思い出すこと
私は気持ちを切り替えようとして、いくつもの『ハッピーなこと』を思い出そうとする。
今日だけでプラスが二つ……いやもっとか。
管理人さん達の優しさ、パン屋さん母娘の人柄。全部で四つ。今日もハッピーがたくさん。
例え今日の中にハッピーを見つけられなかったとしても、思い出の中でもいいの。
とにかくたくさんハッピーを抱えれば、そのハッピーが風船のように私をふわりと浮かせてくれる。そしてこんな落ち込んだところからもっともっと高いところへ浮上させてくれるの。
でも今日の私、なんだか浮かべない。
いつもだったら、ハッピーな思い出旅行を楽しめているはずなのに。
だって私、転んでちょっと気を失っただけよ?
立ちくらみ程度なのに……あ、救急車に乗っちゃったからオオゴトみたいに自分でとらえちゃっているのかしら……そうじゃないって気持ちが心の底でざわついている。じゃあ、そうじゃないなら何よ?
しっくりこない原因がわからないから、もやもやと気持ち悪いまま。
……ストレスか。確かに漠然とした見えない不安がある。新生活とかそういうこと方面じゃなくて。うーん。うまく言えないわ。
「それにしても、よいパン屋さんだったよな」
そんな私を見かねたのか、彼は話題を変えてくれた。
「そうね。大助かりだわ」
そうよ。こんな顔ばかりしていたらお母さんとおんなじね。一緒に居てくれる彼をかえって不安な気持ちにさせちゃうわよね。笑顔にならなきゃ。
「あと、えりちゃんだっけ? 良い子だね」
「ほんと」
いい子だったわ。あ。ひょっとして彼……こども欲しいのかな……きゃあああっ!
夫婦だっていうのに頬が赤くなる。
ん。なんか、前向きに、なれてきたみたい。
浮上できるだけのハッピー風船ようやく集まったのかな。そうやって私、彼の手につかまりながら今日のことを乗り越えようとしていたの。
それなのに。
彼の言葉が、今日はなぜか突き刺さる。
「名札も一生懸命書いてたな。俺も昔、自分で書いたぜ。へたっぴだったけど自分で書きたかったんだよ」
刺さるっていってもね、ささくれみたいなほんとうに小さなものよ。
でも私はそのちいさなちいさなトゲに、気がついてしまったの。
そう。名札。
あのときは動転してて、ちょっと気付けなかったけれど、今思えば……チューリップの形の名札だったの。ちょっと前にも見たことある形。
えりちゃんはもうすぐ三年生……ってことは二年生。「一年生だから」じゃないんだよね。
私の中の、まだカタチが見えない不安の種。
今の私にはこれ以上つかむことができない、かといって手を離すこともできないその不安のカケラを持て余している間に、夜はいつの間にか朝へと姿を変えていた。
翌日も、彼は仕事。
いってらっしゃいのキスのあと、彼は爽やかにほほえんだ。
「咲季。今日は本当に片付けとか気にしないでね。のんびりしているんだよ」
「う、うん。ありがと」
あまりぐっすり眠れなかった私は、彼に言われなくても今日は家事をサボって昼寝するつもりだった。
いつからこんなに体力落ちたのかな。
去年までは翌日仕事って分かって居るのに終電逃しちゃって結局オールとか、わりかしあったのよ。それがいまや……へこんじゃう。
「仕事終わりそうになったら知らせるから、今夜は外食でもしようか……咲季の体調次第だけどね」
「ありがとね」
彼に甘えられる幸せ。彼の優しさはお布団みたいに私を包んでくれる。




