エピソード1: 月明かりの下の殺人者
数世紀前、〈闇の時代〉が始まる前に、人間には二つの種族が存在することが発見された。
ひとつは、生まれながらにして奇妙な力を持ち、その力は十歳を迎えた時に目覚める〈異能者〉。
もうひとつは、まったく普通の人間であり、他の人々と同じように暮らしていたが、その数の少なさから〈孤立者〉あるいは〈忌み子〉と呼ばれていた。
時の流れとともに、さまざまな系統の力が現れ、それらは十の氏族に分類された。
月の一族(最初にして最も偉大な一族)。
闇の一族。
血の一族。
蝶の一族。
植物の一族。
雪の一族。
火の一族。
水の一族。
風の一族。
岩の一族。
それぞれの氏族には強力な長が存在し、彼らは〈十人の族長〉として知られていた。
だが、その均衡は〈灰の子らの惨禍〉によって崩れ去った。
それは〈影時〉――〈影の時代〉において布かれた〈追放の掟〉によるものであり、一部の氏族を滅ぼすことを目的としていた。
だが誰も知らなかった。
その掟は〈カゲモリ〉の仕業ではなく、さらに強大で深淵なる闇の力によって生み出されたものであったことを――。
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『森の夜』
その夜は、決して穏やかな夜ではなかった。
鬱蒼とした森は、月明かりすら拒むかのように闇を深め、絡み合う枝はまるで輪郭を失った亡霊の影のように揺れていた。
フィリア学園の学院長は、夜間巡回の任務として四名の生徒を森へ送り出した。目的は、コライの痕跡を追跡すること。
三年生が三名、二年生が一名。
「ほんとに馬鹿げてるわ……」
そう吐き捨てたのは、三年生の少女――
短い黒髪に重たい前髪を揺らす、闇の一族のミカ・ツキシマ。
彼女は何度目かの欠伸を噛み殺し、肩を落としていた。
その肩に、そっと手が置かれる。
振り向いた先には、低く束ねた紅い長髪の青年。片目は黒い眼帯に覆われ、露わになった緑の瞳が穏やかに細められている。
炎の一族、三年生のレンジ・カザハラだった。
「心配するな、ミカ。きっとすぐに見つけて倒して、帰れるさ」
楽観的な笑みに、ミカは露骨に頬を膨らませる。
「本気で言ってるの?」
レンジが苦笑した、その瞬間。
「自分だけの話にしてくれよ!」
情けない声が割り込む。
金髪の少年――石の一族の三年生、ライ・クラタ。
細身の体を震わせ、周囲を警戒する視線はまるで怯えた猫のようだった。
そのとき、不意に響いた鴉の鳴き声。
「うわっ!?」
ライは反射的にレンジにしがみつく。
ミカの口元がにやりと歪む。
「まあ。ライって、こんなに勇敢だったのね?」
「ぼ、僕は勇敢だ!」
虚勢を張る彼に、ミカは冷たく追い打ちをかける。
「五歳児みたいにしがみついてたくせに?」
「黙れ!」
軽口と罵り合い。
そのやり取りを、レンジは呆れ半分で見守る。
だが――彼の視線は、やがて最後の一人へ向けられた。
後方を静かに歩く少女。
灰色の髪を高く結い上げ、淡く光を失った蒼い瞳を持つ。
二年生、月の一族のカミカ・キラス。
彼女は一言も発していなかった。
学園では有名な存在だった。
無口で冷静、鋭い頭脳を持ちながら友人はいない。
生徒たちは彼女を密かにこう呼ぶ――
“動く死体”。
それでも、学院長フィリアは彼女を深く信頼していた。
「カミカ、大丈夫か?」
レンジの問いに、彼女は小さく頷くだけ。
ミカが無遠慮に腕を回すが、カミカは淡々とそれを払いのける。
「……問題ない」
その声は、感情の温度を持たなかった。
やがて――
森の奥から、悲鳴が響いた。
四人は顔を見合わせ、緊張が走る。
慎重に進む彼ら。
しかし、辿り着いた場所には何もない。
「おかしい……」
そのとき、空気が変わった。
重い沈黙。
視線を巡らせる三人の背後で――
カミカは、静かに二歩下がっていた。
剣を抜く。
