第6話 冤罪です、冤罪なのですよ
いきなり木剣を投げつけ、さらにはシン達に立ち合えと言い出したグラスの無茶ぶりにシンは当然ながら抗議の声を上げた。
「グラスさん、いきなりなんですか。俺がどうして立ち合いなんてしなければならないんですか?ギルガードさんのことは俺には関係ないですよ。俺は何とも思っちゃいないから、後のことはグラスさんとギルガードさんで解決してください」
シンとしても理由まではわからなくてもギルガードがシンをグラスに会わせまいとしたのはわかる。
だからと言って、シンはギルガードに対して憤りを感じない。
むしろグラスという名の厄介事から遠ざけてくれようとしたと軽く感謝の気持ちさえある。
シンにはわざわざギルガードと立ち合う理由はないのだ。
「まあ、そんなことを言うな。木剣での立ち合いをしろとは言っても、命の奪い合いをしろと言ってない。魔物討伐前の準備運動とでも思えばいい」
「準備運動くらい一人でできますし、立ち合いをする理由がありません。それに命の奪い合いなんてしないのが当たり前だろ!」
「シンには俺に借りがあったはずだ。俺がわざわざ骨を折って、辺境伯様に頼み事をしたことじゃないぞ?その頼みごとをするために俺が命令違反で2か月近くも一人で臭い便所掃除をさせられることになったんだから、少しくらい俺の頼みを聞いてくれてもいいはずだ」
グラスはシンの抗議を軽くあしらいつつ、便所掃除中の嫌な臭いでも思い出したのか、鼻を軽く押さえた。
「それも今回の魔物討伐参加でチャラでしょ。グラスさんに与えられた罰則だけを切り離して話をしないでくださいよ」
「細かい事をごちゃごちゃと……仕方あるまい。それならシンには責任を取ってもらう他あるまい」
「責任?俺に一体何の責任があるんだって言うんだよ?」
「ふっふっふ、忘れたとは言わさんぞ。俺ら第4騎士団の数少ない女性騎士を傷物にした責任を取ってもらおうか」
「してねえって」
「しらばっくれても無駄なのである。俺との立ち合いの後、酔ったミーシャを部屋にお持ち帰りしたことはすでに他の連中からしっかり聞いているのだ。この俺が年の離れた妹のように、娘のように思っているミーシャをよくも傷物にしてくれたな」
グラスは怒った口調を作りながらも、頬はにやけている。
ミーシャとシンの間に何もなかったことを理解していながら、シンをからかい、ミーシャを弄り、そして自分の目的を遂げるためにグラス本人ですら相当理不尽だと思う難癖をつけているのだから、笑みが抑えきれないのは仕方がない。
ジルはシンがジルの居眠りしている間にこっそり卒業を遂げていたのかと驚き、一瞬クワッと目を見開いたが、度胸なしのシンにそんなことができるはずがないと考えを改めるとシンの後ろで「冤罪です、冤罪なのですよ」とグラスに抗議をしている。
「あれは、単に酔ったミーシャさんを介抱するためだし、俺の部屋じゃ……」
「つべこべうるさい。シン、お前の選択肢は2つだ。一つはギルガードと木剣で立ち合う。もう一つは男としての責任を取ってミーシャと式を挙げるのだ。安心しろ。俺がミーシャの上司として仲人を務めてやる」
「あんたって人は!!」
シンは頭が痛くなってきた。
グラスの無茶苦茶な言い分だけではなく、他の騎士たちもグラスとシンのやり取りを面白げに眺めながら口々に好き勝手を言い出していることも一因だ。
「よし、俺はギルガードに銀貨1枚な」
「俺は大穴狙いであのシンとか言う小僧に銀貨1枚」
「大穴じゃないだろ。グラスさんが目をかけてんだ。かなりできるはずだ。だから俺もシンとやらに銀貨1枚」
「おいおい、ギルガードは我らの仲間だぞ。もっと期待してやれよ。ってことでギルガードに銀貨2枚な」
「あいつが我が隊の貴重な女性騎士に手を出したふてえ輩か。おい、ギルガード。遠慮することはない。その木剣で骨の一本や二本やっちまえ」
「いやいや、ミーシャがあの男を酔わせて部屋へと連れ込んだって話じゃなかったのか?」
賭け事を始める者や揉め事を煽り立てる者。
シンから見て、騎士の品格を感じさせる者はこの場にはいない。
騎士団の騎士たちの多くはこのような性格ではない。
もちろん、第4騎士団の大半の騎士たちもそうだ。
だが、ここにいるのは幸か不幸かいずれもグラスにそれなりに目をかけられ、物理的にも可愛がられている騎士達だ。
上司に似たのか、真っ当な騎士と言うよりも不良騎士や冒険者に近いノリを持った者達がこの訓練場に集っていた。
