライモフライ、コラニックのセットですが、いかがですか?」
それを聞いた瞬間、ごくん、と喉が鳴った。
「……そ、それで、お願いします」
それを隠して、リゼルは震えそうになる声を叱咤して答えた。
店員は気付くことなく「かしこまりました!」と笑顔で伝票に書き込んでいる。護衛の二人も「同じものを」と短く答えた。表情は分からないが、少し落ち着かない様子なのが分かる。
少々お待ちください、と店員が下がった後、リゼルは使い込まれた古いテーブルを何とはなしに見つめる。
(無理なスケジュール調整をしてしまって申し訳なかったわ。でも、あの方の……ボルダンさんの料理をもう一度食べたい!)
それが我慢していた肉料理なら尚更だ。
先程の店員からのオススメメニューも、ボルダンが考えてくれたに違いない。
(小さい頃は野菜が苦手で、お母さんがハンバーガーにしてくたこともあったっけ)
そんなことを思い出していると、「お待たせしました!」という声がかけられた。
目の前に置かれた木のプレートの上には、紙に包まれたハンバーガー、カライモフライ。コラニックは氷と一緒に透明なグラスに入れられており、表面についた水滴から相当に冷えていることが分かった。
美味しそう、いや、絶対に美味しいに決まってる。
カトラリーが添えられていたけれど、はしたないと分かっているけれど。
両手で持って、かぶり付きたい!
「いただきます!」
手を合わせて、紙越しにハンバーガーを掴む。具材が飛び出ないように少しだけ潰してから、大きな口を開けて。
「……っ!」
まず感じたのは、ふわふわのパン。しみ込んだ酸味のあるソースは、ほのかに甘く、塩胡椒の加減もいい。
そしてじゅわり、と口の中いっぱいに肉汁が溢れた。久々に感じる肉の旨味に、目が細められるのが抑えられないさらにたっぷりのレタシアがしゃきしゃきと音をたて、スライスされたサングラの酸味が肉の旨味と混じり合った。瑞々しい野菜たちは、口の中をさっぱりとしてくれる。
口の端についたソースを、ぺろ、と舌で舐めつつ、今度はカライモフライを手に取った。かりっ、とした食感が歯に伝わり、ほくほくのカライモが舌の上へと優しく降りた。振りかけられた塩も絶妙で、もう一本、もう一本と食べる手が止められない。
そしてコラニック。ぐいっ、とグラスを傾ければ、ぱちぱちと炭酸が軽やかに弾けた。甘やかなスパイスのような味が広がり、爽快な刺激が喉を通り抜けていく。
「はあっ……!」
思わず声が零れる程に。
護衛の様子を伺うと、2人とも夢中になって食べているようだ。ここに来るのに難色を示していたのに、とリゼルはくすりと笑う。
やがてあっという間に全てを食べ終え、べたべたになった手と口元をナプキンで拭いてから店員を呼ぶ。
「すみません。ボルダンさんを呼んでいただけませんか?」
そう言うと、店員は快く「少々お待ちくださいね」と頷いてくれた。
その背を見送り待つことしばし。
「お待たせしました」
ボルダンが静かに歩み寄り、軽く礼をする。
それに、とくん、と鳴る胸を押さえながら、リゼルは立ち上がった。
「ボルダンさん、ありがとうございます。とても美味しかったです」
フードを外してみせると、ボルダンは目を見開いた後、嬉しそうに微笑んでくれた。
「来ていただけて嬉しいです。こちらこそ、ありがとうございます」
その様子に、ざわざわと周りが騒めいた。
「おい、あれって聖女様だろ?」
「マジで? こんなとこに来るとか、え、ボルダンにお礼言ってるってことは、また何か依頼受けたとか?」
「うわー、すげえ。拝んどこ。何かご利益ありそうだし」
そんな台詞が耳に入って来て、互いに顔を見合わせて困ったように笑いあう。
そしてリゼルは静かに口を開いた。
「急な依頼にも関わらず、美味しい食事を作っていただいたこと、心から感謝いたします」
「勿体ないお言葉です。ですが、アイデアを出したのは私一人ではありません。ジャック先輩と店主のマルコさんの助けがあってこそです」
その後ろでその2人が密かに感動していることは、向かい側にいたリゼルたちだけが知ることとなった。
そしてリゼルは胸の前で両手を組み合わせる。
「今、あなたに、そしてこの食堂に揺るぎなき加護を刻みます」
ざわり、と一瞬だけ騒めきが起きた。
聖女の加護は非常に貴重なもの。それこそ王族の儀式や有事の際にしか使われることのないものだ。
ボルダンもそれをよく知っていたため、止めようとしたが。
ふわり、とリゼルの身体に柔らかな光が宿った。
「その歩みに、正しき答えがありますように」
光が一瞬輝きを増したかと思うと、ふわり、と四方へと広がり、食堂全体を包み込んだ。そして静かに消えたかと思うと、きらきらと光の粒子が降り注ぐ。
「すごい、綺麗……!」
「これが聖女の祝福……なんか感動!」
冒険者から歓声があがった。
ボルダンは胸に手をあて、礼をしてみせる。
「感謝いたします。この祝福を無駄にしないよう、精進いたします」
それにリゼルは微笑んで、口を開いた。
「私は本日でこの地を後にいたします。貴方の料理、そして言葉は私を救ってくれました」
リゼルの手が、ボルダンの手を包み込んだ。
「感謝してもしきれません。本当に、本当にありがとうございます」
ボルダンはその柔らかな手を握り返し、若草色の目をまっすぐに見つめる。
「またこの地に来た際は、是非こちらにもお立ち寄りください。お待ちしていますね」
その言葉にリゼルの頬が赤くなった。
「……はい!」
どきどきと鳴る胸を押さえながら何とかそれだけを言うと、ボルダンは大きく頷いてくれた。
その一方で。
(ンだよ、ボルダンのヤツ。アタシにも言ったこと、聖女にも言いやがって)
(もう、聖女様までボルダンのこと……またライバルが増えたじゃない!)
(加護を与えてくれたのは感謝するけど、それとこれとは別よ!)
リーナ、そしてアリスとアリエが面白くなさそうな目で睨んでいることには、露程も気付かずに。
(終)




