咲季
「……咲季……」
意識の遠くなりそうな忘却の世界の淵で、私を呼ぶ声を聞いたような気がした。
はっと気づく。
……私……私はまた、忘れようとしたの?
おにいちゃんを?
靖子さんのお兄さんや、他の……せっかく探しに来たみんなを?
だめだよ。
私は思い出したの。
ここでおにいちゃんたちが、鬼に連れて行かれたことを。
それを、その事実をちゃんと、持って帰らなきゃ。
鬼に一人で立ち向かえるわけないし。街の人や警察や……辛いだろうけどお母さんたちにも伝えて。
私、帰らなきゃ。幸一さんが待っているもの。
そう。帰らなきゃ。
ここへはまた、幸一さんや靖子さんや警察の人たちとみんなで来ればいいのよ。灯りも武器もしっかり持って。
そうよ。私、帰るわ。私はもう、おにいちゃんたちのことを忘れたりはしない。
立たなきゃ、ね。もう一度。そして帰らなきゃ。もといた世界に。
ポケットの中でぎゅっと握りしめていた手のひらを開く。
そのとき、指から何かがするりと落ちた。
手のひらはいつの間にか汗でびっしょりと濡れている。
気付くのに3秒かかった。
え、今の結婚指輪?
さっき……あああ……私……はめたままだった……なんでそんな大事なものをここへ。しかも汗で抜けるなんて!
慌てて携帯のライトをつけて指輪を探す。
よかった。携帯の電池、まだあるわ。
大事な指輪なのよ!
そうよ。いつもは高価だからってタンスの奥に仕舞い込んでいるもの。でも今日はとっても不安だったから……安心したくって……
彼からの愛の証。そんな遠くへは行ってないはず……お願い!
多分いままでで一番、神経を集中して……丁寧に……細やかに探す。
明るさを絶やさないようにして……あ、何かがキラリと反射した!
見つけた!
……よかった。
慌てて拾い、かじかんだ手が震えないよう息であたためながら指へと戻す。
指先がじんじんとするのは、安心して血の気がまた巡りはじめたからかしら。
電池がもったいないと思いつつも指にはまったそれをまた眺めてしまうわ。やっぱり安心するもん。
ほら、電池切れてもここは出口に近いし……。
きらきらと光を反射して輝くダイヤ。これがはまっているから見つけやすかったのかもね。
でもまさか抜けるなんてね……ポケットの中でひっかかった?
試しにもういっぺんポケットに……あれ?
ひっかかる……あれあれあれ?
一瞬の閃き。ダイヤの側を内側に向けて、もう一回ポケットに手を入れてみる……ひっかからない……これって。
……ポケットにひっかかった記憶がないわ。
その瞬間。
背後の、扉の向こう側に、ガタガタと大きな物音が落ちた。
びっくりとして私も携帯を落とす。
フッと消える灯り。
そんな暗闇よりも怖いこと……扉のむこうの音が、あのときの記憶を生々しく蘇らせる。
いやだ。
私は幻覚の中に居るの?
それとも違う世界に?
だって小石は……
……小石。
ダイヤは……宝石は……石?
この耳に入ってくる生々しい音が、まだ現実だとは思えないでいたけれど。
ダイヤは……石、だから……逆おまじないが効いた?
だからここはチガウ世界?……それとも、この扉のすぐ後ろで本当に音が、音を出している誰かが、ナニカが、在るの?
その誰かは私の名前を呼んでいる?
でも、その声はどこかウソっぽくて。チガウ世界の声だから?