「シンよ、ギルガードはお前と同じくガルダから剣の指導を受けた者、言うなれば兄弟子だ。さあ、兄弟子の胸を借りて存分に戦うがいい」
「そっか、ギルガードさんもガルダさんから指導を……って、そんなことで言いくるめられないぞ。せめて、俺にもなんかメリットを」
「では、勝者は俺と真剣で勝負をする権利を」
「あんたにとってのメリットじゃねえよ。せめて、ギルガードさんと立ち合うなら、今年いっぱいグラスさんは俺と立ち合うとか言わねえって約束してくれよ」
「……仕方あるまい。今年だけだぞ」
シンにとって、一番厄介なのはグラスに奥の手を使ってグラスと戦えと言われることだ。
自分よりもはるかに格上とのやりあうことはシンにとっては良い勉強になるが、だからと言ってそのためだけに大量の功徳ポイントを行使するなどシンからしてみれば、単なる暴挙に過ぎない。
シンはグラスがおかしな難癖をつけ出した段階でギルガードとの立ち合いはある意味で避けられないものと判断し、何とかグラスとやりあわずに済むように話を持っていくつもりだった。
そのため、グラスが不服そうではあるもののあっさり納得してくれたことにシンは内心ほくそ笑んだ。
そんなシンに対し、グラスは他の者には聞こえないように声を潜め、一つだけ立ち合いでの条件を出した。
「シン、この立ち合いでは俺に見せた奥の手は使うな」
シンはそのグラスの条件がなぜだからわからないが、元より単なる訓練、立ち合いで功徳ポイントを消費する気など最初からないため、頷いて了承の意思を示した。
話についていけないのはギルガードだ。
グラスに何らかの咎めを受けることになるのは覚悟していたが、まさかシンとの立ち合いを望まれるとは予想していなかった。
だが、グラスに目をかけられているシンに興味がなかったわけではなく、話が纏まったのであれば、シンと立ち合うことも吝かではない。
それでも冒険者出身であるにもかかわらず、ここにいる誰よりも騎士らしい生真面目さを持つギルガードはシンに一言謝った。
「すまない。俺のせいで迷惑をかける」
「いえいえ、結果的には俺にとってもいい話になりましたから気にせずに」
「そうか。だが、木剣での立ち合いとは言え、俺は手抜きができない。お前も心してかかれ」
ギルガードは木剣を持っていない左手を自分の左胸に当てると右ひざを地につかせ、深々と頭を垂れた。
この国における騎士の決闘時の作法だ。
相手に対しては決闘によりたとえ心臓を抉られ、首を刎ねられようと恨まないと意思表示を表す。
また決闘の立会人に対しては、自分が不十分な技量で決闘を穢したと判断したなら、勝負に負けて生き延びた我が首を刎ねよという意思表示でもある。
シンもこの決闘時の作法は知っていたため、グラスとの交渉で上手くやれたと思い、若干緩んでいた気を引き締めなおし、ギルガードに返礼をした。
「第4騎士団が騎士、ギルガード参る」
「ボルディアナのシン、お相手します」
ギルガードの古風な名乗りに対し、シンも丁寧に返す。
シン達は距離を保ったまま、互いに木剣を大上段に構え、じっと相手を睨み付けた。
構えがよく似ているのは根本にある剣術がどちらもガルダに教わったものであり、ギルガードの構えの方がシンの構えより大きいのはギルガードがガルダに教わった剣術だけでなく、騎士団における他の強者を模倣して、取り入れたところがあるからだ。
先ほどまで無責任にシンやギルガードを煽っていた他の騎士たちも口を閉ざし、二人の一挙手一投足を見守っている。
まずはシンの方から動いた。
大上段に構えた状態から木剣でガルダの代名詞と言うべき衝撃波を繰り出す。
真剣を使った場合よりも切れ味は鈍いが、その分、厚みがある衝撃波をギルガードは避けようとはせず、そのまま衝撃波に突っ込み、魔力の込めた木剣で叩き斬る。
ギルガードはガルダの教えを受けたとはいえ、衝撃波を飛ばす才がシンに比べれば劣っていた。
それにいち早く気づいたギルガードは同じように衝撃波を飛ばすのではなく、叩き斬ることを選択し、シンとの間合いを一気に詰め、再び木剣を大きく振り下ろした。
シンとしてはガルダの指導を受けていたのだから同じように衝撃波を繰り出してくると思っていたため、少しばかり虚を突かれたが、ギルガードが突っ込んできたのを視認するとすぐに先ほどよりも大きく木剣を構え直し、ギルガードの繰り出す力強い一撃に力負けしない一撃を振るった。
(これでギルガードのやつが何かを掴んでくれるといいのだが)
