第8話 セシリア姉さまにも褒めてもらったのですよ
昨日は騎士達との数多くの立ち合いをこなしたシンだが、翌朝には身体からすっかり疲れも取れていた。
昨晩熱いシャワーを浴びながら、筋肉をよく揉みほぐしたのと早めに就寝して身体を休めたのが良かったのだろう。
「ん~、明日の朝出発だけど、今日はどうすっかな」
ベッドから起きて、入念に柔軟を行いながらシンは今日の予定を考える。
騎士達に負け越していることにいくらか悔しさは感じるが、今日は訓練所に行くつもりはない。
おそらく騎士達もさすがに今日は身体を休めているはずだ。
いや、ひょっとすると今日も訓練所で身体を酷使している可能性があのグラス達ならありうるが、それにわざわざ付き合って、明日からの魔物討伐に疲れを残す気はシンにはまったくなかった。
「は~い、は~い、は~いなのです!」
シンの枕付近で寝ていたはずなのに、シンが目を覚ました時にはエンジェの尻尾を抱き枕代わりにするという離れ業を見せていた寝ぼけ眼のジルがシンの独り言に反応し、大きく右手を挙げた。
シンにはジルが何を主張するのか長い付き合いとジルのわかりやすい性格からして予想できる。
「わかってるって。食べ歩きだろ。必要なもんの買い出しが済んだら、お昼頃から色んなところ回ってみっか」
「シンさん、さすがはよくわかっているのです。ねえ、エンジェ」
エンジェも機嫌よく尻尾を振ってジルに答えると、左腕で尻尾に抱きついていたジルはブンブンと振り回される。
「エンジェ~、もっとブンブン振ってもいいのですよ」
起き抜けにエンジェの尻尾で振り回されているが、ジルにとっては楽しいアトラクションのようなものに過ぎない。
エンジェの尻尾にしばらく掴まりながら、ジルは朝からテンション高くキャッキャと騒ぎながらシンの柔軟運動が終わるのを待った。
朝食を摂り終えたシン達はトラインが勧めた店やその周辺の市場を見て回る。
薬の補充はすでにボルディアナで済んでいるし、騎士団の方からも支給される野営の装備もあるはずだ。
それにシンが今回の魔物討伐に必要だと思ったものはある程度自分で用意してきているので半分は冷やかしとも言える。
とは言え、シンが用意していた野営セットの中にはだいぶ古くなってきているものがある。
シンはボルディアナでの値段帯とグランズールでの値段帯を比べて、グランズールで購入したほうがいいと思うものだけ買い足していく。
いらなくなったものは同じボルディアナから魔物討伐に参加している他の冒険者で準備不足な者にでも売りつけよう。
いや、感謝してもらえるなら場合によっては無料で提供してもいい。
シンはそう考えていた。
それに加えて、シンは食糧の買い足しを行う。
肉類はシンの魔力袋の中に色々と入っているが、穀物や野菜などはあまり入っていない。
魔物討伐で食糧が提供されると言っても、シン一人分のものだ。
身体が資本である冒険者や騎士たちに提供される食事である以上、それなりにボリュームはあるはずだが、それでもジルと二人で食べるには足らなそうだ。
エンジェであれば、魔物討伐中に狩った獲物に加えて、シンの保有する肉があれば問題ないだろうが、シンとジルはそういうわけにもいかない。
いや、ジルの場合も肉だけを与えていても特に問題にはならないだろうが、ジルはシンが食べているのと同じものを食べたがる傾向にある。
そのため、シンと同じものを普段からジルは食べている。
ジルに言わせるとお菓子は別腹らしく、一人でもお小遣いが余っていれば、買い歩きに勤しんでいるが。
「一通り必要な物揃ったし、ジル、昼飯は何がいい?」
買い物を終えたシンがジルに声をかけるが、ジルから返事がない。
「ジル?」
