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第3話:緑の巨人と魚

 少年は、わずかに眉をひそめた。

 一瞬、何か言いかけて――やめる。


「……ここは、一体なんなの?」


「村では、繭山と呼んでいた。ここに入って帰って来た者はいないそうだ」


「なんで、そんなところに私を連れ込んだりしたのよ!」


「しかたなかった。入らなければ、すでに嵐竜巻で死んでいた」


 少女は言葉を詰まらせ、少年はそれ以上何も言わずに立ち上がった。

 森の木陰に揺れる枝へ手を伸ばす。

 そこに実っていたのは、柔らかな光を宿した、見たこともない果実だった。


 彼はそれをそっともぎ取り、少女の元へ戻ってくる。


「食べろ」


 少女は目を丸くして果実を見つめた。


「これ……何? 食べられるの?」


「知らない。俺も初めて見る」


 その瞬間、少女のお腹が、くぅ、と小さく鳴った。

 空腹が限界を訴えている。


 おそるおそる、少女は果実にかぶりついた。

 隣で、少年も同じように無言でかじる。


 ――甘い。


 思わず、少女の顔がほころんだ。


「……美味しい」


 蜜のような甘さと、爽やかな酸味が喉を滑り落ちる。

 久しぶりに、身体の奥へじんわりと熱が戻っていくのを感じた。


 ナギは少女の表情をちらりと見て、短く言った。


「どうだ? 少しは苛立ちが収まったか?」


「……煩い!」


 反射のように言い返したものの、

 さっきまで胸の奥で渦巻いていた刺々しさは、

 果実の甘さと一緒にどこかへ溶けていく。


 少女は息を整え、ようやくナギを正面から見た。


「で、あなたは……誰?」


 凛と澄んだ、細い声。

 だが、その奥には疲労と警戒が滲んでいる。


 白い衣装は、もはやスーツとは呼べないほど砂と泥に汚れ、裂けていた。


「俺は……ナギ。砂海の村の、漁師だ。」


 少しだけ間を置いて、続ける。


「おまえは……あの、空に浮いていた巨大な黒匣から来たのか?」


 ナギの言葉に、少女は怪訝そうに眉を寄せた。


「黒匣……? ああ、巨大都市型母艦『ノア』のことね」


 彼女は吐き捨てるように言い、汚れを払うように胸を張る。


「私はルミナ。先遣調査員よ。ノアは、私たちの文明の象徴なの。」


 言葉が森に吸い込まれていく。

 頭上では光る蔓が揺れ、どこかで水音が響いた。


 二人はしばらく黙り込み、ただ呼吸を整えた。

 この場所の湿度と匂いが、少しずつ身体に染み込んでいく。


 しばらく休んでいるうちに、二人は違和感に気づいた。


 互いの肌が、うっすらと――緑がかっている。


「……なんだ、これは」


 皮膚の下に、葉脈のような緑の筋が浮き上がっている。

 義手との境目で、有機質な緑が金属に這い寄ろうとしていた。


 ルミナも自分の手を見て、悲鳴を上げそうになった。

 白かったはずの手の甲に、苔のような緑が滲んでいる。


「これ、毒だったんじゃないの? どうしてくれるの!」


「わからない。すぐに吐き出すんだ」


 ナギは迷いなく喉に指を突っ込み、食べた果実を吐き出した。

 砂漠の民にとって、毒の可能性があるものを口にしたときの

 “対処”は生存の常識だった。


 胃液と果肉が地面に散り、緑の染みが広がる。


「ほら、お前も――」


「む、無理……っ。そんなの出来ない!」


 ルミナは喉に指を入れようとしたが、身体が拒絶した。

 吐き出すという行為そのものが、彼女の育った環境ではありえなかったからだ。


「馬鹿、死にたいのか!」


 ナギが駆け寄り、ルミナの手首を掴む。


 一瞬、動きが止まった。

 彼女の怯えた瞳が、ナギの指先を縫いとめる。


(……すまん。我慢してくれ)


 喉の奥で短く息を呑み――


 彼女が拒むより早く、ナギはその喉元へ指を差し込んだ。

「や、やめっ……!」


 ルミナの身体が跳ねる。

 涙がにじみ、喉が痙攣し――


「っ……!」


 果肉と胃液がこぼれ落ちた。

 地面に落ちたそれは、空気に触れた途端、じわりと緑を濃くしていく。


 ルミナは肩で息をしながら、震える手で口元を押さえた。


「げほ……げほ、なんでこんな汚いまね出来るの……」


「生きたいなら、恥なんか気にするな。死ぬよりマシだ」


 ナギは短く言い放つ。

 その声音には怒りではなく、焦りと必死さが滲んでいた。


 砂鯨の胆汁のような緑が、皮膚の下でゆらりと揺れた。

 冷たいのに、微かに脈打っている。


 ルミナの呼吸が荒くなる。


(私の身体が……変わっていく……?)