シンとギルガードが木剣で切り結ぶ様子を見ながら、グラスは思う。
ギルガードはグラスに目をかけられているシンに嫉妬をしたが、グラスに目をかけられているのはギルガードも同じだ。
何せ、ギルガードこそがグラスに他の若い騎士達への指導を行わせるきっかけを作った冒険者出身の騎士だからだ。
そのギルガードが最近剣で悩んでいたことをグラスは知っていた。
だが、グラスは理論ではない。感覚、本能の人だ。
言葉で的確なアドバイスをするのは得意ではない。
ギルガードの剣技の原点はガルダの剣技だ。
それならば、ガルダの剣技によく似た剣技を持つシンと手合わせさせることが今のギルガードに必要だとグラスには思えた。
(それに俺が悪いのだが、一部の騎士団の連中の中でシンの噂が独り歩きしてしまったというのもある)
シンとの1分間の斬り合いはグラスにとっては身も心も踊る出来事だった。
だから、その中身までは話さずとも、ついつい周囲にシンの名前を出してしまったのだが、それが良くなかった。
シンの実力を過大評価していると思える者が出てきてしまった。
あの1分間は奥の手を使ってのこと。
確かにその奥の手を使っている時であるなら、騎士団でシンに勝てそうな者は自分を含めて10人にも満たない。
歳や経験の浅さから言えば、異常な力量とさえ思える。
だが、シン本人が使いたがらないところを見れば、シンにとって大きな不利益、制約があるのがわかる。
常にその力を発揮し続けれるならともかく、かなり限定的にしか力を発揮できない以上、過度の期待を寄せられるのはシンにとっても決して良いことではない。
こんなところで潰されていい若者ではない。
シンが7月から順調に成長しているのならば、たとえ奥の手を見せずとも、将来性を十分期待でき、自分がそれなりに目をかけている冒険者だと周囲が納得する程度の技量にはなっているはずだ。
だからこそ、奥の手は見せるなとシンに告げたのだ。
そしてシンの成長ぶりはグラスの想像を上回っている。
ほんの、ほんのわずかであるが今のところギルガードをシンが押しているのだ。
グラスとしてはシンがギルガードに比べれば、少しばかり劣ると予想していた。
ギルガードの調子が悪ければ互角もありえる。
だが、ほぼ本調子に近いギルガードを相手にわずかでも上回るとは予想していなかった。
とは言え、ほんのわずかである以上、どう勝負が転ぶか今はまだグラスにもわからない。
(さて、どうなることやら)
グラスは顎に手を置きながら、二人を注視する。
そんなグラスに対して声をかけてきた人物がいた。
白髪交じりの銀髪を短く刈りそろえ、口髭を伸ばした60近い人物。
シルトバニア辺境伯領騎士団を束ねる総団長であるランスヴェルグだ。
「グラス、君もなかなか面倒見がよくなりましたね」
「これは総団長」
グラスが赤ん坊の頃にはすでに騎士になっていたランスヴェルグは騎士になりたてのグラスをよく扱いていたこともあり、いまだにグラスにとっては頭の上がらない数少ない人物の一人だ。
「若いころのギラギラとした強さに貪欲な野獣のようだった君も悪くはありませんが、私には若い騎士達を指導するようになった今のあなたの方が好ましく思いますよ」
「いや、総団長に褒められることなど滅多にないことなので、少し照れますな」
グラスは頬をポリポリと掻きながら、総団長に対応する。
「ですが、今日は残念でもあります」
「残念とは?」
グラスの問いに対して、ランスヴェルグは深々と溜め息をついた。
「自覚がまったくないようですね。拒否する冒険者をほぼ強制的に立ち合いをさせる」
「うっ」
「それに近頃妙な話を聞きました。グラス、あなたは最近悪戯、からかい交じりで同じ騎士団の女性の名誉を傷つけるような嘘の話を触れ回っているらしいですね」
「なぜ、それを」
誰が総団長に対して告げ口をしたのかと周囲を見渡してみれば、グラスの目にはランスヴェルグの少し後方であっかんベーをしているミーシャの姿が確認できた。
「おのれ、ミーシャめ!」
「その反応、やはり君には騎士として自覚、品格が足りませんね。今更魔獣討伐に参加させないわけにもいかないですが、戻ってきたら覚悟しなさい。便所掃除などでは足りない君のために、騎士としての品格を備えられるように久しぶりに私自らみっちり教育しなおしてあげますから」
ランスヴェルグの言葉でグラスの背中から大量の冷や汗が噴き出す中、シンとギルガードの立ち合いは最終局面を迎えようとしていた。
次回は5月1日午前11時です