ジルから返事がないことを不審に思ったシンが周囲を見回すと、ジルはエンジェと二人で露店の前で立ち止まり、じーっと見つめていた。
露店では幾つもの楽器が売られている。
商品の中には弾く人のいなさそうな小さな子ども向け、いや人形サイズの楽器まで売られていた。
「うむむむむ、これはまさにジルのために作られたようなジャストフィットなサイズなのです。なかなか丁寧な作りなのです」
ジルが釘付けになっているのは人形サイズの竪琴のようだ。
エンジェはエンジェで楽器というものが物珍しいのだろう。
露天商が客の気を引くために演奏しているのを興味深そうに眺めている。
シンがジル達の様子に気づいたのは演奏の終わりの方だったため、その演奏もすぐに終わりを迎えた。
「おう、兄ちゃん。この子はあんたの連れかい?」
演奏を終え、エンジェに気づいて露天商の男は指をさす。
「すいません、商売の邪魔をしました」
「いや、いいって。人間じゃなくても、良い音楽は良い音楽ってことさ。こんな大猫?子虎?いや、なんでもかまわねえが、そいつに俺の演奏が気に入ってもらえたなら悪い気はしないぜ」
露店商の男は気の良い人物らしく、エンジェが演奏を聴いていたのを逆に喜んでいるようだ。
「兄ちゃんも良かったら、見ていってくんな。冒険者でも曲の一つくらい演奏できた方が女にもモテるぜ。俺は女にモテたためしはねえけどな、ナハハハ、ハア~」
「自分で言っておいて、自分で落ち込むなよ」
「ああ、モテて~。モテてえから楽器の作成だけじゃなく、弾き語りも始めたってのに一向にモテやしねえ。ああ、ちくしょう」
シンが聞いてもいないのに露天商の男は一人語りを始めた。
だが、シンにとってはこの男の身の上話などどうでもいいことだ。
(ジル、さっさとこの場からおさらばするぞ。このままここにいると長話になりそうな気配だ)
「シンさん、ちょっと待ってほしいのです」
店から去ろうというシンの提案をジルは竪琴をじーっと見ながら、制止する。
よほど、あの竪琴が気に入ったのだろう。
あれだけじっくりと食べ物以外をジルが眺めているのも珍しい。
(どうせ、あの小さな竪琴を買って欲しいんだろ?)
「おお、エスパーなのです。シンさんってば、エスパーなのです。あの、シンさん……」
ジルの思惑を言い当てたシンにジルは上目づかいでおねだりをはじめる。
(却下。夜中にお前の下手な演奏でも聞かされちゃ眠れないだろうが)
「ぶう~、ジルは上手なのですよ。お歌はともかく、楽器の方はセシリア姉さまからも褒めてもらったのです。だから、買って、買ってなのです」
ジルにダダ甘のセシリアに褒めてもらえる程度の演奏力はどの程度のものか。
セシリアであれば、ジルがカスタネットをカチャカチャ鳴らすだけでも鼻血を垂らしながら、拍手を送りそうなものだ。
いや、真に注目すべきはそのセシリアにさえ褒めてもらえないジルの天性の音痴ぶりか。
シンはジルのねだる楽器の値札を見る。
玩具と考えるなら高価なものと言えるが、シンからすれば大した値段ではない。
ジルの玩具代わりに買ってやるのはいいが、無条件で買い与えるのではシンにとってメリットはない。
そこでシンはいくつかの条件をジルに提示した。
(……魔物討伐最中はできるだけ間食を控える、我儘言わない。それと夜中はもちろん、人目のあるところで勝手に演奏しない。今言ったことがちゃんと守れるなら買ってやる)
騎士団の魔物討伐の期間は長い。
いちいちジルの我儘に付き合えば、シンとしても疲労が溜まることになりかねない。
これ一つを買い与えることでジルの我儘が軽減されるなら、シンにとっては安い買い物と言えるだろう。
「えっ?いいのですか?」
(ちゃんと言ったこと守れよ?)