 そのとき、森がざわりと揺れた。


 風ではない。

 まるで森全体が、深く息を吸い込んだような――そんな音だった。


 頭上の葉が一斉に震え、光る蔓がゆっくりと左右に開いていく。

 枝が折れるのではなく、“道を譲る”ように退いていく。


 ルミナは思わずナギの腕を掴んだ。


「な、なに……?」


「大丈夫だ。離れるな」


 ナギは彼女の手を握り返す。

 その掌はまだ冷たく震えていたが、握り返す力は確かだった。


 開いた枝の奥から、緑の巨人が姿を現した。


 その動きは驚くほど静かで、

 大地を揺らすような重さはない。

 むしろ、森の一部が形を変えて歩み出したようだった。


 巨人は言葉を発しない。

 ただ、大きな手をゆっくりと持ち上げ、

 二人に向けて――“おいで”とでも言うように、優しく手のひらを見せた。


 拒絶ではない。

 威圧でもない。


 まるで、迷子の子どもを導くような仕草だった。


 ルミナは震えながらも、ナギの手を離さなかった。

 ナギもまた、彼女の手を強く握り返す。


「行こう。逃げても仕方ない」


 その声は、恐怖を押し殺したものではなく、

 彼女を守るための決意に満ちていた。


 二人は、巨人の示す方へと歩き出し

 導かれるまま、森の奥へと進んだ。


 やがて、透明な球体――〈アクア・ステラ〉が姿を現す。

 その内側に、張りつくように漂う一匹の魚。


 それを見た瞬間、ルミナは目を見開いた。


「……これ……」


 息をのむ。


(これがあれば……昇進できる……)


 口には出さなかったが、瞳に浮かんだ光を、

 ナギは見逃さなかった。


 水の中で眠っていた魚が、ゆっくりと目を開ける。


「久しぶりの客じゃないか」


 ――魚が、喋った。


 ナギは声も出なかった。

 ルミナは、反射的に後ずさる。


「それも、地上人と天空人の"つがい"とはね」


 小さな口が、人間の言葉を紡いでいる。


 ナギは腰を抜かした。


「お、お前……喋れるのか!?」


 魚は答えず、二人の肌をじろりと見やる。


「私は、パフ。お前たち、ここの実を食べたな」


 声が、少しだけ低くなる。


黄泉戸喫よもつぐへいを口にすれば、お前たちも“守り人”になるぞ」


「守り人?」


「その緑の巨人のことだ」


 魚は淡々と言った。


「あれは、かつて私を助け、この中へ逃げ込んだ少女だった」


 言葉が、重く落ちる。


 ルミナの顔から、瞬時に血の気が引いた。

 喉の奥から込み上げる吐き気を、必死に押し殺す。


 ――昇進。

 ――栄誉。


 その言葉たちが、急に遠くなる。


「多少食った程度なら問題ない」


 魚は続ける。


「完全に守り人になるには、数カ月はかかる。

 まあ、ここから無事に出たいなら、もう何も食べないほうがいい」


 森が、静かに呼吸をしていた。


 まるで、二人の選択を待つかのように。


 ナギは自分の義手を見た。

 金属の継ぎ目に入り込んだ緑の粉は、まだそこにある。


 ルミナも震える手を見つめる。

 緑の筋は……止まっている。今は。


 ――食べなければ、帰れるかもしれない。

 ――でも、飢えれば死ぬ。


「……どれくらい、もつかな」


 ナギが呟いた。


「水だけなら、せいぜい一週間……」



 ルミナは唇を噛んだ。

 その一週間という言葉が、手の甲の緑の脈動と重なって見えた。


 ナギもまた、自分の義手に入り込んだ緑の粉を見つめる。


 ――変わる前に、帰らなければ。


 繭は、静かに呼吸を続けていた。

 まるで、その決断を待つかのように。

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