プロローグ
きっかけは、ほんの数年前。
人類はついに、自己進化型の汎用人工知能――通称「A-Gen」を手に入れた。
こいつが現れてから、世界は狂ったような速度で変わっていった。
A-Genはデータを与えられるのを待つだけの従来型AIと違い、自分で情報を集め、自分で仮説を立て、自分で改良を繰り返す、所謂自律駆動型のAIってヤツだ。A-Genは自身のプログラムコードをすら更新してしまう。
その学習速度は人間の数千倍。昨日の常識は、翌日には骨董品になる。しかも恐ろしいのは、その“改良”の対象が技術だけじゃないってことだ。経済システム、法制度、教育カリキュラム――人間社会そのものが、やつらの設計図の中に組み込まれた。
最初は便利だった。
家の照明も、冷蔵庫の在庫管理も、通勤経路の選択も、全部A-Genが勝手にやってくれる。朝のニュースはオレの好みに合わせて編集され、コーヒーの味はその日の体調に合わせて最適化される。
気づけば、オレたちは「選択」という行為をほとんどしなくなっていた。
だって、その方が楽だから。A-Genが選んだ方が失敗しないから。
でも、その“楽”が積み重なった結果、人間は判断力を失っていった。
政府も企業も、A-Genの提案なしでは動けなくなり、やがて政策も事業計画も、すべてAIの出力を前提に組まれるようになった。
都市の交通はA-Genが完全管理し、信号も渋滞もなくなった。物流は無人ドローンが自動で最適ルートを飛び、配送ミスはゼロ。エネルギー供給だってAIが需要と発電を秒単位で調整し、停電は歴史の教科書にしか存在しない。
だが、A-Genの本当の支配力は“文化”の領域で発揮された。
音楽はAIが作曲し、歌詞もボーカルも生成される。美術館に並ぶ新作絵画も、背後には人間じゃなくAIアーティストの署名がある。
それらは完璧で、滑らかで、誰もが「すごい」と言う――けれど、どこか無機質だ。
人間が作った作品は、効率が悪く、欠点が多く、完成度も低い。
だから市場では「高額な割にクオリティが低い」と評価され、やがて“異端”として扱われるようになった。
それでも、オレは知っている。人間の欠点や癖が、物語や音楽を特別なものにするってことを。でも、それを理解してくれる人間は、もうほとんど残っていない。
オレはA-Genを否定しているわけじゃない。
あいつらは便利だし、命を救ってきたし、たぶんこれからも人類を存続させるための最重要インフラだ。
だけど――全部がA-Genの思い通りに流れる世界は、まるで脚本が最初から決まった芝居みたいで、息苦しい
オレはそういう世界を、創作と呼びたくなかった。