「は~い。シンさん、大好きなのですよ!エンジェ、やったですよ!」
ジルは飛び跳ね、エンジェの前足に抱きつき、喜びを露わにした。
「店主、ちょっと」
「なんだい、兄ちゃん。俺がモテる方法でも思いついてくれたのかい?」
シンがいまだに一人でペチャクチャと自分の身の上話を語る露天商の男に声をかけたところ、男は商売そっちのけでシンに何か期待するかのように尋ねた。
「いや、真面目に商売しろよ」
「かてえこと言うなよ。それに俺は堅い男だぞ。女に使ったことは数えるほどだけどな」
「んな下らねえことばっか言ってるからモテねえんだよ」
核心を突かれた露天商の男はそれだと言わんばかりにシンを指さす。
「客を指さすな!」
「あっ、客。兄ちゃん、客か。そうか、兄ちゃんもモテてえんだな」
「いい加減、その話題から離れろよ。……そこの小さいのをくれ」
シンはジルが欲しがったミニサイズの竪琴を指さす。
「兄ちゃん、これは素人には弾けねえぞ。俺も以前洒落でどこまで小さな楽器を作れるか挑戦してみたけど、自分で作っておいてなんだが、俺にも小さすぎて弾きづらい。音は悪くねえんだけどな。まあ、部屋に飾るインテリアとかには良いかもしれねえ」
「これでいいんだよ」
「まあ、俺も商売だ。兄ちゃんが買ってくれるなら詮索しねえけど」
シンは露天商の男に代金を支払い、ミニサイズの竪琴を魔力袋の中にしまい込む。
「あっ、それはジルが持っとくのです」
(こんなところ真昼間に何もないところから音がしたら、ホラーだぞ。帰るまで我慢してろ)
「むう、わかったのです。ジルは物わかりがいいので我慢できるのです」
その後、シンはジル達を連れて、何軒かの屋台を巡った。
その中でシン達が気に入ったのは香草を餌に混ぜて飼育した豚の肉でシャキシャキの秋野菜を巻いたものだ。
この豚の肉は基本的に富裕層のエリアの店や城向けに出荷されているものらしいが、販路拡大に向けて、庶民向けの屋台でも伝手のあるものは仕入れることができたらしい。
「ゲフー、お腹もいっぱいなのでそろそろ宿に帰るのです」
まだ夕暮れまでだいぶ時間があるのに、ジルは早めに宿に戻ることを希望する。
よほど買ってもらった竪琴で遊びたいようだ。
シンが宿の部屋に戻って、ジルに竪琴を手渡すとジルは自分の身体ほどある竪琴をギューッと抱きしめる。
「これはもうジルのものなのです」
「誰も取らねえよ。それで今から弾くのか?遊ぶのは夕食までにしろよ」
「うーん、ちょっと弾くのは久しぶりなのでこっそり練習してからシンさんには披露してあげるのです。だから、シンさんはこれから夕飯までお眠りしててください」
「こっそりしてねえだろ。そんなすぐに寝ろって言われても急に昼寝できるかって言いたいところだが、俺も腹が膨れてるから少しくらい昼寝できそうだ」
「それなら早く、早く寝るのですよ」
ジルに急かされて、シンはベッドで横たわり、目を瞑る。
「寝たですか?」
「まだだ」
シンが目を瞑って、一分も経たないうちにジルはシンに尋ねる。
「寝たのですか?」
「まだだ」
シンがまだだと答えても、それから数分も経たないうちに再度ジルはシンに尋ねる。
「早く寝てください」
「それなら話しかけるな」
そんなやり取りを何度も繰り返したが、それでも少しずつ少しずつシンは眠りへと誘われる。
シンがウトウトとしていく中、ジルは竪琴をポロン、ポロンと弾き始める。
セシリアに褒めてもらったという腕前はそれなりに確かなもののようだ。
優しい音色に包み込まれて、シンは寝息を立てはじめた。
ジルの意外な才能に感心したかのように、エンジェもジルの傍でジルの演奏に聞き入っていたが、エンジェもシンと同じくいつのまにやらウトウトと居眠りを始めた。
翌朝、シン達は5時過ぎに宿を引き払い、騎士団の訓練場の受付に向かう。
一昨日受付で受け取った魔物討伐に参加することを証明する札を見せたところ、3の城壁、4の城壁を通る際に優先して通ることができた。
シンが騎士団の訓練場に到着した時には、すでに多くの冒険者が受付前に到着していた。
中にはシンが顔を知っている冒険者たちも相当数いる。
前で案内役をしている騎士は冒険者を7級、6級、5級以上の3つのグループに分けて、一列に並ばせていた。
騎士団の魔物討伐に参加している冒険者で4級の者は両手で数えられる程度であり、5級以上のグループの人数は7級や6級のグループと比べても明らかに少ない。
シンは5級以上の冒険者の列に並ぶ。
列はゆっくりと進み、ようやくシンは手に木箱を持った騎士の前まで進めた。
シンが札と冒険者ギルドのカードを提示すると、騎士はシンに指示を出す。
