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二話

 小学校の授業がひけると、僕らは毎日、あの河原に急行した。

 隣町に住んでいるアヤちゃんは、僕とは別々の学校だ。僕は家までダッシュで戻って、玄関でランドセルを放り出し、又ダッシュで土手に行く。

 待ち合わせてはいないのに、アヤちゃんは大抵そこにいて、丸っこい背中でしゃがんでいた。もこもこのオーバーで転がりそうにまん丸になって。そして、いつも遅れる僕に、「おっそーい!」と口をタコみたいに尖らせる。オーバーが赤いから赤ダコだ。

 でも、言わせてもらえば、僕の方が不利だ。だんぜん不利だ。だって、僕の家は、この土手の近所じゃないし、水は僕が持ってくる。2リットル入りペットボトルは女の子には重いから。でも、僕は、そんなことは言わない。

 そうだ。男は、ミミッチイ言い訳なんか、しないのだ。

 

 数日すると、アヤちゃんは土手にこなくなった。

 風邪でもひいたのかな、と僕は思った。それから一日がたち、二日がたち、三日がたって、けれど、やっぱり、やってこなくて──

 僕は焦った。

 急いで、家まで行ってみた。実は、僕は、アヤちゃんの家がどこにあるのか知っている。

 隣町に引越してきた、かわいい年下の女の子。一戸建てのピカピカの家に、パパとママが荷物を運び入れている間中、赤い首輪のでっかい犬にしがみつき、陽の当るブロック塀で、つまんなそうにひなたぼっこしてた。そして、ぽかんと見ていた僕に気づいて、笑って手を振ってくれた。

 その時、僕は、あわてて逃げてしまったけれど。僕が何故、うちから遠い、同じ町内でもないそんな所に、その時一人でいたのかは、もう覚えてないけれど。

 不安がどんどんふくれていって、僕は両手を振って走り続けた。もしかして、アヤちゃんは、花の世話なんか飽きちゃった? そんなの、どうでもよくなって? でも──

 約束したのに。

 花が咲くのを一緒に見ようって。

 そりゃ、指切りとかはしなかった。でも、たしかに約束した。それなのに──!

 

 だって、本当は、いつだって見てた。

 雨の日も、風の日も。電信柱の向こうから。犬と散歩していた、あの土手で。死んでも声なんかかけられなかった。だって、そんなのかっこ悪い。

 休みの日には、用もないのに隣町をうろついた。町のコンビニを何軒も回って、店員のおじさんと睨めっこで戦いながら、マンガを何冊も立ち読みした。だって、アヤちゃんがもしかしてコンビニにくるかもしれない。

 犬の散歩に出くわさないかと、土手だって隅々まで捜索した。僕より背が高いススキに顔を突っこんで、あのでっかい犬を探し、ぬかるんだ川べりだって、おっかなびっくり踏みこんで。寒くなり始めた木枯らしの土手で、あの子が声をかけてくれるまで、ずっと、ずっと、そうしていた。そう、ずっと、ずっと、

 ずっと──!

 

『 ねえ、タネをまこうよ、お花のタネ。ママが、ふくびきのハズレで、もらってきたんだって 』

 

 アヤちゃんは、こぼれるようなあの笑顔で、両手で嬉しそうに見せてくれた。

僕のかあさんも物干し兼用のベランダを、肝心の洗濯物が干せなくなるほど、ぎっしり花を置いちゃうけれど、どうして女って、そんなにお花が好きなんだろう。僕は正直、そっちの方はどうでもよかった。でも、

 

『 ……土があるトコなら、土手、だよな 』

 

 まわりを慎重に見まわして、僕は冷静に提案した。二人が秘密を共有する、大切な場所になるのだから。そう、あの時、確かに、僕らは秘密を共有したのだ。

 なのに──

 

 走って、走って、息が切れた。

 もう、かっこ悪いなんて言ってられない。絶対、今、行かなきゃいけない、そんな気が強くしたのだ。なんだか、いやな危機感を感じた。胸騒ぎってヤツ。

 とにかく走った。がむしゃらに。

 やがて、アヤちゃんの家が見えてきて、僕は門の前に滑りこんだ。こじんまりした二階建ての家だ。

「……え?」

 僕はぽかんと立ちつくした。この気持ちを、どう言っていいのか、わからない。だって、もう、アヤちゃんの家は──

 

 頑丈そうな黒い鎖が、鉄柵にグルグル巻かれていた。

 路地に人がいないのを確認し、僕は鉄柵をよじ登った。庭に飛びおり、近づくと、テラス窓のカーテンが、全部きれいになくなっていた。だから、家の中が丸見えだ。フローリングの床には、何もない。テーブルも、ソファーも、かっこいい大画面テレビも。

 そこは白い壁が三方を囲う、ガランと四角い箱だった。透明ガラスのサッシの窓は、ぴったり鍵が閉まっている。

 家には、誰もいなかった。

 庭の隅に置いてある赤い屋根の犬小屋も、中はやっぱり空っぽだった。僕の顔を見るたびに、牙をむき出しにして挑んできた小生意気なジローのヤツも、一緒に消えてなくなっている。

「……約束、したのに」

 頭の中が真っ白で、もう何も考えられなかった。

 ぼうっとしながら鉄柵を乗り越え、道をとぼとぼ歩き出す。でも、どんなにぼうっと歩いていても、迷子になることはない。僕はこの町には、とても詳しい。おかげさまで。

 重たい足を引きずって、僕は、はあ……と息をついた。もしかすると、これが、僕の人生初めての、記念すべき溜息だったかもしれない。

 そして、「途方にくれる」という意味を、この時、初めて理解した。


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