第四章 仮面の成功者
午後の会議室は、いつものように重苦しい空気に満ちていた。
壁一面のホワイトボードには「少女失踪事件」とだけ書かれている。数日前に行方不明となった十二歳の少女の名前が、その下に黒いマーカーで記されていた。
私は腕を組みながら、同僚たちのやり取りを聞いていた。
「家出の可能性が高いだろう」
「家庭に問題があったらしいし、事件性は薄い」
そんな言葉が飛び交うたび、胸の奥に苛立ちが募った。
確かに、統計で見れば失踪の大半は家出か自発的な失踪だ。だが、ここは歌舞伎町だ。行き場をなくした子どもがどこへ流れていくか、私は嫌というほど知っている。
私は立ち上がり、ホワイトボードに歩み寄った。
「この子はまだ十二歳です。深夜の繁華街に消えるような年齢じゃない。自分の意思で姿を消したんじゃない。誰かに連れて行かれたんです」
声を荒げると、室内の視線が一斉にこちらに向けられた。だが誰も、正面から反論してこない。皆、面倒事に巻き込まれたくないのだ。
結局、会議は何も進展を得ないまま終わった。
私は一人、机に残り、手帳を開く。
聞き込みで得られた断片的な証言を並べ直してみる。
――最後に少女を見かけたのは雑居ビルの前。
――彼女と一緒にいたのは三十代後半から五十代くらいの男。
――男はスーツ姿で、夜の街には場違いなほど「上品」な雰囲気を漂わせていた。
その記述を指でなぞる。
歌舞伎町には珍しいタイプだ。スーツの男は山ほどいるが、証言にあった「妙な品格」を持つ人間は限られている。
さらに別の証言。
「最近、この辺で子どもを物色してる中年がいる」
――スカウト崩れの青年が、酒の勢いで洩らした言葉。
もちろん、酔っ払いの話を鵜呑みにはできない。だが妙に引っかかった。
私は机の上に地図を広げ、少女の失踪地点と周辺の聞き込み結果を赤いペンで印をつけていく。すると、点はある一角に集中していることに気づいた。
そのエリアには、一際目立つ豪奢なビルがある。
都内でも指折りの大企業の本社ビル。創業社長は五十代の男性で、表向きは実直で温厚な人物として知られている。政界や財界との繋がりも深く、メディアにも「成功者」として取り上げられることが多い。
だが、どこか仮面めいたものを感じた。
完璧すぎる経歴、瑕疵の見えない人物像。光が強ければ、その裏に濃い影が生まれるものだ。
私は唇を噛んだ。
もちろん今はまだ何の証拠もない。ただの直感にすぎない。
だが、あの男の名前を書き留めるとき、心の奥に冷たい予感が走った。
失踪した少女は、まだどこかで生きているはずだ。
だとすれば、一刻の猶予もない。
会議室を出ると、窓の外は夕暮れに染まっていた。
街のざわめきの向こうに、光り輝く高層ビル群が見える。そこに、人々が「理想の人生」と呼ぶ男がいるのかもしれない。
だが私にとっては、その影に潜む何かを暴き出すべき対象にしか思えなかった。
ポケットに手帳を押し込み、私は小さく呟いた。
「必ず見つけ出す。あの子も、真実も」