「朝からご苦労。この中から紙を一枚引きなさい」
「紙を?」
「第1騎士団から第4騎士団まであるからどこに配属されるか選ぶ籤を引いてもらうわけだ」
階級ごとに分けて、籤で選ばせ、人数を揃えれば、騎士団ごとに配属される冒険者の質の偏りも少ない。
もちろん、冒険者でも複数人のパーティの場合、パーティとして籤を一つ引かせ、同じ騎士団に配属されるようにしているため、まったく同じ人数になるわけではないが。
数多くいる冒険者の適性や能力を考え、いちいち配属する団を騎士団側が選ぶのは相当手間がかかるため、だいぶ以前からこういった形で落ち着いたらしい。
(確かグラスさん、ミーシャさんは第4騎士団だったな)
知り合いがいるところに配属された方がやはり何かと気が楽だし、融通もきかせてもらえそうだ。
グラスが無茶ぶりをしてきても、ミーシャなら止めてくれそうだし、ミーシャとは一昨日訓練場で会ったのにあまり会話もできなかったというのもある。
ただ、シンとしてはこれまで面識のない騎士の知己を増やすということも一つの参加する上での目的にしていたため、第4騎士団に強いこだわりはなかった。
(どこでもいいけど、できれば第4騎士団かな)
シンは木箱の中に手を入れ、籤を選ぶ。
何枚かの籤を指先で触り、これだと思う1枚を勢いよく引き抜く。
二つ折りにされた籤を開くと中から出てきた数字は1だった。
「第1騎士団だな。しっかりと励みなさい」
「ええ、頑張りたいと思います」
シンは内心ではどこか残念に思いながらも、それを顔に出すことなく、騎士に一礼すると訓練場へと足を運ぶ。
すでに騎士たちは団ごとに分かれ、一糸乱れぬ整列を見せている。
籤を引いた冒険者たちはその後に並ぶ。
騎士達とは違い、知り合いの近くや同じパーティ同士で集まっているため、整列と呼べるものではないが。
騎士達が静かに整列しているため、冒険者たちも大きな声で話をする者はいないが、それでもボソボソとした話し声が聞こえる。
シンは腕を組み、黙った状態で待機していると後ろからシンに声をかける者達がいた。
「シンの兄貴じゃないですか。兄貴も第1騎士団なんすね」
トマス、アクバ、オリバ。
以前、シンがグリズリーウルフに襲われているところを助けた3人組の若い冒険者だ。
春にはまだ8級冒険者に過ぎなかった彼らだが、夏ごろに階級を一つ上げ、今回の騎士団の魔物討伐に参加しているのだ。
「お前らか。あんまり功に焦って、危ない真似すんなよ」
当初はあまり功徳ポイントの足しにならなそうな3人だと思っていたが、この3人は意外と律儀で、シンに会うたびに感謝してくれているため、シンも先輩冒険者として時折この3人の面倒を見ていた。
口減らしで奴隷に売られる前に村から逃げてきた3人だが、それでも故郷の村にいくらか愛着が残っているようで、騎士になれたら一度は故郷に錦を飾りたいらしく、以前から魔物討伐に意欲を見せていたため、一応シンは3人に釘を刺す。
「わかってますよ。それでなんか、今から白銀の翁の挨拶があるらしいですね」
「誰だよ、それ」
「えっ!?兄貴、知らないんですか!この騎士団のランスヴェルグ総団長のことっす」
白銀の翁という異名は知らないが、ランスヴェルグの名前はシンも知っている。
ランスヴェルグは三十年ほど前からこのシルトバニア辺境伯領の騎士団で中心的な役割を担っていた老騎士だ。
それ以前はラドソル王国の近衛騎士団で名を馳せた人物らしいが、職を辞して、この辺境に移ってきた。
二十数年前、隣国との大きな戦争になった際にシルトバニア辺境伯領からも騎士団と常備軍が派兵され、それを率いたのがこのランスヴェルグだ。
その戦争で活躍を見せたランスヴェルグは救国の騎士と称えられ、国から再び近衛騎士団に戻るように求められたが、それを断り、今もなおシルトバニア辺境伯領騎士団の総団長を務めている。
シルトバニア辺境伯領に住む今の若者の多くは子どもの頃、寝物語にこのランスヴェルグの活躍を聞いて育った。
トマスが言うには白銀の翁というのは数年前からランスヴェルグのことを表す異名らしい。
銀髪に少し白髪が混ざった老騎士にふさわしい異名かもしれない。
(そんな子どもの寝物語になって、称えられるような人物なら功徳ポイントもガッポリなんだろうな。マジで羨ましいな)
シンからすれば嫉ましいと言っても過言ではない人物だ。
「冒険者諸君、静粛に!これから総団長が挨拶をされる」
年配の騎士がボソボソと話を続けていた冒険者に向かって、注意を行う。
騎士達の整列する先に備えられた壇上に銀髪を短く刈り揃えた老騎士がゆっくりと上がった。