第29話:会合
数世紀前、〈闇の時代〉が始まる前に、人間には二つの種族が存在することが発見された。
ひとつは、生まれながらにして奇妙な力を持ち、その力は十歳を迎えた時に目覚める〈異能者〉。
もうひとつは、まったく普通の人間であり、他の人々と同じように暮らしていたが、その数の少なさから〈孤立者〉あるいは〈忌み子〉と呼ばれていた。
時の流れとともに、さまざまな系統の力が現れ、それらは十の氏族に分類された。
月の一族(最初にして最も偉大な一族)。
闇の一族。
血の一族。
蝶の一族。
植物の一族。
雪の一族。
火の一族。
水の一族。
風の一族。
岩の一族。
それぞれの氏族には強力な長が存在し、彼らは〈十人の族長〉として知られていた。
だが、その均衡は〈灰の子らの惨禍〉によって崩れ去った。
それは〈影時〉――〈影の時代〉において布かれた〈追放の掟〉によるものであり、一部の氏族を滅ぼすことを目的としていた。
だが誰も知らなかった。
その掟は〈カゲモリ〉の仕業ではなく、さらに強大で深淵なる闇の力によって生み出されたものであったことを――。
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拘束期間が終わり、マリーとカミカはようやく自由の身となった。
だが二人は訓練場へ向かうことも、自室へ戻ることもなかった。
誰にも気づかれぬまま学園を抜け出したのだ。
もちろん一緒ではない。
それぞれ別の目的地へ向かっていた。
互いに相手が外出していることすら知らないまま――。
その夜。
蛇のギャングの屋敷では、ほとんどの者が眠りについていた。
ただ一人の女性を除いて。
彼女は鏡の前で身支度を整え、自分だけの世界に浸っていた。
だからこそ気づかなかった。
窓の外から忍び寄るマリーの存在にも。
そして――。
鋭い爪が喉元へ突きつけられる、その瞬間まで。
「――っ!?」
女性は思わず両手を上げた。
まるで現行犯で捕まった犯罪者のように。
そんな彼女を見て、マリーはクスクスと笑う。
鋭利な爪は喉仏の真上に添えられ、
もう片方の手は後頭部を押さえ込んでいた。
マリーの瞳に迷いはない。
十四歳の頃から積み重ねてきた潜入任務。
兄の補佐官として。
副官として。
そして右腕として。
数え切れないほどの修羅場を潜り抜けてきた。
フレイム・スミスは決して妹を無能には育てなかった。
敵に脅威を悟らせるような失敗も許さなかった。
「サプライズ♪」
マリーは楽しげに笑った。
「まさか私が来るなんて思わなかったでしょ?
本当におめでたい女ね」
女性は恐怖を押し殺すように目を閉じる。
しかしマリーはその反応を見逃さなかった。
首を傾げながら顔を覗き込む。
「安心して。
今日は殺しに来たわけじゃない。
私、そこまで馬鹿じゃないもの」
震える声が女性の喉から漏れた。
「あなた……誰なの?
何が目的なの……?」
マリーは再び笑う。
「私が誰か?