鼓動が、やけに大きく聞こえる。
(今だ)
その瞬間――
銀閃。
二つの斬撃が、ミカとレンジの背を切り裂いた。
悲鳴が夜を裂く。
ライが振り向いたときには、二人は血に沈んでいた。
「な……に……?」
彼の瞳が、理解を拒む。
後退る足が石につまずき、地に倒れる。
涙が頬を伝う。
「やめて……お願いだ……」
カミカは、無言で近づいた。
そして――躊躇なく、剣を突き立てた。
温かい血が夜気に溶ける。
静寂。
彼女は三つの亡骸を見下ろした。
疲労か。
恐怖か。
――どちらでもない。
ただ、空虚。
星空を仰ぐ。
その静寂を破るように、着信音が鳴った。
画面に表示された番号。
見慣れたもの。
通話を受ける。
沈黙。
「……終わりました」
『よくやった。次は分かっているな』
「はい」
通話は切れた。
カミカは迷いなく携帯を砕く。
証拠は、残さない。
次に――
自らの剣を折る。
そして、もう一本の剣で、自身の腹部を貫いた。
偽装。
血が溢れる。
痛みは、確かにある。
だが、顔には何も浮かばない。
地面に崩れ落ちながら、遠くから駆け寄る足音を聞いた。
医療班だ。
視界が暗転する直前――
彼女は、わずかに目を細めた。
それは笑みだったのか。
それとも――
ただの反射だったのか。
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朝…アカデミー病院
カミカはゆっくり目を開けた。最初に目に入ったのは、アカデミー治療室の白い天井だった。
ベッドに腰をかけ、酸素マスクを外す。腹の傷に触れると痛みが走ったが、表情にはほとんど出さず、少しだけ疲れた様子を見せた。
周りを見回す。部屋は清潔で整理され、治療器具は滅菌済み。床も丁寧に拭かれていた。
普通の病院の消毒液の匂いではなく、ほんのり花の香りが漂う床用洗剤の匂い。
カミカにとって、それは不思議と少し落ち着く空間だった。
そのとき、ドアが開き、二十代後半くらいの女性が入ってきた。
茶色の髪をぐちゃっとまとめたお団子にし、濃い青のシャツと黒いパンツを着て、大きめのエプロンをかけている。
青い目は少し疲れていて、下まぶたにはくっきりとしたクマ。四角いメガネをかけていた。
カミカが目を覚ましたのを見て、女性は軽く微笑む。
「起きたみたいね。」
カミカは黙ってうなずく。それだけで、女性はまた柔らかく微笑んだ。
「第三学年のトップ3のうち、あなただけが生き残るなんて信じられないわ。」
女性は煙草に火をつけ、唇にくわえる。
「それにしても、あなたの怪我は思ったほどひどくなかった。他の二人に比べれば。」
カミカはじっと彼女を見つめ、口を開いた。
「残りの二人は…?」
女性は肩をすくめ、ドアに寄りかかりながら煙草を吸った。
「残念だけど、助からなかったわ。」
カミカは視線を落とし、うなだれる。女性は彼女の肩の力の抜けた様子に気づき、首を傾げた。
「後悔してる?」
だが、カミカは答えなかった。
そのとき、ドアが再びノックされた。
女性が開けると、赤茶色の髪に青い瞳をした少年が立っていた。
ドアは閉めず、そのまま中へ入れる。彼は学園長の息子、ハル・フィリアだった。
ハルはカミカに目を向けるが、彼女は気づかず、声を落として言った。
「調子はどうだ、キラスさん?」
カミカは上から下まで見渡し、うなずく。
「大丈夫です。」
かすかに聞こえる声だったが、ハルには届いた。
「校長から、私の部屋に来るようにと言われたぞ。」
カミカは長く彼を見つめた後、医者の方に目を向けた。
医者はうなずき、了承の意を示す。
「もちろん、出て構わない。でも、あまり無理はさせないでね。」
女性は煙草の煙を吸い込みながら再び吹き出した。
「昨夜のことを見た後、患者の心を壊すわけにはいかないから。」
ハルは礼をして、部屋を出る。医者も同じく退室した。
カミカは静かに横になり、少し休むのだった。




