第19話:誰があなたに、あなたは強いと言ったのですか?
数世紀前、〈闇の時代〉が始まる前に、人間には二つの種族が存在することが発見された。
ひとつは、生まれながらにして奇妙な力を持ち、その力は十歳を迎えた時に目覚める〈異能者〉。
もうひとつは、まったく普通の人間であり、他の人々と同じように暮らしていたが、その数の少なさから〈孤立者〉あるいは〈忌み子〉と呼ばれていた。
時の流れとともに、さまざまな系統の力が現れ、それらは十の氏族に分類された。
月の一族(最初にして最も偉大な一族)。
闇の一族。
血の一族。
蝶の一族。
植物の一族。
雪の一族。
火の一族。
水の一族。
風の一族。
岩の一族。
それぞれの氏族には強力な長が存在し、彼らは〈十人の族長〉として知られていた。
だが、その均衡は〈灰の子らの惨禍〉によって崩れ去った。
それは〈影時〉――〈影の時代〉において布かれた〈追放の掟〉によるものであり、一部の氏族を滅ぼすことを目的としていた。
だが誰も知らなかった。
その掟は〈カゲモリ〉の仕業ではなく、さらに強大で深淵なる闇の力によって生み出されたものであったことを――。
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カミカの足は、学院長を追っていたわけではなかった。
リリアナに怪しまれる前に、自室へ戻るべきだ――
そう判断していた。
だが彼女は戻らなかった。
いや、戻れなかった。
その時、カミカの注意を引いたものがあったからだ。
深夜にもかかわらず、灯りがついていた部屋。
だが彼女が気になったのは、それだけではない。
――何度も響く、鈍い打撃音。
サンドバッグを殴る音だった。
こんな時間に訓練している者がいる。
そう思った瞬間、カミカは無意識にその部屋へ歩み寄っていた。
静かに扉を開ける。
そして彼女は、その姿を目にする。
訓練していたのは――マリーだった。
ただ鍛えているわけではない。
彼女はサンドバッグを“叩き潰す”ように拳を打ち込んでいた。
まるで胸の奥に溜まった怒りを、全てぶつけるかのように。
荒々しく。
激しく。
マリーは、入口に立つカミカに気づいていなかった。
最後の一撃を強く叩き込むまでは。
拳へ走った痛みに顔を歪め、彼女は一歩後ろへ下がる。
そこでようやく、視線の先にカミカを見つけた。
「……何しに来た?」
カミカは答えない。
本来なら無視して立ち去るつもりだった。
それが最も合理的だったから。
だが――
何かが、彼女を引き止めた。
マリーは、人々が思っているような人間には見えなかった。
乱暴で、反抗的で、喧嘩ばかりの少女。
そんな“仮面”の奥にあるものを、カミカの瞳は見抜いていた。
まるで無理やり、自分を強く見せようとしているような――そんな痛々しさを。
そして気づけば、彼女は口を開いていた。
「そのまま無茶を続けても、強くはなれない」
だがマリーは鼻で笑う。
「別にアンタにアドバイスなんか求めてない」
次の瞬間。
マリーは床を蹴り、拳を真っ直ぐカミカの顔面へ振り抜いた。
しかしカミカは一瞬で反応する。
その拳を片手で受け止めた。
「言ったはずよ」
冷たい声。
「無鉄砲じゃ、意味がないって」
それだけでは終わらない。
カミカはマリーの拳を強く握り、そのまま腕を捻り上げた。
「っ……!」
激痛に、マリーの身体が前へ折れる。
「なんで……アンタが首突っ込むんだよ!」
その瞬間、カミカは肘をマリーの喉元へ叩き込む。
さらに足を払った。
バランスを崩したマリーは、そのまま背中から床へ叩きつけられる。
重い音が部屋に響いた。
カミカは無表情のまま、倒れたマリーを見下ろす。
「確かに、あなたがどうなろうと興味はない」
そう言いながら、彼女は肘でマリーの首元を押さえつけた。
「でも私はクラス代表。
あなたが問題を起こせば――」
その瞳が冷たく細められる。
「責任を問われるのは私」
やがてカミカは拘束を解き、そのまま背を向けた。
立ち去ろうとする彼女を、マリーが呼び止める。
「……待てよ」
カミカの足が止まる。
だが振り返らない。
マリーは床に倒れたまま、悔しそうに睨みながら言った。
「いつか……絶対にアンタより強くなってやる」
その言葉に、カミカは小さく鼻で笑う。
「まずは自分の“恐怖”を乗り越えてからね」
その瞬間。
マリーの目が大きく見開かれた。
――見抜かれた。
そう理解したからだ。
カミカは確かに見ていた。
マリーの瞳の奥に潜むものを。
強さの裏側に隠された、弱さを。
震えるほどの恐怖を。
マリーは苦しそうに首元へ手を当てる。
脳裏に蘇るのは、今も消えない悪夢。
床に広がる血。
耳を裂く悲鳴。
壊れていく誰か。
胸の奥が締め付けられ、彼女は無意識に心臓を押さえた。
遠ざかっていくカミカの背中を見つめながら、マリーは悟る。
自分は――全部を隠しきれていなかったのだと。
長年押し殺してきた“弱い自分”が、再び目を覚まそうとしている。
カミカは、マリーの強さなど見ていなかった。
彼女が見ていたのは――
その強さの奥に隠された、“傷”だった。