ただの伝言係よ」
そう言って彼女は耳元で囁いた。
「蛇のギャング全員に伝えて。
特に――あなたの愛する旦那様にね」
女性は唾を飲み込み、小さく頷く。
それを確認したマリーは続けた。
「スミス家は今、あなたたちに構っている暇はない。
でも戦争を望むというなら話は別よ」
マリーは無邪気な笑みを浮かべた。
「次に届く荷物の中身は――
あなたの旦那様の首かもしれないわね」
女性の頭を優しく撫でながら、
マリーは淡々と告げる。
「それと。
あなたたちの大事な部下なら今うちで監禁中よ。
あと、商品の取引を装って人を送り込むのもやめなさい。
スパイ活動や買収工作なんて見え見えだから」
次の瞬間。
彼女は女性の髪を乱暴に掴み上げた。
「――でなければ。
この家族を一人残らず消し去るわ。
分かった?」
声は鋭かった。
だが決して大きくはない。
誰かに聞かれるほどマリーは愚かではなかった。
やがて彼女は窓際へ下がり、
そのまま立ち去ろうとする。
しかし――。
「マリー。
そう呼ばれているのでしょう?」
その一言に、
マリーの瞳が大きく見開かれた。
その名を知る者は限られている。
彼女自身。
兄。
そして組織の中核メンバーだけ。
ゆっくり振り返ると、
女性は挑発するように笑っていた。
「安心して。
あなたの秘密は誰にも話さないわ。
誓ってもいい」
マリーは無視して立ち去ろうとした。
だが女性はさらに続ける。
「もしかしたら――
犯人はあなたたちの中にいるのかもしれないわね。
マリーちゃん♪」
意味深なウインク。
マリーは何か言い返そうと口を開いた。
その時だった。
『マリー。戻れ。
誰かに見つかる前に』
通信機から兄の声が響く。
マリーは舌打ちを飲み込み、
そのまま窓から飛び降りた。
頭の中には、
無数の疑問だけが残されていた。
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――その頃。
同じ時間、しかし全く別の場所で。
豪華な広間。
中央には長い長方形のテーブルが置かれ、その周囲には男女問わず多くの人物が座っていた。
中には素顔を隠している者もいる。
黄金の獣面を身につけた者。
黒い鳥の仮面を被った女性。
金色の狐の面を被る男。
白地に蛇の模様が描かれた不気味な仮面の人物。
その誰もが普通の構成員ではないことを物語っていた。
そして――。
その席の中央に座る少女。
カミカ・キラス。
カゲモリ最年少の幹部候補であり、コードネーム『エージェント001』。
向かい側にはケンジが座っていた。
彼は数分おきに皮肉げな視線を向けてくるが、カミカは一切気にしていない。
やがて会議室の扉が開いた。
現れた人物を見た瞬間、
全員が立ち上がる。
燃えるような紅髪。
蒼い瞳。
どこかフェリア学園の理事長――フェリア・タカミによく似た顔立ち。
その男の名は。
スパイオン。
「こんばんは、スパイオン様」
一同は頭を下げた。
仮面を被った者たちでさえ例外ではない。
スパイオンは無言で席に着き、
手を軽く振る。
「座れ」
その一言で全員が着席した。
会議が始まる。
ある者は今後の計画について語り、
ある者は学園内部に蔓延する腐敗について報告する。
仮面を被った幹部たちは、
モカ種に関する議題を話し合っていた。
だがスパイオンの視線は、
やがて中央の少女へ向けられる。
「カミカ・キラス」
呼ばれたカミカは静かに顔を上げた。
まるで発言を許可する合図を待っていたかのように。
「まずは、この年次幹部会議への出席を許可していただいたことに感謝します」
口調は礼儀正しい。
しかし感情は感じられない。
その表情もまた同じだった。
「フェリア・タカミ理事長の調査、および失われた文書の捜索任務について報告します」
会議室が静まり返る。
「現時点で判明しているのは、理事長がある計画を進めているということだけです。
ですが、その詳細は極秘扱いとなっており、十分な情報は得られていません」
カミカは先日の出来事を思い出していた。
大会終了後。
フェリアが数名の人物と密談していた場面を。
しかし会話は短すぎた。
内容をすべて聞き取ることはできなかった。
「ただし――最近になって一つの可能性が見えてきました」
全員の視線が集まる。
「その計画はモカ種に関係していると思われます」
脳裏に浮かぶのはリリィの顔だった。
モカ種について語った時の、
あの複雑な表情。
だからこそカミカは続ける。
「彼らはモカ種を守ろうとしている可能性があります」
スパイオンが眉をひそめた。
「守る?」
その横に立つルナが何かを耳打ちする。
スパイオンは納得したように頷いた。
「つまり、
フェリア側は我々からモカ種を保護しようとしている可能性がある――そういうことか?」
「現時点では推測です」
カミカは答える。
「ですが、モカ種に関する極秘計画である以上、その可能性は高いと考えています」
スパイオンは頷いた。
「他には?」
カミカは淡々と続ける。
「学園潜入後の最初の任務について報告します。
対象となっていた三名の生徒は処理済みです」
誰一人驚かない。
それがこの組織だった。
「また、本来その任務を担当する予定だった人物の記録を書き換え、私の名義へ変更しました。
現在はフェリア理事長の信頼獲得を進めています。
最終目標は黄金星評議会への加入です」
「よくやった」
スパイオンは短く評価した。
カミカは静かに席へ腰を下ろす。
それ以上は何も語らなかった。
会議はその後もしばらく続き、
やがて解散となる。
参加者たちは次々と退室していった。
しかし。
スパイオンだけは机の上の書類を整理していた。
「話があります」
不意にカミカが口を開く。
「スパイオン」
そしてルナへ視線を向けた。
「――二人きりで」
ルナはスパイオンを見る。
彼は小さく頷いた。
ルナは何も言わず部屋を後にする。
扉が閉まった。
「それで?」
スパイオンは書類から目を離さずに尋ねる。
「何の話だ」
カミカは一拍置いてから言った。
「月の姫とは誰ですか」
その瞬間。
スパイオンの表情が固まった。
「……」
「あなたとの関係も知りたいです」
長い沈黙。
やがてスパイオンは深く息を吐き、
書類を机へ置いた。
「月の姫か……」
懐かしむような声。
「彼女は私の人生で最も愛した女性だった」
カミカは黙って聞く。
「お前の母親が病で亡くなった後も、
彼女は私の側にいて支えてくれた」
そこで彼は目を閉じた。
「だが――それは偽りだった」
空気が重くなる。
「彼女はお前を憎んでいた。
月の一族の血を引くお前を」
スパイオンは拳を握り締めた。
「そして炎の一族である私との間に生まれた娘であることも気に入らなかった」
カミカは表情一つ変えない。
「だから彼女は私ではなく、
お前を消そうとした」
静寂。
「お前は私の唯一の娘だった」
スパイオンはゆっくり近づき、
両手でカミカの頬を包んだ。
「私は必死に守ろうとした」
カミカはわずかに眉を上げる。
「だから殺したんですか?」
静かな声。
「そして病死したという噂を流した?」
スパイオンは視線を逸らした。
「……他に方法がなかった」
苦しげな声。
「お前は私にとって大切な存在なんだ。
カミカ」
「そうですか」
それだけだった。
カミカは頷く。
そして立ち上がった。
抱擁もない。
親子らしい温もりもない。
そこにあったのは、
氷のような距離感だけだった。
カミカが退室すると、
スパイオンはゆっくり背筋を伸ばす。
すると。
閉じたはずの扉が再び開いた。
ルナだった。
彼女は扉にもたれながら言う。
「本当のことを話さないの?」
スパイオンは鼻で笑った。
「何年もかけて築いた計画を台無しにしろと?」
次の瞬間。
彼は一気に距離を詰める。
そしてルナの首を掴み上げた。
「っ……!」
「正気か、ルナ」
冷たい声。
ルナは必死に彼の腕を掴む。
「それは……こっちの台詞よ……!」
スパイオンは手を離した。
彼女は激しく咳き込む。
しかし彼は振り返ることすらしない。
再び机の書類を手に取る。
「余計なことを口にするな」
低く、
底冷えするような声だった。
「もし話したら――」
スパイオンはゆっくりと振り返る。
「お前の人生を地獄に変えてやる」
そう言い残し、
彼は部屋を後にした。
残されたルナだけが、
重苦しい沈黙の中で立ち尽くしていた。




